現地隊員レポート             「りる」第63号より 

                                                    サモア     藤原 岬
                                                             平成26年度1次隊
                                         小学校教育
   

『サモア人はハッピーである。』

 これは、わずか一か月半ではあるけれども、私がサモアで生活してみて実感したことである。

 私の赴任国「サモア独立国」は、太平洋に浮かぶ小さな島国である。日本から約7480Km離れており、時差は4時間。首都のあるウポル島と、一番面積の大きいサバイイ島、そしていくつかの小さな島からなる。面積は香川県の1.5倍ほど。そこに、高松市の半分に満たない人が暮らしている。赤道に近く、乾季と雨季はあるものの、常夏だ。

 私は、7月1日にサモアに到着し、語学訓練を終え、今やっと赴任地サバイイ島のサレアウラという村での生活を始めたばかりだ。その短期間ででも感じたのが「サモア人はハッピーである」ということだ。

 まず、サモア人は踊りが大好きである。何かのイベントがあれば、必ずシバ(ダンス)タイムがある。サモア人はほとんどが熱心なキリスト教徒で、毎週日曜には教会に礼拝に行くのだが、そこでも踊る。

私が赴任した日も歓迎パーティーを開いてくれたが、そこでもシバタイムがあり、私ももちろん踊るよう強要された。音楽がかかれば、赤ちゃんだって体を揺らす。音楽がなければ、自分たちで歌って踊る。大人も子どもも集まれば踊る、これはサモアの鉄則なのである。

 また、サモア人は音楽も大好きである。先生も子どもも、授業中だろうが何だろうが、気分が良くなったら歌う。バスの中には、隣に座った人と話ができないくらいの爆音で音楽が流れている。そして、乗客の中には必ず一緒に歌っている人がいる。

 まだある。サモア人はサモアが大好きである。知り合ったサモア人には、必ず「サモアっていい国だろ?」「サモアのこと、好き?」「サモアの食事っておいしいでしょ。」と言われる。絶対だ。私は、ここまで知り合ったサモア人全員に言われた。自分の国が大好きで、自分の国のことが自慢でならないのだ。

ちなみに、サモア人は普段「Samoa」というロゴや文字がプリントされたものをよく身に着けている。料理の名前にも「サモア」という名前がついている。サモアクッキー、サモアサラダ、サモアチキン、ココサモア(ココア)・・・挙げればきりがない。本当にサモアが好きなのだなあ、と思う。

 さらには、サモア人のフレンドリーさである。道端で誰かに会えば、必ず声を掛け合う。知っている人だろうが知らない人だろうが、あいさつしないと気が済まない。またサモアにはShareの文化が根付いている。

夕食の準備をしていて、玉ねぎがない、となれば、お店ではなく隣の家に行きもらってくる。傘がないときも、何がないときも同じだ。私のものもあなたのものも、みんなのもの。助け合うのが当たり前。そういうフレンドリーさが満ち満ちている。

 加えて、サモア人は小さいことは全く気にしない。海に浮かぶ島国という地理関係から、サモアでは乾季であってもほぼ毎日雨が降る。そんな中、自分が濡れようが、干している洗濯物が濡れようが、サモア人は一向に気にしない。

洗濯物に至っては、濡れてもまた晴れたら乾くでしょ、と思っているのか取り込むことはしない。そもそも、洗濯物を吊るすロープがなければ、直接地べたに広げたりしている。もうこうなると、乾かしているのか汚しているのか分からない。でも、そんなことは気にしないのだ。

気にしない、といえば、家畜のことも気にしない。ブタやニワトリを飼っている家が多いが、小屋もないし、もちろんつないでもいない。エサもやっているのか定かではない。完全放し飼いだ。

道のあちこちでブタやニワトリが歩き回っているのを見るが、サモア人はちゃんと戻ってくるでしょ〜と、どんと構えている。実際ちゃんと戻ってくるらしいので、ブタやニワトリも小さいことは気にしないのかもしれない。

