帰国報告 「りる」第7号より
ラオス H.K.
平成4年2次隊
養殖
私は平成四年二次隊としてこの年の十二月七日出発しラオスで二年間の協力隊活動を行い昨年の暮れに帰国したものです。
私の職種は(魚の)養殖で主としてこの国のサバナケット県で活動いたしました。
現地へ着くと道路は水牛や牛やヤギなどの動物達がゆっくり歩いており、バイクや車がこれを避けているというような光景に出くわしました。
現地活動
この県の農林局獣医・畜産課に属しそこから約十キロメートル離れたバーックボー農場で働いておりました。私の主な仕事は「鯉科魚類(中国鯉、インド鯉等)の種苗(稚魚)生産を指導するというものでした。具体的には親魚に注射を打って人工受精をさせて稚魚を育成し、これを農民の自家消費に当て、余った分を売却してその家計を助ける。将来の展望としては現地の水産業としてこれを育成したいという構想を持つものでした。
先ほど私は魚の種苗生産を指導と申し上げましたが、現地ではいろいろ文化の違いなどもあって協力隊の仕事を中々理解してもらえず、結果的に協力隊の同僚や、イギリス、カナダ、バングラ等の専門家と一緒にこのプロジェクトに取り組み共に研究し共に仕事をして、満足ではありませんが、或る程度の効果を挙げることが出来たと考えております。
この間、日本の協力隊のメンバーや、諸外国の専門家、現地の人々等がそれぞれに理解し協力し合って、活動することが出来たことを非常に喜んでおります。
ラオスの国情
この国の近況を述べますとラオスはずっと以前には協力隊が派遣されておりましたが、その後内戦が始まり一九七八年以降、協力隊活動が中止されました。一九九〇年になってこれが再開され、今日に及んでおります。国民性は温和しく、才覚という点では後れをとっており商売等は中国人、ベトナム人等に主導権をとられその点劣等感を抱いているように見受けられます。
現地の生活は厳しく、カウンターパートによる月収は日本円にして五千七百円ぐらい、生活費の不足分は野菜等を売って生計を立てておりますが、何とか一万円ぐらい欲しいところだと話しておりました。
食事について紹介しますと「ラオ料理」というのは「モチ米」を蒸したものに「おかず」としてパパイヤを千切りにしたサラダ(タンマックフン)を作ります。このほか、肉や魚を焼いたものも出ます。驚いたのはラオの人達が昆虫を食べることです。「アリ」「コガネムシ」「コオロギ」などを食べます。これらの食事を通じて感じたことは「ゲテモノ喰い」というより「逞しい」という印象を強く持ちました。
私は暇をみて野菜特にカボチャを作ったり、時に餅搗きやソーメン流しにも加わり、地元の人達との交歓を深めました。
協力隊活動を終わって
協力隊活動を通じて、考えてみますと私の場合は指導というよりは一緒に仕事するという部分が多かったため、ラオスの人、諸外国の専門家の人、同僚の日本の隊員の方からも教えられることが非常に多くありました。
現地の「我が国の隊員の人達」はそれぞれ一生懸命に協力隊活動に取り組んでおります。中には退職して参加している人もおり、帰国後の就職のことについて心配している人もいました。
企業の方にも是非、私共の国際協力活動に一層のご理解を戴きたいと思います。どうもご静聴有難うございました。