現地隊員レポート    「りる」第33号より

                                                    セントルシア  E.T.
                                                             平成15年度1次隊
                                     小学校教諭
                                                                

 島国セントルシア

 『南国』。これがセントルシアの第一印象です。ほとんど人のいない空港に着いたときムワァっとした生暖かい空気に包まれながらそう感じました。空港から首都カストリーズまでの移動中(時間にしておよそ1時間)、景色を眺めながら日本の山道となんら変わらないと思いました。しかし、山に生えている木がヤシの木だったりバナナの木だったりとそこからもやっぱりわたしのイメージ南国を彷彿(ほうふつ)させました。

 カリブ海に浮かぶ小さな島国『セントルシア』。これから2年間わたしがお世話になる国です。人口は高松市の半分(約15万人)国全体の面積も淡路島ぐらいの大きさで、一日でがんばれば島一周ができますが、ほとんどの道が狭く曲がりくねった山道で舗装されていない道もまだまだ多ので、酔いやすい人には厳しい道だと思います。

 気候は一年中夏。確かに暑く、それも蒸し暑いのですが日本の夏とそう大差はないと思います。暑いなりにも四季があり、最近は着いた頃より涼しくなってきました。着いたときからずっと雨季で、雨がとても多いです。しかし、ざーっつと降ってもしばらく雨宿りをしているとまたからっと晴れるという天気なのでそれほど雨に悩まされることはありません。12月から始まる乾季はからっとしていて、夜は涼しく一年で最も過ごしやすい季節になるらしいので楽しみです。

 ここで少しセントルシアの歴史についても触れたいと思います。セントルシアは大航海時代にフランス人が最初に植民地にし、そこから約150年間フランス人によって支配されていました。その後イギリス人に約150年間支配され、わたしが生まれた年(一九七九年)にイギリスから独立をしました。

国民のほとんどがアフリカ系の黒人で、みんな英語を話します。田舎のほうにいけばクレオールというスラングなフランス語といった感じの現地語が使われていますが、最近ではクレオールを使えない子供も都市を中心に増えてきています。フランスとイギリスの植民地だったという歴史的背景があるので、地名や人名は英語だったりフランス語だったりします。

 では食事もフランス料理やイギリス料理かというとそうではありませんでした。街にはレストランやお弁当を売っているお店がとっても多いのですが、どこも決まってブレッドフルーツやダシーンという芋類、カリブ米に煮込んだ豆をかけたもの、煮込んだ鶏肉、マカロニ&チーズ、プランテンというバナナのようなものといったセントルシア料理を売っていて、みんなそれを食べています。セントルシア料理以外のものはちょっとオシャレなレストランにいかないと食べられないですね。

 街には大きなスーパーが何件かあり、そこではアメリカからの輸入品を扱っているのでアメリカで売っていそうな物ならだいたい手に入ります。一度品物が売り切れると次に入ってくるのはいつになるか分からないという問題はありますが、いまのところ食べ物に関してはそんなに不自由はないです。

 生活に関しても、この国は思っていた以上に発展をしています。電気・ガス・水道・テレビ・電話はほぼ島全体に普及していて、その他多くの電化製品も使われています。携帯電話も普及しており、たまに小学生が持っていたりするのにはびっくりでした。

 国民性はのんびり、マイペース、そして親切です。そんなセントルシアンの性格に救われることも多いのですが、約束はあまり守らないし、頼み事もすぐに忘れていたといい、適当・いいかげんな面もあります。治安は以前はとってもよかったのですが、最近だんだんと悪化しているとよく聞きます。日中は問題がないのですが、日が暮れると一人で出歩くのは危険になります。その原因の一つが発展にあるような気がするのですが、途上国には途上国の良いところがたくさんあり、そのままであって欲しいと思いますね。

 セントルシアは島国、そして国民のほとんどが黒人(一人種)という点で日本ととてもよく似ています。街を歩くと日本人はとても目立ちます。いつも視線の対象になり、どこか行動を監視されている気がするときもあるます。また、中国人に間違われることがほとんどで、ときには「チンチョン、チョンチョン」といわれ差別されたり笑われたりもします。

日本もアジア諸国に対して未だにそういう傾向があるなど、実際に自分がそういう立場になると考えさせられることが多く、このような経験を含めてこの国では貴重な体験をたくさんすることができています。

 そろそろ肝心の活動のほうへと話を移したいと思います。といっても活動が始まってまだ4ヶ月。まだまだ暗中模索という状態です。

 セントルシアには8つの教育分所があり、わたしの配属先は教育第2分所で、首都にあります。第2分所の管轄には8つの小学校があり、そこで体育と算数を巡回指導するというのがわたしへの活動要請です。小学校の構成も日本とは少し違い、学校の規模にもよりますが、幼稚園〜6年生・7年生・8年生まであります。セントルシアでは中学校に上がるためには試験を受けなければならず、6年生のときに受験に合格した子は次から中学校に上がります。

失敗した子は7年生に進んでまた受験、そして失敗すると8年生をします。幼稚園〜8年生までを対象に8つの学校の算数・体育の巡回指導なんてとてもじゃないけど不可能。この4ヶ月は学校を回って授業を観察し、問題点や学校の雰囲気を知った上でどのようなアプローチをするかを考え、2学期(1月)から具体的な活動を開始しようと思っています。

 「協力隊活動はマニュアルがないから自由でもあり大変でもある。だけどそこが面白いところ。たとえ2年後自分の活動は失敗だったとしても誰からも責められたりしない。大切なのは2年間の間にいろいろ悩んだりしてどれだけ自分が成長できたかだ。」と調整員の方に言われました。来た当初は何かをしなきゃ、何か結果を残さなきゃと少しあせっていたのですが、今はとにかくマイペースでがんばりたいと思っています。

 具体的な活動に関しては次回詳しくということで、今回はこのへんで失礼します。