 たった一か月半の生活の中で、思わず吹き出してしまったり、真剣に悩むのがバカらしくなってしまったり、そんなことが幾度となくあった。サモア人はよく笑う。それにつられてこっちまで笑顔になってしまう。

 サモアはハッピーな国なのだ。サモア人はみんなハッピーな毎日を送っている。

 しかし、そんなサモアの明るくハッピーな一面の裏には、やはり今なお「途上国」といわれる所以がある。

 例えば、経済的な問題。国全体のことは私には分からないが、それぞれの家の収入源はかなり限られている。家族が海外へ出稼ぎに行っていて、その送金で生活している家庭もとても多い。田舎の村になれば、働き口だってない。

商売をしている人たちも、知識が十分でないために、決してそのやり方が上手とは言えないそうだ。サモア人が始めた店や会社は長続きしないが、一方で中国やニュージーランド、オーストラリアの人たちの店や会社が、今のサモアの市場を占めているというのは、なんだか悲しい話である。

 環境の問題もそうだ。生活の急激な欧米化により、ここ最近プラスチックや金属ゴミが増えている。それを、伝統的な葉や木々で作った生活用品と同じように、そのあたりに捨ててしまう。せっかくの海も山も、台無しだ。上水道は整備されている地域もあるが、下水となるとまだまだ不十分で、パイプがそのまま海に繋がっていたりする。

 そして、私の携わる教育の問題もそうだ。サモアの教育の制度のため、全ての教科の知識が十分にない人が先生になる。立派なカリキュラムはあるが、それを遂行するための人材が、残念ながら育っていない。教材も足りていなければ、教科書は先生の分さえない。

 様々な問題は、しかしながら、サモア人の悪意や怠慢で起こっているのではない。ただ、そういう考え方や知識が彼らの生活に「ない」だけなのだ。日本から見れば、当然と思う行動や考え方も、彼らにとっては「未知のもの」。

だからこそ、いろいろな国が、様々な形で支援や援助を行っているのである。協力隊もその一役を担っているのだろう。私も、日本での教員経験を活かし、少しでも知識や技術を伝えたい、と意気込んでやってきた。

 しかし、ここで私が頭を悩ませているのは、「サモア人はハッピーである」ということだ。サモア人の生活は、精神的にとても満たされている部分が大きいと感じる。それは彼らが長年培ってきた文化や風土、国民性といったものに支えられているもので、今、その土台の上で彼らの生活はうまく収まっていると感じるのである。私なんかが入り込む余地がどこにあろうか。

 彼らの興味や関心、課題と感じていることと、私が感じていることは一致するのか。日本の基準で「いい」と思うことをそのままサモアに伝えて意味があるのか。日本の「いい」がサモアのハッピーを奪うことにはならないか。私は日本の「いい」しか知らない・・・。教育は、特に文化や生活と深く結びついているものであると私は思っている。

文化を根っこから否定することなんてもちろんしたくないし、するつもりはないけれど、「文化」という言葉にまとめると、今私が感じている学校の課題は全て「サモアの文化」ということになってしまうのではないか。考え始めると無限ループに陥ってしまうような感覚だ。

 私の協力隊活動は、正直言うとまだお先真っ暗である。何から手をつけたらよいものか、方向性すら見えない。1年9か月という限られた活動期間を考えると何とも心許ない発言であるが、でも、ここをじっくり考えないことには、双方にとって満足の行く活動にはならないだろう、という思いもある。

 そんな私の焦る思いを支えてくれているのは、間違いなくサモア人のハッピーさである。「まあいっか。何とかなるかな。」と前向きな気持ちにさせてくれる。そんなサモア人たちのために、私ができることは、まず彼らと毎日をハッピーに過ごすことなのかもしれない。そうやって心もサモア人に近づけば、何かヒントも得られるだろう。

お先真っ暗な割には、安易な考えに流れている気もしないではないが、そう信じて、私は今日もサモアで生活するのである。大きな不安と、同じくらい大きな期待を胸に、私の協力隊活動は始まったばかりだ。サモアのハッピーを丸ごと残したまま、少しでも私が入り込んで役に立つことがありますように。