異国で日本のすばらしさを実感 「りる」第13号より
トンガ I.S.
平成7年2次隊
電話線路
トンガに着任して九ヵ月が過ぎ、私より一年後輩の隊員候補生(平成八年二次隊)はすでに駒ヶ根訓練所(長野県)で訓練を受けています。本当に早いものだなあと感じています。丁度一年前、駒ヶ根訓練所での生活では日本に居ながらにして異文化を体験しているようなものでした。年齢、職種、出身地など全てが異なる人達の集まりでした。それまで私は社会人としての期間が長かったので、当然いろんな場所でいろんな訓練を受けていましたが、年齢や出身地こそ違っても同じ会社の人間である事に変わりはありませんでした。でも駒ヶ根での出合いは漁師、樵(きこり)、先生、百姓、医者、看護婦、土建屋、技術屋とそれはそれは話を聞いているだけで楽しくてしょうがなかったものです。
今思えば今後二度と体験出来ないであろう非常に貴重なものでした。そして日本を離れてはや九ヵ月、こちらでは自炊のため毎日同じような物を食べてるような気がします。日本にいた頃は、みそ汁なんてなくても別にどっちでもいいと思っていましたが、今ではみそ汁のおいしさ、ありがたさがよく分かります。
クイーンのクロオの誕生を祝うためこのようなゲートを作って企業も商店も祝福(S隊員の職場のゲート前にて)
町に一軒だけ日本人が経営している小さなお店がありますが、店頭に「みそ」が出たりすると、何処(どこ)からかその情報を聞きつけて隊員達が全部買ってしまいます。私は首都に滞在しているため離島の隊員が来たりするとよく一緒に外食に出かけます。
新旧隊員歓送迎会の餅つき 左 S隊員(日本語)とS隊員 県出身の二隊員揃った写真に何より安堵(あんど)
出かけると言ってもトンガの首都(ヌクアロファ)は人口二万二千人で日本でいうと小さな田舎町です。ここには中国人が多くチャイニーズレストラン(日本のようなレストランを想像してもらっては困る)も多くあります。それにディスコもたくさんあります。生活そのものは物も意外に揃っている事もあり一定のペースで送れますが、首都隊員であるが故に仕事以外で非常に行事が多く(帰国隊員の見送り、日本を紹介するイベントの準備など)週末も暇がない程です。南国の楽園をじっくりと味わいながら過ごしていると言った雰囲気はまずありません。
でもここに居れば日本のニュースも一〜二日くらいあれば知る事が出来ますし、JOCVのオフィス(調整員事務所)では衛星放送でNHKの大河ドラマを見る事が出来る程です。今年の高校野球の決勝戦(松山商−熊本工)もビデオに撮って隊員連絡所(隊員が集まる家、洗濯機やビデオもある)に貸してくれました。隊員の中に熊本県出身が二人いたので結果が分かっているにもかかわらずみんなで大喚声をあげながら見てしまいました。
そしてなによりもここ(異国)で暮らしていると日本と言う国がよく見えるようになります。トンガでは日本のように四季がありません。一応冬にあたる時季(七月、八月)はありますが、それでも気温は日本の六月くらいは十分あります。
一年中Tシャツ姿で過ごせる国です。日本人の勤勉さ、折り目の正しさ、時間に対する正確さ等は日本の気候風土が育てあげたものだと思います。もし日本でもトンガの様に一年中殆(ほとん)ど変わらない季節なら勤勉で物事の節目を大切にする民族にはなっていなかったと思います。
これは驚き! トンガ訪問の「育てる会N会長」を囲んで 右 S隊員 左 S隊員(日本語)
確かに夏は暑過ぎ、冬は寒過ぎるかも知れませんがあのちゃんとした四季があるからその時々で気分転換も出来るのではないでしょうか。私はこちらに来て日本の四季が好きになりました。
隊員連絡所で(中央 S隊員)
トンガと言う国を少しは理解出来る様になったし日本の事もよく見える様になったし(今のところ日本のいいところしか見えていません(今はいい経験をさせてもらっていると思っています。仕事の方も十一月から本格的に私のプロジェクトが始まりますが、今はその準備作業に追われています。二年目に入ると今よりも自分のペースで仕事に専念出来るのではないかと思っています。自分の考えたプロジェクトを一年頑張ったら丁度任期が終わります。二年なんて「アッ」と言う間でしょう。またお便りします。
現場の作業風景 トンガ人が通話している器具はS隊員が日本から持参したもの(作業服も履物も佐々隊員からみれば「0」との評)