現地隊員レポート             「りる」第59号より 

                                                    セネガル   T.W.
                                                             平成21年度4次隊
                                         村落開発普及員
    

 

『セネガルでの暮らしの中で気づいた「地域に貢献したい」という思い』

 2012年3月末まで青年海外協力隊(JOCV)としてセネガルに派遣されていた若宮武さん(H21年度4次隊/セネガル/村落開発普及員/香川県出身)。帰任にあたって2年間の活動をふりかえりました。

 国際開発業界を目指して参加した青年海外協力隊。日本から遠く離れたセネガルの村に暮らして気づいた「地域に貢献したい」という思いについて語ってくれました。

農家の男性と話す若宮JV

住民のアイディアを加えて作られた養蜂箱

 私が広めているセメント製養蜂箱は、他の養蜂箱に比べて蜂蜜の生産効率に優れ、長持ちもし、型枠を用意できたことで、これを安く簡単に作れるようになりました。

 確かに、住民の関心は買いました。しかし住民が費用を負担してセメント製養蜂箱を製作するには至っていないのが結果です。隊員である私が残せたものは結局、「隊員側が」費用の負担をし、「隊員が」音頭をとって住民と一緒に作った養蜂箱だけで、そこからの広がりは見られない・・・2例を除いて。

冷蔵庫を利用した養蜂箱

 実はたった2つだけですが、私が広めている養蜂箱の特長である、箱内にトップバー(棒状の部材)を並べる構造を持ちつつ、住民のアイディアをそこに加えてコストを抑えた養蜂箱が、私の知らないうちに作られていました。

 ひとつ目は木の板とトタン板の廃材を利用して箱とふたにしたもの。これを作った人はそれまで私と一緒に養蜂をしてきたわけでもなく、研修に参加したわけでもなく、村で私に会うと世間話をしながらお茶をする程度の仲でした。しかし実は、私たちがやっている養蜂を彼ははたで見ていて、今回、自作してみたようです。

 ふたつ目は奇抜で、壊れた冷蔵庫をそのまま、養蜂箱にしたものです。壊れた冷蔵庫を400円程度で購入。扉が上面になるように冷蔵庫を横倒しにし、側面に巣門(蜂が出入りする窓)を開け、内部にトップバーを吊り下げています。そしてどちらの養蜂箱にも早々に、蜂が住み着いています。これらの採蜜をする頃には、私はもう帰任していますが、彼らが自分たちの養蜂箱でおいしい蜂蜜がたくさん採れることを願うばかりです。

セネガルの村に暮らして気づいたこと

 さて私は、将来、国際開発業界に入ることを目指してこの協力隊に参加しました。途上国の現状、国際開発の現場を実際に見ながら、将来、国際開発のどの分野に進むかを見極めることが日標の一つでした。この任地も、国際開発の世界で必要とされるフランス語を公用語としているセネガルを選び、その中でもこのNioro県はJICAのプロジェクトが最近まで入っていたという理由で志望した場所です。

 実際来てみたセネガルは間違いなく、いわゆる途上国であり、JICAはもちろん、先進各国政府、国連機関、国内外NGOがあちこちに見られる、まさに、国際開発の最前線でもあります。任地においては日常会話が現地のウォロフ語ではあるものの、自身で心がけさえすれば、フランス語の力を伸ばすことのできる環境です。希望したとおりの協力隊派遣です。

 活動の傍ら、海外の大学院の資料を取り寄せたり、開発コンサルタントの方にお会いして、今後のキャリアアップの相談にのってもらったりしていた、着任から1年弱が経った頃のことです。任国外旅行で3週間ほどセネガルを離れたことがきっかけとなったのか、これまでセネガルで見たこと、感じたこと、考えたことが頭の中でスーッと整理されていきました。そして思ったことは、「高松で暮らそう」ということでした。

 国際開発を志し始めたのは大学2同生の頃で、それからこの時まで、志が変わることは一切ありませんでした。それがまさか、志の実現のために来た協力隊のあと「国際開発へは進まない」となるとは思ってもみませんでした。

 途上国の人びとの暮らしが良くなるようにと私たちがあれこれしようとするものの、外部者であるが故に、住民の暮らしに対して無責任でいられてしまう感覚。外国からの開発ワーカーたちがプロジェクトに精を出している一方で、お構いなしにその地で平和に過ぎていく、人びとの日常。そんな人びとの中には、試行錯誤している地元NGOやセネガル人開発ワーカーたちの姿も見ることもできます。

地元NGOの会議

 また、苗木の供給、上水道の整備、家畜の病気予防、農業技術の普及、と言えばさもプロジェクトかと思いきや、実はこれらを担っているのはそれぞれ、地元の育苗家、配管工、獣医、篤農家だったりします。彼らは自分たちの仕事をまさか、プロジェクトだとか開発だとは考えていませんし、日々の仕事としてやっているだけです。そんなごく当たり前のことに、私はセネガルの村に暮らして初めて気づかされました。

育苗している様子

 もうひとつ、私に印象を与えたのは、村人たちの日常の姿でした。木陰で寝そべってお茶を飲みながら、「お金がないよ」と言って笑い、雨季には父と子で畑を耕し、結婚式があれば村中総出で祝い、人が亡くなれば共に涙を流し、子どもたちは大声上げてサッカーに夢中になる。

村の食事風景

 先進国の人間が途上国で感じる、ありがちな「ないものねだり」かもしれませんが、率直に言って、なんと羨ましい人間的で幸せな日常!

 一方、もし国際開発の道に進むならば、家族、親兄弟、友人を遠い日本に残して単身赴任、もしくは妻子だけを連れて数ヶ月、数年おきに日本と世界各地を転々とすることになるのでしょうか。それまでは、将来、どんな仕事をしたいかは考えても、どんな暮らしをしたいかは考えてこなかった気がします。もちろん、日本とセネガルの村とではライフスタイルがあまりにも違います。しかしそれでも、家族、親兄弟、友人のそばで、ある地域社会に腰を据えての暮らしぐらいはしたいと思うようになりました。

協力隊参加で得た経験と気づきの価値の大きさ

 セネガルにはセネガルの解決すべき課題があるのと同時に、日本には日本の解決すべき課題があります。国際開発ではなくてもやはり、人々の暮らしを良くしていきたい、地域に貢献したいという思いは変わらぬままです。その舞台は、外部者として扱われる海外ではなくて、私自身がそこの「市民であり、当事者となる地元香川でありたいと思うようになっただけのことです。それも、やれ公務員だ、町興しだ、ボランティアだと意気込んでそれを専業とするわけでもなく、あくまで、普通の一市民として。

 この協力隊は2年間の期限付きではあるものの、ここセネガルで暮らしながら得た経験や気づきは、数週間滞在の旅行、フィールドワーク、スタディーツァーでは決して得ることのできないものです。隊員がその後、国際開発の道に進むか進まないか、海外に出るか日本に戻るかに関わらず、協力隊で得た経験と気づきの価値は大きいはずです。あれこれ議論され、応募者も減少していると言われる協力隊ですが、私は同年代の人たちに積極的に、協力隊に参加することを勧めていくつもりです