アフリカ・セネガルの活動をふりかえって   「りる」第28号より 

                                                    セネガル  H.S.
                                                             平成10年度3次隊
                                         野菜
    

  現在50数ヵ国あるアフリカ、いったいどれだけの人が住んでいるのか、どれだけの人が毎日ゴハンを食べられるのか、毎日どれだけの人が死に、どれだけの新しい生命が誕生しているのか・・・。アフリカがテレビに映されるのは、飢餓や暴動、災害があった時か、昔ながらの生活を続ける人々や野生の動植物の映像に限られています。

昔、緑に覆われていたアフリカ大陸がなぜ砂漠化しているのか、現在のアフリカに住む人達が何に興味を持っているか、などを知る機会はあまりありません。


 そんなアフリカのセネガルで2年間、野菜栽培の指導をしてきました。セネガルはアフリカの最西端にあります。日本との時差はグリニッジ天文台のあるイギリスと同じ、9時間です。日本の半分ほどの面積に、約860万の人が暮らす多民族国家です。人口のおよそ9割がイスラム教徒で、その他、キリスト教徒やアミニズムを信じています。

憲法では、政教分離を唱え、イスラム教の祭日も、カトリックの祭日も国民の祝日となっています。公用語は、フランス語です。小学校の授業やテレビのニュースはフランス語ですが、家では、それぞれの民族の言葉で生活しています。2001年には大統領選挙がありました。民主選挙で無事に大統領が入れ替わったのは、アフリカではめずらしいそうです。


 国の間を割るようにガンビアという国がいりくんでいます。国の形は、雄ライオンの横顔のようなので、サッカー・ナショナル・チームの名前はLIONS(フランス語で、ライオンの意味)といいます。今度のFIFAワールドカップに出場するので、日本にきたら、彼らがライオンの名に恥じない強者たちか注目してみましょう。


セネガルにコレ島という島があります。昔、奴隷貿易が盛んだった頃、コレ島に、西アフリカ周辺の奴隷を集め、アメリカなどに輸出していました。「ルーツ」という本をご存知の方なら、イギリスやフランスによって奴隷狩りの行われていた西アフリカの様子を思い浮かべるかもしれません。その舞台となったのは、ガンビアといわれています。

現在アメリカの西アフリカ系アメリカ人たちは、民族衣装を着たり、伝統的な音楽を学んだりと、自分たちの民族の伝統を受け継いでゆこうとし始めています。アフリカの多くの人々が、昔の植民地支配や、奴隷貿易の影響で、アフリカの経済の発展が遅れていると考えています。今でも、「植民地支配をしていた国」と「されていた国」の間の大きな課題として残っています。


 首都はダカールで、パリ・ダカール・ラリー(パリ・ダカ)の終着地点です。セネガルで良く見かける新しい車は、日本生まれのパジェロが多いようです。大西洋に面していて、漁業が盛んなセネガルは、日本にも魚や、イカ、タコなど輸出していたことがあります。現在、養殖を指導している協力隊員、台湾やベトナムの漁業専門家のおかげで、生牡蠣も食べる事ができます。


 北部内陸は砂漠化が深刻になってきています。砂漠にはなっていなくても、地下水位が低く、50mの深さの井戸から水を汲み上げているところもあります。井戸を掘っても、飲料水や野菜の栽培には使えないような塩分濃度の高い水がでてきたりする地域では、植物を育てるのも大変です。

1970年代までは、このような地域も緑が生い茂り、飲み水も、料理のための焚き木も見つけることは簡単でした。しかし、旱魃のために、今までと同じ収量のトウモロコシや落花生を収穫するには、作る土地を開墾しなければいけませんでした。同じ作物を作りつづけると、その作物は同じ養分ばかり使うので、土地の養分に偏りがでてきて、収量がへってゆきます。さらに開墾、土地が痩せ、・・・どんどん樹木はなくなり、土地の保水力が弱まり、表面の栄養のある土が流される。収入の良い職を求めて、若者は都会に行ってしまいました。

