帰国後1年にして考える「協力隊の意味」とは 「りる」第28号より
ニジェール Y.T.
平成10年度2次隊
家政
私が協力隊員として、思い出深い日々を過ごした任国を離れて、はや一年が過ぎた。その間、自分なりに「協力隊の意味」について、ぼんやりとではあるが理解していたつもりであったが、先日そのことについて、改めて考えさせられる機会があったので、そのことを少し書いてみようと思う。
まず、協力隊の目的のひとつとして、「青年育成」というのがあげられる。それは、日本と全く違う異文化のなかで生活することで、自分と向き合い、様々な価値観を学んで、人間的に成長していく、というもので、たしかにそういった部分から学んだことは多く、影響も大きい。
しかし、もうひとつ、「青年育成」という意味では、大々的にいわれてはいないものの、私にとっては、自分が変わる大きなきっかけとなったものがある。そしてそれは、私だけでなく、帰国後に会った、多くのOB,OGが口にしていたことでもある。それは「任国における日本人同士の人間関係から学ぶことが多い」ということである。
一般に、任地における日本人の数は少ない。また日本での生活に比べて、自由な時間は多くとれるものの、娯楽の少ない任国では、日本人同士、することといえば「おしゃべり」。ということで、自然につきあいも深くなる。お互いに任国のゆったりした時間の中、考えることや感じることも多く、おしゃべりのネタはつきない。
仕事のこと、自分自身のこと・・・。年齢や職種もバラバラながら、同じ隊員という立場で、遠慮なく、率直に、語り合い、議論することができる。その中で、新しい自分、本当の自分の姿を発見することもできるし、またそうやって、お互いに理解し合っていくなかで、かけがえのない友人にも恵まれる。
このような「濃い人間関係」というのは、学生時代には誰もが経験するかもしれないが、いったん社会の忙しい流れに乗ってしまったら、築き上げるのはとても難しいことなのではないだろうか。その点では、私は協力隊に参加して本当によかったと感じている。
さて先日、そんな友人のうちの1人を訪ねる機会があった。彼女は実家のある、北関東の山間の小さな村の老人施設で働いている。私とは、活動中、同職種で、任地も比較的近かったこともあり、よくお互いの家を行き来し、思い切り「濃い付き合い」をした仲である。
不思議なもので、隊員OB、OGの間には、独特の環境の中、同じ空気と時間を共有したという不思議な心地よさがあり、しばらくぷりに会ったというのに、少しも違和感や気負うところがない。そして隊員時代と同じように彼女と話をするうちに、またそこから刺激を受けることになったのだった。
彼女も帰国後半年程した頃、「協力隊の意味」について考える時期があったのだという。「私は2年間の任国での活動中、決して仕事が順調だったわけでもなく、自分が現地の人達の役に立てたとも思わない。でも、税金で行かせてもらった以上、この経験をこれから社会に還元していくことで、自分が協力隊に参加したことの意味を見つけていきたい。家庭の事情もあり、しばらくここを離れることはできないけど、ここにいながらでも、自分にできることはあるはず。」
その一環として、彼女はまず、より幅広く今後の活動ができるように、ニジェール隊員のOB会を設立すること、そして、地域の小学校等での講演を通じて、開発教育に関わっていくことから始めるのだという。
そういう彼女の話を聞きながら、私は以前先輩OBから言われた言葉を思い出した。「協力隊っていうのは、派遣前訓練とその後の2年間の任国での活動期間、それ全部含めたすべてが実は訓練期間であって、本当に大切なのは、その後どうするかなんだよ。」
隊員は誰も、厳しい環境の中、任国での自分の活動をいかに軌道に乗せ、効果を上げるか、考え、悩み、試行錯誤していく。そして、その結果に満足して帰国する者もあれば、うまくいかなくて落胆し、帰国する者もある。しかし、結果はどうであれ、両者とも2年間の間に感じたこと、学んだことはたくさんあるはずで、それを帰国後にどうつなげていくかが重要なのだ。
「協力隊行ってきました。あ〜、しんどかった。(又は、あ〜、楽しかった、)はい、おしまい。」というのではなく、そこから一歩進めて考えることが必要で、自分のなかで、その2年間をどう消化し、それを生かしてこれから自分に何ができるかと問うことに協力隊の本当の意味があり、そこからがそれぞれの真の活動の始まりなのではないだろうか。
これからは私も彼女を見習って、何か自分にできることを探していかなくては・・・と我が身を振り返るとともに、こうやって、語り合え、刺激し合える友人がいるということに改めて幸せを感じることとなった1日だった。