隊員として帰国前に思うこと 「りる」第16号より
トンガ I.S.
平成7年2次隊
電話線路
今私の職場(トンガテレコム)では電話機の在庫が底を尽いて資材倉庫には一台の電話機もそして引込線(電柱から家に張る線)もありません。港には到着しているようですが40%の関税を払わないと品物を受け取れないのです。「港に着いているから明日か明後日には使用出来る」という返事を三週間程前から毎日のように聞かされています。
ある上司は「トンガテレコムは関税を払うお金がないので今なんとかそのお金を工面しているところだ」といっています。何をするにもこんな状態ですから、のんびりしているといったらいいのか、抜けているというのか、この先協力隊員がこの国に入り続けてもこの様な体制は変わらないと思います。しかしこの国にはこれが合っているのかも知れません。日本のやり方がどこへ行ってもベストとは限らないのです。
トンガの踊り 男性も女性もみんな柔道選手のような体つきです
この国には日本、アメリカ、イギリス、フランス、オーストラリア、ニュージーランドのボランティアが入っています。時々彼等とスポーツ交流と称してJOCV対他国連合チームでバレーやソフトボールの試合をします。彼等はフランス人を除いては母国語が英語なので全く別の国なのにまるで同じ国から来ているボランティアのように喋(しゃべ)っています。(当然のことですが・・・)我々はいつも「何か不公平やなあ」といいながら試合を楽しんでいます。
トンガの代表的な踊り タオルンガ
確かに他国のボランティアと我々JOCVとを比べれば言葉に関しては我々は非常に不利だと感じます。彼等はトンガ語を学ぶ時、自分達の母国語である英語で教えてもらいます。我々も彼等と同様に英語で教えてもらう事になります。我々の母国語とトンガ語の間に一つ別の言葉をかいして学ぶのです。ようするに英語ができなければトンガ語もなかなか理解できません。不公平ですよねえ。
トンガで暮らして語学力が上達したとは思えません。でも、トンガ人の喋っている英語は何とか理解できます。それはトンガ人も英語は第2外国語だからです。トンガ人の英語に慣れてしまうと今度はネイティブの英語は全く聞き取れません。でもこれは仕方ない事だと思っています。トンガ人は小学校から英語の授業があり、テレビ、ラジオ放送の半分は英語ですから、生まれた時からずっと英語を日常的に耳にしているのです。
それに公立高校は全ての授業を英語で行っている程です。映画館(国で一つしかない)へもよく行っているし、ビデオはすごく普及していてアメリカの映画を見ています。それらにはもちろん日本のように字幕はありません。日本で、もしアメリカ映画に字幕がついていなければ、はたしてどれくらいの人が映画を見るでしょうか。確かにこの国にはいろんな国からボランティアがはいっているような第3世界の国ですが、日本人よりもはるかに英語の語学力は上だし、ほとんどの人が家族や親族に外国に住んでいる人がいるといった環境で「トンガ人って日本人よりよっぽど国際人なんや」と思います。
どっしりと構えて懐(ふところ)が大きくいつも大声で笑っているトンガ人を見ていると、この国は変に先進国を真似(まね)るのではなくてこの国に合ったようにすこしづつゆっくりと発展していって欲しいと思います。(本当はこのままのトンガを残して欲しいのですが・・・。)
観光名所の一つ ハアモンガ
任期が一月余りになった今は二年間は早かったと感じています。今思えば来た頃は不安もありましたが、未知の経験に対する期待のほうが強かったと思います。協力隊の体験は私が「よそ者」になる事でした。小数者になる事で文化の異なる人々について学ぶだけでなく、自分についても学べたと思います。最初の頃は毎日のように腹の立つ事がいっぱいありましたが、「協力隊の目的は赴任先の文化や慣習を日本のように変えるというのではない」という事が少しづつ理解出来るようになりました。
トンガの海 ハアパイ諸島(リフカ島にて)
彼等の文化や習慣を尊重しなければなりません。種をまいてから収穫まで時間がかかるように、進歩がないように思えても長い目で見れば何がしかの貢献をした事になる。と信じる事が大切だと思いました。協力隊員としてトンガ人の人々のためになったと思いたいのですが、私が彼等から得たものの方がずっと多いと思います。日本でいたら気付かない事をたくさん学べたと思います。
日本にいたって時間を無駄に過ごしている人は大勢います。協力隊での二年間の経験はこれからの人生に大きな影響を与えると思います。トンガに暮らして人間は基本的に同じだという事がわかりました。価値観が違うのは文化が違うからで同じ人間として私達は生まれてくるのです。