今では、細々と暮らす農民とやせた土地しか残っていません。女性達は飲料水の確保、焚き木のかわりの牛糞を集めるために、さらに働かなければいけません。こんな深刻な状況になって初めて、農民達は今までの暮らしを反省し、持続的な農業を模索し始めています。


 私が派遣されていたのは、首都から車で、10時間ほどのコルダという州都の街です。セネガルの南部・カザマンス地方は8月から11月の雨季の1000mm近い降水のおかげで、北部に比べると格段に、農業や生活に使う水に恵まれています。そのため昔から、稲作が行われています。アフリカの稲作風景は、テレビで見る東南アジアの田園風景に似ています。

セネガルの北部の大きな河川付近では、JICAや外国の援助を受け、河川から水を引き大規模な稲作が行われています。近年、昔からのトウモロコシやソルゴー中心の食事から米中心の食生活に変わりつつあります。女性の家事への負担は軽減されますが、ミネラルや食物繊維の豊富なトウモロコシ、ソルゴーから、あまり栄養のない精米にかわることは、今後、病気の原因にならないか心配です。普段食べている米のほとんどが、インドやパキスタンなどからの援助米や輸入米です。日本の援助米もみかけたことがあります。

主食は米、トウモロコシ、ソルゴーと、お金に余裕があればフランスパンも食べます。カレーやハヤシ・ライスのようにソースのかかったゴハン、トウモロコシやソルゴーを製粉してつくるクスクス(少量の水で小さな粒状にし蒸したものに、ソースをかける)は北部より南部の方が、食材が豊かなため、バリエーションが多く、おいしいです。


 市場には、マンゴー、パパイア、バナナ、オレンジ・・・などのくだものや、カシューナッツやピーナッツ、サツマイモ、焼きトウモロコシが季節の移り変わりとともに次々とならびます。市場をのぞけば、こんなに食べ物に恵まれているのに、「貧しい」のはどうしてか不思議になります。昔、カザマンス地方では、自給自足ができていました。しかし、「外」から入ってきた、テレビやラジオ、冷蔵庫などの電化製品、学校、病院、衣料、食料にはお金が必要です。

「外」から入ってきた、医療技術や農業技術などにより、赤ちゃんの死亡率の減少、寿命の上昇、農作物の収量の増加、など、あらゆる面で生活が便利になったことも事実です。その反面、自然の植物を利用した伝統的な医療技術、民族の習慣や言葉など、忘れ去られつつあります。


 「貧しい」アフリカは、外国のNGO・NPOの援助をうけています。「開発」をするための「援助」です。ある人が、こう書いています。「・・・アフリカでは開発としてまかり通るものの大部分は実際には西欧化のこと・・・開発は教育・・・いかに多くの援助が得られようとも、農民グループがその未来を本当に自分のものにすることができるのは彼らの自助努力のみ・・・食糧援助は人々を怠け者にする。それは援助依存の傾向を生み出す。・・・」と。


 実際、セネガルのコルダで2年間暮らして感じたことでもあります。 セネガルの農村には女性グループをはじめとした農業グループがあります。農業グループでは、農業技術の向上のために情報交換をしたり、新しい野菜の種や農機具を購入したりと、グループ・メンバーの農業をサポートするために、農民が自主的に立ち上げた組織なです。グループのなかには、代表、会計係、監査係などもいます。

グループによって、米の脱穀機やトウモロコシの製粉機を運営していたり、果樹園を持っていたり、コンクリートで作られた立派な井戸や大型トラクターを持っていたり、産卵用のニリトリ小屋を管理していたり、さまざまな援助を受けているグループをたくさんみました。そして、その多くが、上手く経営できていないことにも気が付きました。


 脱穀機や製粉機を援助する時は、使用方法や運営方法を指導したりしているはずなのですが、収益を誰かが着服したり、機械が壊れても、修理費がないか、部品がないために、直すことができないといったような理由で、せっかく女性の労力軽減のために援助した機械が放置されています。


 果樹園は立派に栽培されていても、いつのまにか、代表者の家族が管理し、恩恵を得ていたり、井戸も、今では、女性達が毎日、洗濯のために集まって、まさに井戸端会議の場になっているのも目にしました。


