現地隊員レポート 「りる」第55号より
セネガル T.W.
平成21年度4次隊
村落開発普及員
『アナフィラキシーショック』
前号では、私の任地であるセネガルや、メディナサバ村、私の配属先の紹介や、前任者から養蜂支援の活動を引き継いだことを書きました。その養蜂支援活動として、雨季の風雨で転倒した養蜂箱を直すという作業をいくつかの村でやってきました。カイモール村に設置した養蜂箱もまた、転倒したうちのひとつです。防護服を着て、村人と一緒に倒れた養蜂箱を抱え上げ、新しい設置場所に運び、設置という作業を9月半ばに行いました。
転倒した養蜂箱養蜂箱の表面は入りきらんばかりのミツバチたちでいっぱい。抱え上げた養蜂箱はかなり重く、中は蜜や幼虫たちでいっぱいということが分かりました。蜂の数自体が多かったこと、重い養蜂箱を誤って一度、落としてしまったことがあり、蜂の攻撃は今までにないほどの激しさでした。作業を終え、防護服を着たままいくら追い払っても、走って逃げ回っても蜂の攻撃は終わる気配がありません。
腫れ上がった患部防護服の生地は厚く、体は汗だく、蒸し風呂状態になってき、わずかな隙間からどうしても少しずつ入ってくる蜂の数も、みるみる増えてきます。頭や顔がどんどん刺されていき、おそらく、30箇所近く刺されたのだと思います。蜂の攻撃がようやく収まり、防護服を脱いで村人の家に帰宅。日も暮れてきたので、今日は村人宅に泊まろうということになりました。
水浴びのために服を脱いで初めて気づいたのは、全身の発疹。と同時に、激しいかゆみに襲われました。これは、「1、2箇所刺されて痛い、痛い」といういつものレベルとは違うと思い、JICAの健康管理員に相談の電話をし終わったとたん、吐き気がして嘔吐。トイレから部屋に戻るときには、まっすぐ自力で立てることもままならず、両脇を抱えられながらベッドに横たわりました。
アナフィラキシーショック。インターネットで調べたことがありました。蜂毒によるショック症状。再度、健康管理員に状況を報告し、近い任地の同期隊員の手配で救急車を出動することに。
しばらくして、救急車が到着。症状は少し軽くなったものの、刺された箇所の腫れ、痛み、かゆみは強く残っていました。最寄の病院で点滴を受け、一晩入院の後、首都ダカールに上京。専門医による治療を受け、JICA事務所からは今後、蜂に刺されるような作業の禁止を言い渡されました。
養蜂支援の活動は、ここであきらめざるを得ないのか。否。むしろ、養蜂箱は私のものではなく、村人のものなのだから、養蜂箱のメンテナンスや採蜜といった作業は私を抜きにして、村人がやっていくというスタンスで、なんら、問題はないのではないか。
私は、村人に必要な知識や技術を提供したり、養蜂を継続していくための仕組みや組織づくりをサポートしていけばいいのではないか。前任者は養蜂を「始める」ための活動をしました。私は、私がセネガルから居なくなってからでも、村人が養蜂を「続ける」ための活動をやっていこう、と思うようになったのは、今思えば、あのアナフィラキシー事件の頃だったのかもしれません。
次号につづく