現地隊員レポート 「りる」第53号より
サモア Y.K.
平成19年度4次隊
小学校教諭
『2年間の活動を終えて』
2年前、ボランティアとして派遣される国がサモア国(以下サモア)と決まった時、私は「サモア島の歌」という歌を、小さい時にどこかで歌ったことを思い出しました。そして「青い青い空、雲のない空、常夏で楽しい島」だと歌われていたその歌の世界を、私は2年をかけて実感することになったのです。サモアは南太平洋にある島国の一つで、首都アピアのあるウポル島、サバイイ島および7つの小島からなっており、面積は2840km2、鳥取県より少し小さい広さです。又、「宝島」の著者としても有名なイギリス人作家、ロバート・ルイス・スティーヴンソンが晩年を過ごした国です。
人口は約18万人で、ポリネシア民族90%、その他10%が欧州系混血、メラネシア系、中国系、欧州系等とされています。
宗教は、ほぼ100%キリスト教で、日曜日(宗派によっては土曜日)は家族揃って教会に行くのがサモア人の習慣です。
サモア小学校の子ども達私の配属先はアピア小学校という、1年生〜8年生の全校生徒約320人、教員約20人、という私立の小学校で、配属先からの要請内容は、体育、図画工作、コンピューター技術の授業の実施であり、美術教育等を通した情操教育が期待されていました。
しかしながら、私が赴任した当初はコンピューターその物が存在せず、コンピューターの授業は行えない、学校に備えてある図画工作用の用具は管理不十分、数不足など、取り組むべき課題には困りませんでした。
体育の授業については、サモアではめずらしく現地教員による運営が上手く出来ており、私は補助的に指導し、ストレッチや準備体操等を紹介するという役割に徹することができました。サモアの子ども達は、運動神経は良いものの、準備運動やストレッチをしたことがなかったため、開脚での屈伸でひっくり返ったり、でんぐり返りができなかったり、当初は準備運動等を紹介する度にワーワーキャーキャー大騒ぎになりましたが、もともと何事も楽しんでやってしまう国民性ですので、いつの間にやら、ストレッチが習慣付き、その姿も板に付くようになりました。
図工の授業風景図画工作については、教員自身に知識と経験がなく、子ども達も図工の時間はマジックで絵を描くことしかしていませんでした。そのため、子ども達には学校にある用具や材料を使って、楽しみながら、できるだけ多くの作品を作り出す経験をさせ、教員に対しても同様に作品の作り方などを指導し、私が2年間かけて行った授業の「工作集」を作成しました。2年の間に子ども達も図画工作の楽しみに目覚め、授業を毎回楽しみにしてくれるようになり、保護者の方からも、「家に帰れば図工の話ばかりしているわ」と言われるようになった時は、とても感激しました。
結局、コンピューターについては、他国からの援助などもあり、帰国3ヶ月前に14台のパソコンが導入され、私が指導できたのは3週間程でしたが、空いた時間には算数、英語の補助、図書室の管理業務補助と、できる限り学校教育の手助けになるように努めました。
また、私一人による活動以外には、同じくサモアで活動している環境教育隊員と共に、使用済みのペットボトルを再利用して、ペットポトルクリスマスツリーを2年連続作成しました。作られたツリーは、1年目は地元の国立病院で年を越す患者さんのために、2年目は2009年9月29日にサモア沖で起こった地震により津波被害を受けた村に移設し、それぞれの場所で頑張っていたサモアの人たちに喜ばれ、子ども達にとっても貴重な経験となったと思います。
ペットボトルクリスマスツリー点灯式(病院にて)2年間の活動中は、現地の先生達と考え方が違ったり、子ども達に自分の思いを上手く伝えるために、悩んだり、考え込むこともたくさん経験しました。しかし、その悩みを吹き飛ばしてくれたり、慰めてくれたのも、同じく現地の先生であり、子ども達でした。活動を終える日に全校生徒で開いてくれたお別れ会では、子ども達、先生達の顔を見ると2年間の思い出があふれ出て、涙が止まりませんでした。
伝統衣装を身にまとってダンスを披露する生徒2年前、日本を出国する時に思い出した「サモア島の歌」そのままに、サモアは青い空、青い海がどこまでも広がる常夏の楽しい島でした。サモアの人たちも大らかで、優しく、笑顔のかわいい人達ばかり。本当にサモアで活動できてよかったなあと思います。
1年生によるダンス披露(お別れ会にて)最後になりましたが、香川県青年海外協力隊を育てる会の皆様、活動中いつも温かいご支援を頂きありがとうございました。育てる会の皆様から送られてくる、テープやマジックなどの文房具等は、本当に本当に活動に役立つ物ばかりで、子ども達への充実した授業を行う上での貴重な材料として活用させていただきました。
この2年間の貴重な経験と、活動を通して出会った現地の人達、また日本から活動を支えてくださった皆様とのご縁を大切にしながら、これからも何か人のためになることを心がけていきたいと思います。2年間ありがとうございました。