パキスタンより   「りる」第27号より

                                                    緊急一時帰国  M.T.
                                                             平成12年度3次隊
                                     保健婦
                                                                

   火曜日の夕食時、テレビをつけたら、衛生放送も国営TVも倒壊したビルと消火作業の生中継。言葉が聞き取れず、テロップを辞書で調べると『貿易センタービル倒壊』。で、第一印象は「アメリカでも手抜き工事が!」。

 テロらしいと解ってからは、「イギリスに一時避難とか良いねぇ」と同期隊員と冗談で話していました。活動を始めて5ヶ月、現地の生活になじむ一方で、活動の展開や人間関係等で悩みも増える時期でした。

 翌水曜日は特に変わりなし。木曜日の午後、JICAより『荷物をまとめておくように』との連絡。金曜日の夕方、『一時避難決定』の報告、日曜日の夜にはラホール空港から出国。あっという間の5日間でした。

 イスラマバードでの生活に限れば、テロ前後でほとんど変わりなく、一度も危険を感じることのない間の避難決定でした。JICAの安全への強い配慮を感じました。

 職場の同僚達は、「アメリカとアフガンの戦争でなぜ帰国するの?」。そして、職場近くの聖者廟で『美和が早く戻って来られるように』と祈ってくれました。

 村の貧しい女性達とテロについて話をしましたが、『戦争よりも今月の家賃が問題だ』と話す女性が印象的でした。テロ支持する女性はいませんでしたが、日本人である私への配慮もあったかもしれません。

 帰国後、報道をみてびっくりしました。報道は嘘ではないが恣意的に選ばれた情報であり、受け手が客観的に判断しなくてはならないことを学びました。

 半年弱と短い期間でしたが、イスラマバードは生活しやすい都市でした。職場のスタッフともぶつかり合いながら理解し合い始めたところでした。10月には涼しくなるから旅行に行こうと計画中でした。たくさん作った民族衣装も置いて来たままです。

心残りは多々ありますが、慌ただしい帰国のため、現地でお世話になった方々に充分な挨拶もできずに帰ってきたことが一番残念です。今回、再派遣は不可能との決定で、私は別の国へ行く事になりますが、いつか再びパキスタンに戻りたいと思います。 (2002年8月現在パキスタンにて隊員活動に復帰されています。