帰国隊員レポート             「りる」第76号より 

                                                    パラオ   玉山 陽司
                                                             平成28年度2次隊
                                         小学校教育
   

パラオについて
 派遣国のパラオはロックアイランドで有名な観光地である。日本からの観光客も多く、ショッピングセンターでは納豆や醤油などの日本食の生命線も多く扱われている。また、歴史的な繋がりも深く、統治時代の影響がパラオの随所に残されている。

特に、パラオ語には多くの日本語が含まれているのだが、自己紹介をするときに「サブロー」だの「シロー」だのと言われると不思議な感覚になった。パラオの伝統的な生活は、男性は漁にでて魚を取り、女性は畑でタロイモを収穫するといった役割分担がなされている。

今でもそういった感覚は強く、男はだいたい釣りが好きだし、好きじゃないとしつこくからかわれる。しかし、一見男性中心のような社会に思われるかもしれないが、パラオは女系社会で、女性が非常に強い。政府の役職には女性が多く、いつもパワフルに活動していた。

小学校でも、校長先生はほとんど女性で、体育教師とバスドライバー以外は大抵の場合女性だった。同僚の男性はいつも肩身が狭そうで、愚痴を聞くことは一つのわたしの日課だった。生活の随所で役割が明確化されており、その度に文化を感じた。

 パラオでの二年間はホームステイをしていた。中心地のコロールから車で一時間ほどの私の住んでいたガラード州は、私を現地人に変えてくれた場所だ。ガラード州は5つの村からなり人口は約400人、だいたいの人が私のことを知っていて、道を歩いていれば助けてくれる。

ビートルナッツをとるホストファザー

いつも決まって、食べ物をくれるかお酒をくれるか、車に乗せて近くまで送ってくれるか。こうした人との距離感は初めてだったが、子供の時に感じた、地域に守られているような懐かしさもあった。JICAのボランティアという立場ということはあると思うが、何者かもわからないような若い日本人を快く迎えてくれたガラードの人たちには特に感謝している。

木登り覚えました

青年海外協力隊の魅力
自力で活動しているようで、多くの人の力を借りているのが協力隊だと思う。二年間の中で多くの人に力を貸してもらうことができた。勤務先の学校では、校長先生含め同僚の手助けがないと活動はできない。

友人がいなければ、知らない土地で生活していくことはできない。そして、共に協力隊として活動している人や日本でエールを送ってくれる人がいなかったら、気持ちが沈んでいた時に耐えられなかっただろう。

協力隊とは、私自身にとってはこうした人同士の繋がりを再確認させてくれるものだった。協力隊という同じコミュニティではあるけれど、違う手段で活動している他のボランティアの様子は刺激的だった。特に、重厚な人生経験を積んできたシニア世代の人との友人としての交流は、人生の面白さや複雑さを教えてくれた。

小学校教育という要請で二年間算数を教えてきた。配属された当初は、お互い探り合いで、ただ無駄に時間が過ぎているように思えた。言いたいことがうまく表現できないもどかしさは、何か始めなければならないという焦りを刺激した。

落ち着かない感情の中でも、地道に授業の方法を提案したり、実際にやってみたりする中で信頼関係を築くことができた。言葉や文化が違う中では、こうした事実に基づく信頼や信用が大切だと強く感じた。

2年目からは2年生から8年生まですべてのクラスで授業を行い、一年目よりも充実した活動ができた。子供たちの学力や理解力は、厳しめに見てもしっかりと向上したと感じた。何より、最初は全く算数の問題に手を付けようとしなかった子供たちが、自信をもって自分から取り組んでいた姿は明確な成長であった。
指導の様子
討論会での意見マップ

その姿を見た同僚の教員たちの意識も変わってきた。自分の中で目標としていた、「実感」によって「変化」を生み出せたという感覚があった。二年間、漠然と教育について考えてきた。JICAボランティアとして、教員とはまた違った立場で日本以外の国で教育に関われたことは、自分自身に新しい課題を見つけさせてくれる経験であった。これからも国際協力の分野で活動を継続していきたい。
送別会の豚の丸焼き
スクールユニフォームを着た同僚