現地隊員レポート 「りる」第40号より
ベトナム A.F.
平成16年度1次隊
養護
『ベトナム便りZ』
任期があと1ヶ月になり、こうしてベトナムから「りる」にお便りを書くのも最後になってしまいました。同僚に引き継ぎをし、荷物を片付けながら「生活に慣れ、配属先でやっと自分の居場所を見つけたと思ったら帰国・・・日本には帰りたいけど生徒とは別れたくない」というのが現在の心境です。
寄贈された補聴器と一緒に
ベトナムでは、本当にいろんな経験をし、たくさんのことを学びました。日本とは全く異なる生活(テレビがない、洗濯機がない、お湯が出ない、頻繁に起こる停電と断水)に身を置く中で当初、いらいらしていた私も「なければないで素敵な時間の過ごし方がある」と考えられるようになりました。
便利なことに慣れすぎ、些細な不便が発生するとカリカリしていた自分・・・日本は確かにモノが溢れ物質的には恵まれているけれども、日本人の心はそれに比例して豊かといえるのだろうかということについても考えさせられました。
11月から集められた補聴器、無事トゥオンライ特殊学校に届きました。(左:教頭先生)
また、ベトナム人は、何か問題が発生すると、極力自分もしくは家族の力で解決しようという傾向があります。年々核家族化が進み、家族の結束が弱まり、なにかあるととかく他人や社会のせいにしてしまう日本社会にも危惧を感じました(自分への反省も含めて・・・)。
日本の慌しい生活の中では、物事について深く考えることを怠ってきた私ですが、ベトナムで生活したことで、日本の社会・文化・教育についてさまざまな角度から考えることができたように思います。
そうはいうものの、正直最初の1年は非常に長く感じました。赴任当初からデング熱で体調を崩し、近所や同僚との関係も何もかもがうまく行かなかった4ヶ月目あたり、「私は気が狂ってしまったかもしれない(今となれば笑い話ですが、当時は真剣)」と思い、荷物をまとめたこともありました。
「自分とは全く異なる文化・習慣・常識に身を置き順応する」ということは、理論で考えるとたやすいことですが、身体でそれを理解するまでに、私自身は1年以上かかりました。もちろん、すべての隊員がそういうわけではなく、うまく適応する人も多いとは思いますが、「活動がうまくいかず苦しい」と感じている隊員の参考になればと思い敢えて書きました。「あせらず、あてにせず、あきらめず」頑張ってください。Good Luck!
イア・モールド作成中:材料を耳に詰めます。
そして、私自身は4月からまた日本の教壇に復帰します。たかが、1年9ヶ月でベトナムについて知り得たことなど微々たるものですが、この短い体験から得たものを今度は日本の教育現場で還元していけたらと考えています。・・・なんて書きながら、すっかりベトナム人化している私、日本社会に復帰できるのかちょっと不安な今日この頃です。
(追伸):ベトナムでの活動中、香川県青・海外協力隊を育:る会の皆様からたくさんの援助をいただき本当にありがとうございました。こうして、活動を無事終了できるのもみなさまのおかげです。末筆ながらこの場を借りてお礼を申し上げます。