 私も始めは、そのようなグループと活動をしていました。どのグループもみんな、熱意にあふれて参加してくれますが、時がたつにつれ、小規模になっていきました。コルダの住民の多くを占めるプル族は、もともと、遊牧民で、野菜を栽培、食す文化を持っていませんでした。

そのため、播種や土壌の改善の仕方を中心に、指導したのですが、今までの方法でも収穫できていた彼らは、方法を改善しようとはしません。ただ、グループをつくっていると、政府や外国のボランティア組織からの援助が享けやすいという理由で、コルダのグループは存在していることが多いのです。


 現在は、物質的な援助から、グループの資金集め、計画・運営・栽培などの技術的な指導、運営資金の貸し付けなどを行う援助にかわりつつあります。それでも、名目上のグループをつくって、立派な計画をたて、資金を手に入れ、個人的に利用している農民達もあとをたちません。

フランスのNGOが立ち上げ、運営資金を援助、セネガル人が働く〜Aide−action(エイ・ディアクション。AIDER・助ける、ACTION・行動の意)は、以前、農業分野において援助を行っていましたが、今は、教育関係の活動のみ行っています。Aide-actionのメンバーは、子供への教育が最終的には、コルダの発展につながると信じています。


 同じ県事務所で働いていた私の同僚は、私が小学校で、野菜栽培の指導をすることを熱心に手伝ってくれました。「子供達が大きくなった時、仕事を選ぶ時、農業という選択肢もあったほうがいいだろ、自分の食べるものを自分で作るのは、人間として最低限のことだよ」という考えからです。彼の子供たちは、コンポスト(堆肥)の作り方から、野菜栽培、料理まで小さいうちから学べる環境にいます。


 子供達の親の多くは農業をしています。しかし、学校に行っている子供達には、農業以外の、もっと給料の良い仕事についてもらいたいと思っていて、子供達の農業への関心をはぐくむ環境をつくろうとはしません。Aide-actionでは、最近、小学校ごとに、ノートや黒板の購入などの運営費をかせぐために、生徒自身が活動できる施設を援助し、技術的にサポートしています。ある学校では、産卵ニワトリの飼育・卵の販売、ある学校では、野菜の栽培・販売、ある学校では、果樹の栽培・販売といった感じです。

実際には、技術的なサポートをする人が不足していて、私もお手伝いしていました。この活動も、しっかりした校長先生、現場を管理する先生なしには、上手く運営できません。厳しい環境での農業には失敗がつきものです。失敗するのは仕方が無いのですが、失敗を予想して、失敗を最小限にとどめる工夫や、やり直すための資金の備蓄といった心構えまで指導ができません。野菜栽培をしている生徒たちにとっても、小遣りしかできなかったら、農業について、農業の喜びについて分からないままです。このように、改善点は多くありますが、いっしょに活動していた小学校の先生、Aide-actionのメンバー、同僚みんなが、子供達に農業に関心をもって、また農業環境の恵まれたコルダに自信をもってほしいと願っています。


 私は2年目、小学校での野菜栽培以外に、モデル農園をつくって活動しました、野菜を栽培し、市場で売りました。毎日足を運び栽培していたので、たくさん収穫でき、道行く農民達のうわさになっていました。農民達がグループを作って援助を期待するのではなく、このモデル農園を見て、自分にもできそうだから、やってみようと思って欲しかったからです。私の任期は終わってしまったので、このモデル農園が人々に影響を与えたかをみることはできませんが、このような間接的な援助もあっていいと思っています。


 これまで、わたしが述べてきた事は、私の眼を通してみたコルダの農業の現状です。援助は、少しまちがえば、コルダのように、援助なれし、自助努力しない農民を作ってしまうという不幸を招きます。援助が、自己満足におわらず、必要なモノが、必要な時に、必要な量だけ行われ、援助された人々の幸せにつながることを願っています。


