ロムニアだより(No.1〜No.5)「りる」第19号より

     ルーマニア         M.O.

                     平成10年度1次隊

                     日本語教師

1.1998年7月16日

 15日早朝、東京シティ・エア・ターミナルに集合し成田空港(新東京国際空港)に向かいました。まずはオーストリア、ウィーンに向けて12時間30分の空の旅でした。11時に日本を発ったので日本時間なら23時30分ですが、現地時間ではまだお昼の3時過ぎ!何だか一日得した気分でした。

 観光気分じゃいけないのですが次の日には東欧組もお別れしてしまうので早速オーストリア・シリングをにぎりしめ(?)街に繰り出したのでした。

ドナウ川上流に位置するウィーンの街並みは本当に美しくて、”ハプスブルク家の優美な雰囲気を今も伝えています”といわれてもそれが嘘じゃないなぁと思えるのです。治安もよく22時を過ぎてもほのかに明るくてたくさんの人が気持ちのよい夏の夜を過ごしていました。

 そして16日、ハンガリー組、ポーランド組、ブルガリア組と次々と任地へ向かい私たちルーマニア組も13時35分にルーマニアに向かったのでした。

とうとう四人になったね、なんて話していると、3時間後、首都ブカレストに着きました。少し雨が降っていましたが降り入りはいいというではないか(引っ越しだけ?)と着いた嬉しさで空港へ向かうバスに乗り込んだ4人でしたが、途中何にもないところで一人ずつぽつん、ぽつんと銃を担いで立っている兵隊さんを見て思わず顔を見合わせて無言になってしまいました。

  1650年代に建てられたギリシャ正教の教会

 車の中から見た街の第一印象は伝統的な建物、いわゆるヨーロッパ風の、が少ないなぁということです。四角い同じようなコンクリートの建物も多く整理されずにある、という感じです。車の排気ガスがひどく(本当に黒い煙りを出しながら走っているのもあるのです)、緑が少なくどこか殺風景な気がします。

けれどもマクドナルドやピザ・ハットもあり賑わっているようですし、歩いている人々もおしゃれで日本と変わりません。実際に道を歩くとまたイメージは変わってくると思うのでそれも楽しみです。まず明日から一週間ブカレストで研修が始まります。

2.1998年7月24日

 ルーマニアが暑いなんて誰が考えたでしょう。確かに何かで38度ぐらいになるとはみましたが、42度なんて・・・。湿度が低いから過ごしやすいのですがやっぱり暑いですし、毎日日差しがきつくて痛いくらいです。暑くてはやく日が沈んでくれないかなあと思っても21時を過ぎてようやく日本のこの時期の18時というところです。

 ブカレストについてから先ずは研修のためホテル暮しをしています。お湯のでない日も今までで二日程あったり(気合いで水浴び)、湯船の栓がなかったり(コップで代用)しますが中々快適です。

 研修では銀行で現地講座を開いたり外務省、教育省や大使館でお話を伺ったりしています。こうしている内に二年間この国で暮らしていくんだということが更に身近に感じられる様になりました。

私が活動するスピル・ハレット大学にも行きました。ティネレトゥルイという南に位置する公園の中にあり環境は良さそうです。先生のイワナさんともお会いし優しい方だし日本語もとてもお上手で敬語も使いこなしていらっしゃいます。イワナさんみたいな方と一緒に仕事ができるのはなんて幸せだろうと思った矢先、実は来月結婚して日本で住むことになっているんです。・・・どうも神様は私が幸せになるのは許してくれないようです。

 一日の研修が終わった後街に行くこともあります。普通のお店では欲しいものを指差しお金を払って(別の場所の場合もある)品物を受け取るという形になっていますが、日本のスーパーのようにかごを持って、というところもいくつかあり、その場合は入口で荷物を預けるようになっています。

 街を歩いているとよく中国人に間違えられ罵られます。中国人マフィアが悪いことをしているらしく、ここでは中国、中国人のイメージが悪いのです。子供だと触ってきたりもします。ルーマニアには130人ほどしか日本人がいないので日本人だといっても知らない場合もありよくわかってないようです。大人だと急に親しみのある態度に変わります。

