帰国隊員報告 「りる」第12号より
西サモア K.U.
平成5年3次隊
通信電力
私は平成五年度三次隊として太洋州の西サモアヘ「通信電力」の職種で赴任した。
着任二日目にメーカー修理済み整流器のユニットのテストをしてくれとの申し出があった。早々のことなのでこのテストはチームの人にやってもらい、自分は傍(かたわ)らで見学させてもらうことにした。
ところがテストに入ると突然大きな音がして整流器ユニットが壊れてしまった。そこで配線や手順が正しかったのかどうか訊ねてみたが、答えられる者はいなかった。私は早速協力隊の前任者に電話し、テストの手順にミスがないかどうかを訊ねた。この元隊員との話し合いを通じて、結果的に試験手順は間違っていないことが解った。実際は修理済みと思っていた整流器自体が、完全に修復されていなかったのが実情でなかったかと思われる。
私は協力隊活動が進むにつれて現地のカウンターパートにいろいろと教えた。ユニット等の試験に当たり、肝心のところは必ず自分のノートに筆記するよう伝えた。
然(しか)し、この希望は中々実行されなかった。最初のパートナーにこのことを要求したが、いろいろと口実を設けて彼はこれを実行しなかった。二人目も同じ態度であった。
やがて三人目のカウンターパートがやってきた。この人を交えて作業を始めたのが午前十時頃であった。するとこの人はチョット待ってくれといって席をハズした。私はこの人も同じで十時のお茶を飲みに行ったのかと早合点した。暫くすると彼が帰ってきた。手にはノートを持っていた。彼は私の説明をこのノートに熱心に筆記し始めた。私が、かねがねいっていたことが三人目になって、やっと実現した。私は嬉しくなって「ヤッター」と心の中で叫んだ。
彼を中心に私の協力隊活動が順調に進み出した。ことは、たかが「ノートヘの筆記」であったが、それは私にとって真の協力隊活動の歯車が噛み合い出した最初の重要な接点となった。
現地の人達は一言でいえば一般にのんびりしている。日本はすべての面で管理社会なので事故が発生した時の対策が徹底している。
西サモアでは電話が故障になっても、水道がストップしても、電気が通じなくても、そのうちに直るだろうと、のんびり定め込んでいる。
我々の感覚からすると当初はとても耐えられない感じであった。然し、だんだん馴れて来るに従い、このように「のんびりした社会」「ゆっくりした対応」これも捨てたものではないと思うようになった。
私は高令で協力隊に挑戦した。一度失敗したけれど、年令制限の四十才まで受け続けようと思ってやったところ、二度目に合格できた。私は家庭に子供を残して赴任した。この二年間、職場の人達や家内にいろいろと迷惑をかけた。これから出来るだけ頑張って、私の二年問のブランクを取り戻し、職場や家庭で私の協力隊活動を支えてくれた人々に対し十分恩返しいたしたい。それが、私が、あれほどまでに望んで行った自分の「協力隊参加」を、さらに意義あらしめることだと固く信じている。