帰国隊員報告 「りる」第16号より
ニジェール T.O.
平成6年3次隊
陶磁器
私は平成7年4月より2年間、アフリカのニジェールで陶磁器隊員として活動してきました。ニジェールといっても、日本人にとっては耳にすることの少ない遠い国で知っている方も少ないのでは、と思いますが、実際私も通知をいただいて初めて知った国でした。
ニジェールは、日本の3.4倍の国土面積を有しながら、その3分の2が砂漠という、非常に水の少ない国です。年間を通して、雨の降るのは雨期のみで乾期には一粒の雨も降らず、とても乾燥していました。また、この国の農業は雨の到来と共に始まります。主食であるミレットやソルゴーの成長は目を見はるほどに早く、種まきから4ヶ月後には収穫。雨期には緑が一杯だった土地が、乾期には「荒野」と化すのです。
私の任地ミリアは首都ニアメから東に約1000km、旧首都ザンデールからは20kmに位置します。東はサハラ性気候で年間100ミリ程度の雨量のなか、ミリア郡周辺は割に雨量が多く、そのため土器の生産として発展していったようです。
ミリアという土器づくりの女性の多い村で、私の任務は、そんな女性たちと共に陶磁器組合を結成し、市場の拡大をはかり、同時に商品開発を行なってゆく、というものでした。アフリカの他の地域にも見られるように、土器づくりの仕事は女性の仕事とされていたのですが、ミリアでは6、7年前より男性も加わり、わが陶磁器組合にも10人弱の男性が参加していました。
ミリアという街で私がまず感じたのは、非常に大きな価値観の違いでした。彼らは7年前から土器の上にペンキで加飾しますが、日本で私の接していた陶芸とのギャップは大変大きく、とてつもない価値観のズレを感じ、戸惑いました。
私がミリアで生活していくためには、まず彼らの価値観、そして彼らの全てを受け入れる必要性がありました。時間はかかりましたが、彼らの価値観、それ自体がその国の文化なのだと思えるようにもなりました。
サバンナでは、大変厳しい気候のために、人々はみな「共に生きる」ことの大切さを自然に身につけています。しかし、この自然のバランスも先進国の影響のせいかくずれかけており、ミリアという街もある部分個人主義を強く感じるところでした。
特に、土器を売って生業をたてている人たちの間でそれは非常に強く、まず「組合」というものの意義を見出し、小さな案件からでも実際にプラスになること、平等に利益が得られることなどを挙げていく必要性がありました。
当初は形にならないことばかりで、戸惑いもしましたし、約束は破られ、予定は未定のニジェール人方式に慣れるのにもかなりの時間を必要としました。しかし、自分に共鳴してくれる人物との出会い、そして日本人である自分自身の価値観、物の見方を変えることの重要性を感じたときから、逆にニジェールでの自分の本当の役割というものを認識できるようになりました。
あまりにも抽象的すぎるかもしれませんが、協力隊員が形として伝えられるのは技術ですが、なによりも大切なのはお互いの意識を交差させるところにあると思います。何が大切かというのは国籍を問わず、一人の人間として接するならば同じであるということ。結局人間として求めていることは日本人もニジェール人も変わらないのだとも思いました。
ニジェールは民主化にむけて、国民ひとりひとりにも徐徐にその意識が芽ばえてきたところです。今まさに「国」というものをつくろうとしており、国民からは大変なエネルギーを感じました。我がミリア郡協同組合もそんな流れの中で1人1人の小さな力を大きな力につなげていこうとはじまったのです。
組織で働いた経験のない私は、当初運営についての指導といわれても皆目分からず、全てが手さぐりの状態でした。組合員はまず「店を持とう」という目標を打ち出し、そのための組合費を取り、わずかながらも積立てるところから始めました。
結局組合費だけでは全てをまかなうことは出来なかったけれど、ザンデール市で活動していた家政、溶接の隊員と共に、衣料、家族、陶磁器の3つのパートの共同作業で、旧首都ザンデールに店を持つことができました。店舗は、フランスの援助団体の所有物件を無料で提供してもらい、売り上げから販売員への10%を引いた利益は全て制作者に還元できることになりました。
多くの問題が浮上し、その度に皆で話し合い、解決していきました。この私たちが踏んだプロセスの中で、次第に組合に積極的に参加し、発言する者が増えてきたのは確かです。組合の一員として責任をもち行動するという考えも定着してきたようです。
少しずつですが、確実に真の「共生」を求めて進んでいると感じます。店は組合にとって、これからの長い道のりの中のただの通過点にすぎません。また、発展は彼ら自身の発見によるものだと思います。
そんな中で協力隊員である私たちが出来ることは「彼らがいかに彼らの本来の力に気づき、それを起こそうとするか」を助けることだと思います。協力隊員は点と点を結んでいく手伝いをする位置にあると思います。つなぎ役にすぎないのですが、しかしその役が実は非常に大切なものなのです。
隊員の生活は本当に協力隊の意義を考え生きるならば、とてもハードであると思います。隊員それぞれ、どこにもぶつけようのない悩みを抱きながら活動しています。
私がニジェールで出会った隊員、専門家、調整員はそんな中で自分の方向性を見い出し、活路を開いている人が多く、自分も隊員としてどれだけ周りの人達に勇気づけられたかもしれません。人は1人で生きているのではない、そう強く感じもしました。
そして、2年という時間をもってしても何かをやり遂げるということはとても難しいことだとも思いました。隊員個人の活動の2年が貴重なのではなく10年、20年と長い目でその国を見ていけることが大切です。
日本に帰国して思ったのは「日本人は果して真の幸福をつかんでいるのか」という疑問でした。物理的にこれほど豊かになった日本で、かえって今人々の精神構造が健全ではないと思います。
海外旅行に行く人の数は相変わらず多いですが、旅行した先で何かを学びとって帰ってくるということは少ないのではないでしょうか。それは他の国との関連性、世界の中の日本を本当の意味で認識していないためだと思います。
真の国際化もまだまだ。日本人はもっと自分自身のためにも、日本のためにも、本当の旅をする必要があると感じます。そして日本人の失ってしまった精神的豊かさを逆に途上国から学ぶべき時にきているのではないでしょうか。
最後に隊員として活動期問中、そして帰国後も私を大いにはげましてくださり、力になってくださった育てる会の皆様、お世話になった先生方そして何よりも寛大な心で見守ってくれた父と母に心からお礼を申しあげます。ありがとうございました。