 それから、街の至る所で老人がお金を乞うために道の脇で座っています。街中でも車に乗っているときも子供がお金を乞いにやってきます。地下鉄に乗っていると貧しい身なりをした子供がひざまずいてお金を乞い車両の中を歩いてきます。こんな時どうしたらいいのか悩んでしまいます。

かわいそうだと思うけれどもお金を与えていいのか、でもそれは自分のかわいそうだという気持ちをお金を出すことで解決しようとしているのではないかと考えたりします。彼らロマ(ジプシー)の問題はルーマニアで暮らしていく上で避けられません。一方、街を歩いている人々はみんなおしゃれでその点では日本と変わりありません。

特に女の人はみんな可愛いです。本当にみんな、です。私たち女四人でも思わず振り返ってしまいます。腹の位置も高く胸も大きくて(私の友達はゴムまりみたいやなぁと言った)スタイルもいいのです。一体何を食べているのでしょう、何にも食べていないのでしょうか・・・?

3.1998年8月4日

ホームステイについて

 先月25日、語学研修の為ブカレストから約500キロ、トレヌル(電車)で約八時間のクルージュ・ナポカという街にやってきました。ヨーロッパの地方都市という感じで、ブカレストと違い街全体がのんびりしていてとても平和です。ここではホームステイをします。

 私のステイ先は、プスカさんといって、お父さん、お母さんと息子さんと娘さんの4人家族+犬一匹です。お父さんはブカレストに単身赴任で週末になると戻ってきます。お母さんは中学校の先生で今は夏休みです。私も”mama”(ママ・・・お母さん)と呼んでいます。

息子さんのペトロニュウは21才でドイツ語専攻の大学生、娘さんのアンダァは19才で医学生です。ニ人とも夏休みなのでキャンプに行ったりディスコに行ったりほとんど家にいなくてmamaとよくけんかしています。やっぱりどこの国の学生も変わらないなあと思います。

 アパートメントに住んでいて部屋数は多くないので、私はペトロニュウの部屋を使わせてもらっています。3階ですがベランダがないのでどこに洗濯物を干すのか不思議でしたが、各階に洗濯物用の乾燥室がありそこで干すようになっていました。

 やはりルーマニア家庭に入ると暮らしがよく見えるので楽しいです。特においしい伝 統的なルーマニアの家庭料理の作り方を知れたのは良かったです。ただ塩とひまわり油(こちらではこれが主流)をびっくりするほど多く使います。信じられませんが、塩は健康にいいからとみんな言っています。

 ママリガというとうもろこしの粉に水を加えて練ったものやトカニッツァという濃いシチューのようなもの(ママリガに添える)、サラダ・デ・ビネテというなすのサラダ(パンにつける)などをよく食べています。

語学研修

 そう、三週間、この為にここに来たのです。

 授業は、家から歩いて45分のところで、月曜日から土曜日まで、朝九時に始まって一時に終わります。毎日されいな公園を通ってかよっています。

 先生は2人いらっしゃって、20分の休憩を挟んで先生が交代されます。ルーマニア語だけで授業して下さっていますが、とてもわかりやすいです。日本での語学訓練ではただ覚えて、言われ文法の説明などはなかったのですが、ここではわかりやすく説明して下さるのでルーマニア語とはこういう言語、というのがようやくつかめ楽しくやっています。

 それでも家族と話すとき、やっぱりうまく伝わらず手振り身振りで必死です。

4.1998年8月15日

丘でミティティを食べる

 ミティティというのはルーマニアでよく食べられているものの一つで、野外でバーベキューをする時必ず作るそうです、焼きながらビールをかけます。今回は友達のホストファミリーが私たち四人を連れていってくれました。

 ミティティを焼いているとき長いフォークでひっくり返すのですが、ひっついてうまくいかないので私たちがその辺に落ちていた枝でお箸を作り試すとうまくいきました。お箸って本当に便利です。パンとゆでとうもろこしと一緒に食べました。羊(大抵)のお肉のハンバーグにハーブや香辛料をたくさん入れたような味でした。とてもスパイシーでおいしかったのですが、私はビールをかけないほうがいいかなと思いました。

