ニジェール着任       「りる」第9号より

     ニジェール       T.O.

                     平成6年3次隊

                     陶磁器

 

日本も暑さをましている時分と思われますが、いかがおすごしでしょうか。

私は、六月十七日、任地であるザンデール県ミリア郡にようやく到着いたしました。しかし、すぐに首都であるニアメに向け健康診断、総会等のため移動していたので、残念ながら今回のリポートは間に合いませんでした。

今はまだ、実際の仕事をはじめて一週間にもならず、村人との交流をはかることのみに重きをおいている毎日です。

私の務めるここミリアでは、ハウサ語、フランス語が話されます。女性たちはもっぱらハウサ語で、したがって私の仕事上、ハウサ語の習得は必須になります。(アフリカでは、土器づくりは女性の仕事とされています)

つい三日前から私も現地で先生をみつけ、ハウサ語を習っていますが、公用語であるフランス語もまだままならないので、フランス語を介してのハウサ語の習得には手を焼いています。しかし、ニジェール人は陽気で、特に自国の言語を学ぼうとする者には寛大なようです。

住居は、この上なく恵まれた条件で、私にはすぎたものが与えられ、少々気が引けています。仕事はまだどうすすめてゆくかという目算も立っていません。今は頭から「開発と援助」などという難しい言葉を取り除き、初心にもどろうと思っています。村人には村人の歴史があり、私の一方通行の活動で終わってしまわないためには、まずこの地で暮らす人たちの歩調に合わすことが必要なように思われます。

 実際は、私が日本で触れてきた陶芸とここミリアで女性たちが作っているものとのギャップが予想していたものと余りに異なるものだったので、今は戸惑いを感じています。(野焼きで仕上げた作品の上からなんとペンキを塗るのです。食器としては使えません)

 はじめてそのペイントされたものを見たときのショックは強烈なものでした。
 技術の違いよりも価値観の違い。これは、大変なことだと思います。

 しかし、今の自分は郷に入っては郷に従えで、まずここミリアの作り方を学ぶつもりでいます。というわけで、リポートを書くには、もう少し時間が必要と思われます。

 

  焼き物とO隊員ニジェールニアメBOUBCNにて



 今日七月十七日、百五十名から成る協同組合を無事結成することが出来ました。
しかし、私は組織のなかで働いた経験が無く、従って私の任務である協同組合の指揮指導についてわかりかねる部分が多く、できればアドバイスなどを頂けるとうれしいのです。
 身勝手なお願いと存じますが、もしもお時間があるようでしたら、お願いできませんか。

一九九五年七月十五日