 セネガルの人々の「外」からはいってくるモノヘの態度、援助への姿勢、農業や教育への考えは、安い輸入品・農産物、政府に頼っている生活、農業軽視の風潮、教育のありかた、という言葉に置きかえると、日本の私達の現状にも当てはまると思います。もう一度、私達の生活を振り返ってみませんか。


 誰かが、「旅は人生の縮図だ」といっていました。そうだとすれば、私は一生泣いたり笑ったりとバタバタと忙しく、人生が終わろうとしていても、食い意地がはっているのかなあと、苦笑してしまいます。協力隊の2年間が終わり、帰国する日、ぎりぎりまで仕事をし、羊の炭火焼きを空港まで持ち込み、友人達と食べていたのを思い出します。そして、あの頃、心と体で学んだことを、もう一度考えるのです。


 アフリカでの任期をおえて、もうすぐ1年が過ぎようとしています。協力隊時代、人づき合いや仕事の仕方、言葉について学び、人間や人生について考える時間があり、それら全てを味わうことに必死でした。実際、何を学んだのでしょう。


 ひとつの事実をいろいろな角度から見て、考えようとする姿勢、も、その一つです。そのため、腹をたてたりすることが少なくなり、その事実をあるがままに受けいれ、改善できるものなら改善したり、と今までより一歩踏み出して人生に取り組めるようになりました。また、慌てている時や自分の能力以上の課題に取り組んでいる時なども、これを乗り切った時の自分を想像し、苦しさを味わえるようになってきました。


 違う国に住み、異なる言葉などの文化・宗教などを持っていても人間は基本的に同じだということ。も、学びました。

 「人間は同じ」といっても、平等という意味ではありません。人は、生まれる国や、両親、時代を選んで生まれてくることはできません。また、病気や障害などを負う、負わないという選択をして生まれてきたわけではありません。
なのに、「人間は同じ」だなんて・・・。

 人間は嫌な事があれば逃げたくなる、苦しい事はできるだけさけたい、楽しい事が好き、で、幸せを追い求めている生き物です。どんなに偉くて、たくさんの人に指示をだす立場の人であれ、今、仕事がなくて、将来の夢を思い描けない人であっても、子供でも、大人でも、苦しい事や嫌な事はさけたいし、幸せになりたいと思っているのです。あなたはどうですか?

 子供たちに、おもいやりのあるやさしい子になってもらうように、大人は「その人の立場になって考えてみなさい」と諭します。「その人の立場になって」といっても、実際には、その人の喜びや苦しみなどをそのまま感じるわけでなく、想像することしかできません。実際の喜びや苦しみと、想像上の喜びや苦しみの間には大きな差があると思います。そのことを自覚して、そのうえで、他人を自分と同じように感情をもった人間だと認め、自分ができることで、その人をすこし幸せにできたら、自分の心もすこし、幸せになっていることに気が付くのではないでしょうか。


 最近、国際理解、国際協力、国際感覚といった言葉を目にしたり、耳にします。すべて、自分と他人との関係から始まるのです。自分の周りの他人というと、家族、友達、近所の人達ですよねえ、みんな自分とはすこし考え方が違って、好きな食べ物・本・音楽、将来の夢、趣味、癖、体型、・・・すべてすこしずつ違っています。でも、自分と同じように、好きなモノやコトで幸せに浸れ、癖、体型をカバーしようと努力をしたり、夢や理想にあこがれ・・・と、それぞれの幸せを追い求めています。

自分の周りの人達でもすこしずつ違っているから、違う地域や外国の人達は、もっと自分とちがってくるのは、あたりまえです。でも、どんなに違っても、幸せになりたいと思う人間であることにはかわりません。自分の隣の人にやさしくでき、お互いに幸せになれたら、その隣の人は、その隣の人と幸せを分かち、その隣の人は・・・ずっと、幸せの鎖がつながってゆけば、外国にもつながってゆくのです。逆も真なり。遠い外国の人が苦しんでいても、お互いに助け合おうとしなかったら、自分も幸せではなくなるのです。国際・・・・・・は、自分の周りから始まってゆくのだと思います。

 簡単にできる幸せのプレゼント、それは、笑顔です。