湖にいってリラックス

 タルニッツアという湖に行きました。ここで人々はやっぱりミティティを焼いていました、私たちは友達のホストマザーが作ってくれたおいしいランチをおなかいっぱいたべて、それぞれ肌を焼いたり木陰で眠ったり湖に入ったりしました、

 ここでは魚の養殖もされているしおいしい魚が捕れるので、魚を食べる人はここまで買いに来たりもするそうです。三週間の語学研修もあっという間に過ぎてしまいました。これから、それぞれ任地に向かうのでとうとうお別れです。

私たちのうちの一人はこのままクルージュに残ることになり、ほかの三人は明日ブカレストに一旦戻ります。二人がブカレスト、あと一人がバカウで活動します。ブカレストに戻るとこれからニ年間住むところに移ることになります。私の場合、他の三人が決まっていたのに私だけ十日前になってもすむところがなくて、一週間前に決まったばかりです。

とりあえず屋根のあるところで眠れる、ということで安心していますが、”見せられる状態じゃない”と聞いているのでどんな状態なのか楽しみです。

5.1998年8月24日

 ブカレストに帰ってきて一週間、クルージュでいたので知りませんでしたが、ブカレストでは暑すぎて会社が休み、または午前中だけになったり、道路が溶けたりともっと大変だったそうです。一時に比べるとマシになりましたがまだまだ暑いです。こんなにルーマニアで焼ける(”ルー焼け”といってます)なんて思いませんでした。今年は半世紀ぶりの暑さだそうです。

 ここで道路の話を少し。道路が溶けるなんて信じられないと思いますが、歩いてみると納得できると思います。普通に歩いている道がふにゃふにゃなのです。その上デコボコ・・・。きちんと前を向いて歩く、というのは危険で、下をみて転ばないように気をつけなくてはなりません。これは街の中心だから、というわけでもなくどこも同じようです。

 さて、わたしの住んでいるところは(スドゥルイ)というところで地下鉄の駅から大学には歩いて30分ぐらいです。ここにはブカレストで一番安いといわれる(ピアッツァ市場)があります。家から歩いて5分です。食べ物から日用品まで本当に何でもあるし、毎日やっているので便利です。今1USドル=8750LEI(レイ)でお店によって値段は500LEIぐらい前後しますが物価は大体次の通りです。

 トマト/たまねぎ/じゃがいも/なす(Kg)3000LEI
 ミネラル・ウォーター(2L)5000LEI
 すいか(Kg)1000LEI
 プルーン(Kg)2000LEI
 砂糖(Kg)5000LEI
 たまご(1個)800LEI
 小麦粉(Kg)4000LEI
 ビール(0.5L)5000LEI
 洗剤(450g)8000LEI
 ひまわり油(L)11000LEI
 お米(Kg)5000LEI
 お鍋のふた10000LEI

買い物には買い物袋を持参します、日本のスーパーでくれる袋はなくて、買わなければ(500LEI)なりません。だから洗って何回も使っています。ここではこういうプラスチック素材のものやアルミフォイルなどは高いのです。

 これが私の部屋です。八階建のアパートの四階で、北向きです。広さは十分ありますが、とてもとても古いです。そして初日、移ったのはいいもののシャワーの水しかでないしガスは壊れてて使えないし電気はつかないし掃除はしていないし・・・、という状態で思わず大笑いしてしまいました。

普通ではない汚さでした。次の日から少しずつ修理してもらい、今は人並みの生活を送っていますが掃除が終りまません・・・。(この際だから、と家具の移動なんかしているのがいけないのかもしれない・・・)実は最初、テレビもラジカセもあったのですがニ日後ぐらいに大家さんが買いたいという人がいるから持っていってしまいました。

音がなくてさみしいのでそのうち何とかしようと思っています。他は少しずつ揃えていっていますが、お玉をまだ買ってなくて(お箸は持ってきた)コーヒーカップを代用したりしている状態です。

 最後にメトロの乗り方について少し紹介します。これは、M1と呼ばれる環状線とM2・M3と呼ばれるブカレストを中心に南北に走る南北線があります。比較的安全ですし、これを使うとどこにでも行けるのでよく利用しています。定期券、10回券、2回券があって2回券(3000LEI)を使っています。左のような一枚で距離に関係なく二回使えるようになっています。自動改札機に通すと裏に日付と時間が入ります。