現地隊員レポート 「りる」第45号より
パラオ K.H.
平成17年度2次隊
小学校教諭
『パラオ便り』
アリー!(こんにちは)
私は、日本から南へ約3000キロの地にある国パラオで、元気に小学校の先生をしています。人口は約2万人。小豆島(私の出身地)の人口は約3万人なのですから、2万人といえば、どんなに小さな国なのか想像できると思います。●ここは、パラオ?
さて、ここで問題です。
以下の語句のうち、パラオ(現地公用語)はどれでしょう?
(1)ベンジョ(便所)(2)ノンベー(酒がやめられない人)(3)モンダイナイ(問題ない)正解は、全部です。すべてパラオ語で、意味も同じように使われています。現在、約300語の日本語がパラオ語として使用されています。また、お年寄りは私をみつけると、とても流暢(りゅうちょう)な日本語で話しかけてきます。「あんた、どこいくの?こんど、うちにきなさい」と。
これはなぜかというと、パラオは第二次世界大戦終了までの31年間日本に統治され、パラオ人口の約4倍の日本人がパラオ人とともに暮らしていたからです。当時はパラオ人に対して日本の義務教育がしかれていました。また、なんとびっくり!パラオ人は正月におしるこを食べます。
味噌汁もそうめんも大好きです。私ができないゴムとびや花札まで余裕でできてしまいます。パラオに染み込んだ日本文化を感じると、パラオで生活していますが、気持ちはいつも日本にいるように感じます。●わが任地・イボバン村
現在、イボバン村という小さな集落に住んでいます。ここでは、パラオ人70人くらいがのんびりと暮らしています。私も、ここにどっぷりつかり、生活をしています。ヤシの葉でバスケットを編んだり、T−シャツのまま泳ぎに行ったり、釣りをしたりと。ちなみに、イボバン村に来る公共交通機関は何もありません。買い物は、首都にあがらなければできません。モノは少し足りないくらいが気持ちがいいです。心底、ここの暮らしを楽しんでいます。
パラワンピラミッド●パラオの家族
この国の隊員は、2年間ホームステイすることになっています。幸運なことに、親切であたたかいパラオ人家族と一緒に暮らしています。ジョークの得意なパパさんに、優しく気のきくママさん。パラオ人の9歳の弟に、24歳のアメリカ人の弟(アメリカ平和部隊[Peace Corps]の隊員も一緒に住んでいます)。小さな家ですが、家族5人仲良く、3つの混合文化の中で生活しています。
太平洋戦争中、この地で日本人とアメリカ人が戦ったことを考えると、現在、この3か国の民族が一つ屋根の下で暮らしていることは、本当に感慨深いことです。ちなみに、パパさんのラストネームは、なんと「サブロー」、そして、向かいの家は「ワタナベ」です。これは日本統治時代の名残です。
「ベビーシャワー」第1子誕生のお祝い●愛する「イボバン小学校」
勤務先は、イボバン小学校です。かわいい15人の児童たちに囲まれ、素朴な小さな小学校で教育活動ができるということに感謝でいっぱいです。また、ちょっとしたミスをしても「Never Mind!(きにすんなよ)」と、パラオ人の同僚から励まされ、助けてもらいながら活動しています。この同僚たちは、私にはなくてはならない存在です。
主な活動は、算数教育の強化です。算数の授業にティームティーチングとしてはいったり、教授法のワークショップを開いたりします。時には、体育、音楽、図工の先生になったりもします。この算数強化の目的は、パラオという小規模国家が経済的に自立していくために、経済活動ができる国民を育てることです。現在、パラオの国家財政の半分は、アメリカからの援助金でまかなわれています。
フラッシュカードでお勉強この援助金は一時的なものであり、国を継続的に発展させ、安定した生活を国民に保障するものではありません。いつかは、パラオ人自らの力で、本当の意味での「独立」と「自立」をしていかなければいけません。
「10」てなんだ?なので、私が活動で心がけていることは、パラオ人と一緒に切磋琢磨していくことです。この国の主人公であるパラオ人と一緒に働き、ともにパラオの発展のために貢献していけることを願っています。
「豚」て書きました●「特別」な日課
6時20分 起床(ニワトリの鳴き声がアラームに)
6時30分 朝食(パラオ家族とともに朝が始まる)
8時00分 学校勤務(まずは、お祈りから)
15時00分 パラオ人先生との団欒(だんらん)タイム(お菓子をつまみつつ)
16時00分 村人との団欒タイム(時には、釣りやサイクリング)
18時00分 夕食(ほとんどの日が魚料理)
19時00分 家族との団欒タイム(NHKを観たり)
22時00分 就寝(これ以上することはないので)ほとんどがこのリズムです。そして、このリズムが心地よいのです。
朝の通勤では、道と家を隔てるハイビスカスの垣根から、パラオ人があいさつしてくれます。「いってらっしゃーい、気をつけてね。」(日本語が話せるお年寄りより)
この光景が、平凡であって、「特別」なパラオ生活なのです。