現地隊員レポート 「りる」第32号より
ルーマニア M.H.
平成13年1次隊
柔道
私の協力隊活動
ルーマニアは人口2200万人。
本州と同程度の国土面積は、東欧ではポーランドに次ぐ2番目の規模です。
オリンピックでの体操選手の活躍とチャウシェスクやドラキュラが有名ですが中でも1989年クリスマスのチャウシェスク大統領夫妻の銃殺刑の映像は日本でも流れて当時小学生だった私は初めてテレビで「死んだ人間」を目の当たりにし、その時初めてこの欧州の果ての国を知りました。
そんな東欧諸国の革命から今年で14年目。現在は革命後の市場経済の混乱を引きずりながらも、EU加盟に向けたリベラルな政策を掲げていますが急激な資本主義(特にヨーロッパから)の導入の結果、「都市部と農村」「ある人・そうでない人」の差が拡大し都市部では小学生でも携帯電話を所持し日本で御馴染みの生活用品が外資系スーパーに並ぶ反面、地方都市では馬車も日常的に走ってるし、自家製乳製品が使用済ペットボトルに入って売られています。なんともアンバランスです。
ルーマニア人は、神聖ローマ帝国時代に元々この土地に住んでいたダチア人とローマ人の間で混血が進んだものと言われ、東欧で唯一のラテン民族で基本的に陽気で気さくで楽観的です。
そのため、ルーマニア語に最も近い言語はイタリア語だといわれています。ローマ帝国軍の引上げ後も地理的歴史的な経緯で近隣諸国との混血が進み南の地域ではトルコ系のオリエンタルな顔立ちが、そしてトランシルバニアの様な北西部では、ハンガリー・ドイツ系が多く、見るからに色素が薄い人が多いです。
現在ではウクライナ・モルドバ・ブルガリア・ユーゴスラビアそしてハンガリーと国境を接しています。
私の住むクルージナポカ市は人口は高松市くらいで国内では3〜5番目に大きく、ルーマニア北西部トランシルバニア地方(ルーマニア語でアルデアル地方:丘の向こうの意)の中心地、そして交通の要所として古代ローマから栄えました。
第2次大戦終了までハンガリーとルーマニアの割譲問題にゆれた土地の為、今でもクルージナポカには2割弱のハンガリー人が住み、混血の人・ハンガリー語の理解できる人を含めるとかなりの割合になると思います。
街に出ればルーマニア語の他にハンガリー語も耳にしますし、看板も沢山でてるしハンガリー人の為の教育機関もあります。隣の国なのにハンガリー語とルーマニア語に共通点がほとんど無くいつも耳にする挨拶などを教えてもらっても発音が日本語には無いものが多く難しくてたまに試してみてもあまり通じません。
ですが、トランシルバニア地方の挨拶のひとつ「セルブス」(一日中・別れる時も使える便利な言葉)も語源はハンガリー語です。
ハンガリー人の他にも中世に入植したドイツ系住民も多く住んでいます。そんな中にいると、日本の様に共通の言葉を話す単一民族国家は世界中に果たして幾つあるのだろうかと考えてしまいます。
さて、私の活動はといいますと、地元の5歳〜13歳までの子供の練習。
遊びの要素を取り入れた子供の為の練習風景
こちらはいかに遊びの要素を加えた練習で子供を飽きさせないかがテーマとなってます。
子供は非常にタフで疲れを知らず最近ではさかんに私にドラゴンボールのことを聞いてきます。それとポケモン。
メインはクルージで練習している女子のナショナルチームの強化・育成で、主に国内選抜を経たジュニア(〜18歳まで)を担当し、効果的なトレーニングを提案したり日本で一般的に行われている技術を紹介したり自己管理などの啓蒙を行っています。
シドニー五輪出場組と
欧州全体で言えることなのですが、柔道選手でも柔道着を着ての練習時間は日本に比べると非常に短く、走ったりウエイトトレーニングに多くの時間を費やしています。が、より専門的なトレーニングを提唱したりトレーニング後のケアに関する知識の普及が最近の私の仕事です。
欧州でもそれなりの成績を収め、世界ジュニア選手権では2大会連続−48s級チャンピオンを排出し、先のシドニーオリンピックでは−78s級で銅メダルにも輝いています。(銅メダリストは昨年引退しジュニアコーチとして今では私の同僚です)。
柔道はオリンピックスポーツなので強化に関する国からの援助が多少出ていますが、資金源が安定していない為に強化対象の選手をなかなか増員できず(シニアチーム内での練習相手の不足)欧州以外の各地で行われる合宿・大会などの遠征にも他の国の様にまめに足を運び、経験を積むことが出来ません。
資金が確保できずに直前になって国際大会に行けないこともあります。
どうすれば予算を確保し続けることができるか・・
それは大会で結果を出しルーマニア柔道を世界にアピールする以外にありません。「趣味」としてではなく、彼女達は12歳前後から試合で結果をだせば賞金を稼ぐ「プロ」です。
好きだから柔道を続けるだけではなく、「お金の為」に続けざるを得ない状況はある意味シビアで、本来の柔道の持つ精神的な「目的」とは随分かけ離れている気がするのですが、もしかすると私自身の単なる詭弁(きべん)で柔道が日本を離れて世界中で愛好され変化し、こういう形で人々の生活を支えているのかとも感じます。
ともかく、彼女達の今後の大会での結果に少しでも力をかせればと試行錯誤の毎日です。
当の本人達はそれほど深刻そうでもなく突然の大会のキャンセルにも「まあいつもの事だからね」という風で「生活を支えてる」的な一種の暗さを感じさせません。
彼女達に囲まれていると、たまに一人で腹を立てたりするのが無意味に感じられます。
尚、今年は世界選手権の年なのでシニアの選手達は9月に向けて合宿・調整とばたばたしています。
ちなみに開催地は大阪。選手達は帰国を控えた私のために大阪の写真をとってきてくれるそうです。
柔道着がボロボロでも資金不足で大会に行けなくてもいつもにこにこ。陽気でころころ笑う可愛い選手たちと配属先の理解に恵まれ・学ぶことばかり。時には助けられて現在に至ります。ボランティアに来て時にはボランティアされているといったところでしょうか?