視察の旅タンザニア紀行 「りる」第14号より
(現地からの追加報告)タンザニア H.I.
平成7年1次隊
果樹
第13号に母が書いた「紀行」が掲載されておりましたが、今回はその補足説明をしようと思います。
タンザニアは昔、タンガニーカとザンジバルという2つの国でした。それが1つに統合されタンザニアとなったのです。本土とザンジバル島を行き来する時に形式的な税関・検疫の審査を受けるのはその当時の名残りなのです。船のチケットを買う時にパスポートを提出するのは、タンザニア居住者か旅行者かを区別するためです。旅行者のチケットは居住者の約3倍の値段で、しかもUSドル払いが義務付けられています。
ザンジバルは島民の約9割がイスラム教徒。常夏の島なのにイスラムの女の人は頭からつま先まで黒い布で覆って外出しています。島の経済はビーチリゾートで来る観光客から出るお金でまかなっている部分が大きいのですが、下水管理が全くできていないため、折角のきれいな海もどんどん汚染されています。下水処理の様な見えない援助もやってもらいたいものです。
ザンジバル港
次に私の任地ムベヤヘ。ムベヤはダルエスサラームから西に約九百キロ、マラウィとザンビアとの国境の町です。ムベヤヘ行くには危険な高速バスか、ゆっくりゆっくり進む鉄道のどちらかを利用します。鉄道はザンビアまで行っているエクスプレスとタンザニアだけの各駅停車の2種類あります。ダレス−ムベヤ間エクスプレスは19時間、各駅停車だと23時間かかります。しかし、整備不良のためによく故障し、2〜3時間の遅れはあたりまえです。
ムベヤのマーケット
私が住んでいる村を通っている道路はマラウィにつながっており、マラウィ湖まで約80キロ。ザンビアヘ行くにはムベヤから村とは反対方向に延びている道を行きます。村には電気は通ってませんが、水は豊富に出るので助かりました。母は「娘の家は電気もつくし水道も家の中まできている。」と簡単に書いていますが、ここまで整えるには苦労しました。
JICAが置いていった発電機は緊急時用の無線のバッテリーを充電するために貸与してくれたもので、発電機−チャージャー−バッテリーとつなげて使用します。ところが発電機は日本製、チャージャーは外国製でコンセントプラグが合わず、つながりません。日本でおなじみのプラグはこちらでは売っておらず、電気の隊員に日本製プラグを分けてもらい、自分でコードを取り換えてやっとつながりました。
電球を付けるのも隊員に教えてもらって材料を全部買い揃え、配線しました。水道も庭にしかなかったのですが、これまた水道工事のできる隊員にパイプを切断するところから手伝ってもらって(私が手伝っていたという方が正確)家の中に引き込みました。流し台も大工さんの所に砂のふるい方・セメントと砂の配合・セメントの塗り方等を教えてもらいに行って自分で作りました。
「隊員は現地人と同じ生活を」と言われる人もいるかもしれませんが、工夫してみて、今まで自分が持っていなかった技術を身に付ける。そんなチャンスがあるのも協力隊時代ではないでしょうか。
少し話は逸(そ)れましたが、最後にダルエスサラーム。郊外にマコンデ村というのがあります。土地の名前ではなくて観光地の名前です。マコンデとは人や動物の形に黒壇を彫ったもので、タンザニアのお土産の一つになっています。
マコンデ村はマコンデを販売している小さなお店が約70店舗集結した所の俗称で、そこには多数の職人がいて彫っているところを実際に見ることもできます。
長くなってしまいましたが、この辺りで補足説明を終わりにしたいと思います。
タンザニアの子供達