ポーランドに半年間暮らして   「りる」第29号より

                                                    ポーランド  N.W.
                                                             平成13年度2次隊
                                     日本語教師
                                                                

    中欧の国ポーランド、その地理的環境から複雑な歴史をもつこの国に派遣されてから、早半年が過ぎました。12月にやってきたときは、マイナス10度を下回る寒さに戦慄すら覚えていたのですが、最近のポーランドはとても過ごしやすい気候です。

 私は日本語教師としてポーランドヘやってきました。初めの活動は失敗の連続で、いろいろ考える余裕もなく今学期を終えたような気がします。

 私が派遣されたのは、首都ワルシャワから西へ列車で約3時間のトルンという美しい街です。その美しさと古さは、旧市街全体がユネスコ世界文化遺産に指定されているということからも分かります。昔からドイツ領に組み込まれていたせいで、街並みはドイツ風、ヴィスワ河(ポーランドで一番大きな河)の橋の上から臨む旧市街は、小ぶりながらも凛とした趣があります。この街は、地動説を唱えたミコワイ・コペルニクスの故郷としても知られています。

 私が勤務する大学は、その名もミコワイ・コペルニクス大学。学生3万を抱える総合大学の、言語学部の建物の中に私の勤める「日本言語文化研究室」があります。この大学への隊員派遣は10年目、私で4代目になります。日本語は選択科目ですが、市民講座の役割も果たしており、トルン市民なら誰でも授業に参加することができます。

たとえば、 一番若い学習者は15歳の高校生、最年長は80歳を超える物理学部の教授です。一番長い学習者はもう10年近く日本語学科を受講しています。学習者が日本語を勉強する理由は様々。文法に興味がある人もいれば、歴史や美術史に興味がある人、日本の音楽や漫画などのサブカルチャーに興味がある人、アジアに興味がある人、といろいろです。「夢はいつか日本へ行くこと」と答える彼らの目には、遠く離れた日本として国はどんな風に映っているのでしょう。

  日本語初級1の学生たち

 ポーランドは、もはや開発途上国という括りには含まれない国であると私は思っています。携帯電話やパソコンの普及も目覚ましく、大きな街には巨大スーパーが乱立しています。電車もバスも時間に正確だし、マクドナルドに子どもたちがたむろする姿は、日本と変わらないような感じです。

「日本へ行きたい」というのも決して夢ではなく、私は学習者の何人かが、近い将来実際に「桜の花咲く国・日本」を訪れるであろうことを確信しています。しかし、社会主義の崩壊から10年以上を経た現在、失業率は20%に迫る勢いで、通りには職にあぶれた人たちがあふれています。有色人種に対する差別も根強く、街を歩いていて嫌な思いをすることもしばしばあります。

将来を期待される若い学生たちが、皆口を揃えて、「海外で暮らしたい」と言うのも寂しい現実です。私が派遣国としてポーランドを希望した理由の一つは、社会主義も民主主義も知る若い力たちが、ポーランドという葛藤の中にある国をどう変えていくかに興味があったからなのですが。

 しかし、海外(国外)志向と相反するかもしれませんが、彼らの中には祖国を誇りに思う心が確かに息づいています。過去において何度も国土を蹂躙され、世界地図から国が消えるという憂き目に遭いながらも、遷しくよみがえったポーランド。残り1年半の活動をとおして、変革の息吹を感じることができたら、と思っています。