帰国隊員報告 「りる」第17号より
トンガ I.S.
平成7年2次隊
電話線路
私は平成7年12月から2年間トンガ王国で電話線路の隊員として活動してきました。トンガ王国という名は日本へ相撲で来たことがあるとか、今ではラグビーの学生や社会人で活躍している人の中に数名いますので聞いたことがある人が多いのではないでしょうか。
しかしトンガ王国が地図上でどこにあるのかを知っている人は少ないと思います。よく「アフリカのどのへんにあるん?」と聞かれたりしますが、トンガ王国は南太平洋の小さな島国で日本人のよく知っているハワイを中心に説明すれば、赤道の北側にハワイ、同じ距離赤道から南に行って少し西に移動すれば、トンガと言うとみんなわかったような顔をしてくれます。
国中の島の数は170程あり、それらを全部合わせた面積が琵琶湖よりも少し大きな程度で私の滞在していた首都のある一番大きな島でさえ琵琶湖の半分くらいなのです。首都ヌクアロファの人口が約28,000人、トンガの全人口は97,000ですから、いかに小さな島国か想像できると思います。
トンガは比較的治安もよく気候的にも住みやすい国でした。12月〜3月くらいまでは夏で雨季になり、南半球ですから7〜8月が冬になります。冬といっても日本の4月か5月くらいの気温なので私はトンガの冬が好きでした。これといった大きな病気もなく猛獣とか蛇もいませんでした。
唯一、気を付けなければいけないのが放し飼いにされている犬で、犬に咬まれた隊員が何人もいました。治安のいい国なので隊員23人の内13人が女性隊員でした。トンガの主食は芋類ですが、我々隊員はマーケットでオーストラリアの米を買って自炊していました。
仕事先でよく昼食を出してくれる事があり、たいていは蒸した芋におかずはコーンビーフの缶詰、といった組み合わせでした。たまにはそのような物でも美味しく感じましたが、自宅で芋を食べようとは思いませんでした。日本に戻った今は全ての物が美味しいと感じています。
首都のあるトンガ・タプ島は非常に平坦で山がありません。川や池もなく水路も首都の一部を除いてはありませんでした。雨が降れば水溜まりができ、自然に土に浸透していくのを待つだけなので、土地の低い所では一日雨が降ると一週間くらい水が引かない村もありました。
私は主としてそのような村に電話ケーブルを張る仕事を設計の段階から任されていましたが、いざそのプロジェクトをスタートしても工具類や材料が揃っていないのでよく途中で作業を中断せざるをえないことがありました。材料や工具のことなど気にせず作業に専念できた日本がいかに恵まれていたか思い知らされました。
私のプロジェクトが始まるにあたり協力隊の支援経費でプラス、マイナスのドライバーやペンチ、モンキーそしてハンマーといった工具類を買い揃えてもらいました。私の作業チーム(4人)は当然そちらの工具を使っていましたが、私の任期が終わる頃には工具箱の中身は他のスタッフの工具と入れ替わっていました。
私が買ってもらった工具は恐らく他のスタッフの工具箱にあったでしょう。彼等には「これは俺が使う工具だ」という概念があまりないようで、「ある物は皆で使ったらいい」「これは少しの間借りているだけだ」と思っているようでした。日本人は小さな頃から「自分のことは自分で」とか「これはあなたの物」「これは○○さんの物」「人の物に手を付けてはいけない」と教えられてきています。でもトンガではそのような日本の常識はあてはまりませんでした。このようなことは私自身の中で納得できるようになるまでかなりの期間を要しました。
国が違えば文化や慣習が違うということは誰でも知っていることですが、それを自分が直接体験して受け入れなければならない立場であったことは今思えばかなりのエネルギーが必要だったように思います。私は日本で社会人としての経験が長かったせいもあり頭では理解しているつもりでも、素直にそれを受け入れるには他の隊員よりも多少長い時間が必要だったかもしれません。
事実、最初の半年間はトンガ人に対して毎日のように腹を立てていました。「どうしてそうなんだ。」「俺には理解できない。」とよく言っていました。しかし、そんな時期を過ぎると自分の中に精神的なゆとりができ彼等の考え方を素直に受け入れられるようになりました。その頃は「この今の状態がこの国に適応した状態なんだ」と思うようになりました。と同時に、自分は日本へ帰れば、すぐに仕事に復帰する立場だったので、『トンガ流』に染まらないように気を引き締めたのも事実です。
トンガに暮らしてみてあらためて日本のすばらしさを実感できましたし、文化ができ上がるのに気候風土は大きな影響を与えているということも日本と異なった文化に暮らしてみて初めて実感できました。日本の常識は万国共通ではないということ、それぞれの国に合った考え方、習慣があるということを2年間で体験し学ぶことができ、日本という限られた価値観の中で暮らしていた自分が大きくなったような気がします。
実際自分の中で価値観がかなり変わったと思います。任国の人達のために協力隊員として派遣されたはずなのですが、私がトンガの人達から得たものの方がはるかに多かったと思います。私にとって協力隊の2年間はこれまでのどんな経験よりもすばらしく、価値のあるものでした。
最後に活動期間中に大変お世話になりました育てる会の皆様にこの場でお礼を申し上げます。ありがとうございました。