帰国隊員レポート             「りる」第78号より 

                                                    セントルシア   玉井 千津子
                                                             平成29年度(2017)2次隊
                                         作業療法士
   

『セントルシアでの活動を終えて』

 2017年9月より、カリブ海のセントルシアという淡路島程の小さな島国に派遣され、島で唯一の公的な高齢者施設にて、入居者に向けて作業療法を提供した。

疾患特徴としては、ある程度動ける精神疾患者が多かった(セントルシアでは、自宅で介護を行うのが通常モデルであり、自宅で看ることが難しい精神疾患者が施設に入所するケースが多い)ので、身体訓練的な機能回復リハというよりも、手工芸や脳トレ、軽運動やレクリエーションなどを用い、施設内での生活を充実させるための活動を意識して提供した。
施設の蔓でクリスマスリース作り

 赴任時にセントルシア政府からは大きな期待の言葉が掛けられたが、実際の現場に行くとリハに対する必要性の理解は非常に乏しく、作業療法に必要な道具や材料、それらを買うための資金はほぼ無かった。
できあがったクリスマスリース

更に施設マネージャーからは「欲しかったのは作業療法士ではない、理学療法士だ」と言われ、とても厳しい環境にあった。私は当初、道具や材料を必要としない活動を提供していたが、どのように工夫しても限界があり、マンネリ化は否めず、入居者の興味を惹きつける活動を継続することは極めて困難な状況にあった。
廃材で作った輪投げ

 何とか必要最低限の材料や道具を揃え、魅力ある活動を継続させるために、入居者とともに新聞や雑誌からペーパーバスケットを作成したり、施設のフェンスの蔓を編んでクリスマスリースを作ったりして、それらをスタッフや地域の人々、観光客に販売した。
輪投げで遊ぶところ

 そうすることで少しずつ資金を得て、基本的な材料や道具を買い揃えた。具体的には、手工芸用のためのはさみ、ノリ、ペン、色鉛筆、色紙、絵の具、セロハンテープ、ホッチキス等々。軽運動やレクリエーションのための、様々な大きさのゴムボール、木製スティック等々。店頭で適当な道具が見つけられない時は、廃材を利用してボーリングや輪投げ等、様々な道具を自作した。
ペーバーバスケット講習会

 このように活動の軸として、資金を生み出すための手工芸を行い、作品を販売して徐々にリハの拡充を行っていった。それは私が2年間ずっと継続していたサイクルである。特にペーパーバスケットは思いのほか売れ行きがとても良かったので、他の隊員(コミュニティ開発や環境教育、青少年活動の隊員等)が興味を示し、彼らは私の施設に来たり、私の方から講習に出向いたりして、隊員間での技術共有を盛んに行った。
ペーバーバスケット講習会

そして、リクエストに応じて地元民に対してのペーパーバスケットの講習会も行った。最終的に約6万円程度を売り上げ、その全てを何らかの形で施設に還元し、後任に道具や材料を残すことができた。
ペーバーバスケット作品

 勿論、順風満帆にそれらが上手く進んだ訳ではない。施設は基本的にリハに対する理解に乏しく、スタッフの入れ替わりが激しいために慢性的な人材不足で、常に何かしらの問題が起きた。
ペーパーバスケットを持つ玉井隊員

施設改修によりある日突然リハ室が無くなったり、道具や材料が無断で大量に廃棄されたり、少し高価なものは盗難に遭ったりと、何度も何度も精神的に打ちのめされ、一筋縄ではいかなかった。

私は当初、系統立った週間プログラムを作り、それに沿って活動を定着させていきたかったが、結果的にある程度の枠組みはできたものの、完全に定着させるまでには至らなかった。

但し、特に南部界隈でリハとしての手工芸が新鮮なものとして現地の人々に受け入れられたこと、隊員間で技術共有ができたこと、そして手工芸販売で得た資金により、ある程度の道具や材料を残せたことについては、多少なりとも痕跡を残せたのではないだろうか。

私はこの2年間、施設での作業療法士としての存在意義を含めて、常に何かしらの活路を見出すことが任期中の最大の困難であり課題であった。大きな成果を挙げることはできなかったが、最後まで作業療法士として、ブレることなく施設入居者ならびに地域コミユニティに作業療法を提供し続けたことは、良かったのではないかと思う。

☆セントルシアはどんなところ?言葉や人柄は?

セントルシアは淡路島程の小さな島国で、旧宗主国はイギリス。国民の多くは、奴隷として連れて来られたアフリカ系の黒人である。一年中温暖なカリブ海の観光立国であり、北半球地域の冬季にはアメリカやイギリスなど先進諸国から避寒地として多くの観光客が押し寄せる。
イギリス統治時代の史跡

ピトンという二つの双子のような世界自然遺産の山があり、美しいコバルトブルーの海岸が広がる。海岸線には観光客向けに超高級ホテルが立ち並び、主に白人のハネムーンやリタイヤ組が悠々自適なバカンスを楽しむ。
奴隷時代の巨大さとうきび農園跡

故に、表面的には非常に発展しているように見えるが、現地住民にその富が行き渡っておらず、また北部の首都周辺と私の派遣されていた南部地域の地域格差も大きい。
双子のピトン山

 殆ど全ての物が輸入品であることから、物価は非常に高く、日本で100円均一で入手できるものが400〜500円程度で売られている。電気、水道、ガス、衣類、食料品、生活用品、レストラン、ほぼ全てにおいて日本より高く、日本で生活する方がずっと安上がりだ。
綺麗な海

 典型的なローカルフードは、チキンや豆、イモ類を使い、それらを揚げたり妙めたり、蒸かしたり煮込んだりする。基本的にどれも油っこく、私は現地の食事にあまり慣れることができず、セントルシア生活で痩せた。島国だが、漁の技術や魚の保存方法の問題から、新鮮な魚の入手は難しく魚自体があまり流通していない。
ビーチの観光客

肉や野菜はスーパーやマーケットで気軽に入手できる。驚くべきことは、現地人の食事量。彼らは軽く私の2〜3倍以上の量を食べる。しかし、定期的な運動習慣のある人は少なく、肥満や糖尿病が非常に多い。
田舎のマーケット

 宗教は、国民の殆どがキリスト教徒で、公立の学校でも宗教関連の授業が行われる。多くの人々は週末になると教会に行く。また協会主催の行事も頻繁に行われるため、宗教的な意味合いのみならず、人々の社交場としても重要な役割を果たす。
カーニバル

 言葉は英語とパトワ語という現地語(フランス語に近い)があるが、ほとんどの場合英語で通じる。人柄は、陽気で感情表現が豊か。良くも悪くも約束や決まりにルーズ。感情は激しい人が多いが、あまり根に持たず、今日言い争いをしても、明日にはニコニコ笑って気にしている素振りはない。そして、本当に仲良くなれば、家族のように接してくれる愛情深い人々だ。

☆ボランティア経験を社会に還元又は発信するためには?

 国際貢献とは、日本から外に向かって何かをするということだけでなく、外から日本に入ってくる人々に対してのケアも含まれると考える。特に医療福祉分野では、日本の少子高齢化が進むにつれて、看護師や介護士など、外国人労働者が増える可能性が高い分野だが、彼らの多くは言語・技術の両面で大きな壁があり、それらをどのようにフォローしていくかが今後の大きな課題となる。
美しい夕暮れ

私は今回の経験により、ある程度の途上国の人々のマインドや言葉を理解しているので、彼らが日本の環境に上手く適応できるよう、何らかのアプローチができればと考える。