帰国隊員報告            「りる」第29号より

                                                    ニジェール  Y.F.
                                                             平成11年度3次隊
                                     視聴覚教育
                                                                

  こんにちは。私は、2000年の4月より2年間、青年海外協力隊員として、ニジェールという、西アフリカの内陸国に派遣されました。サハラ、テネレ砂漠のある国です。世界で最も暑い、そして最も貧しい国の一つです。

 まず、どのくらい暑いかというと、季節にもよりますが、日陰でも45度を超える時があります。空気は非常に乾燥していますし、何しろ日射しが強くて、例えば、頻繁に着ていた柄のシャツは、たった半年程で陽の当たる背中の部分だけが色褪せて、真っ白になりました。

 私の活動は、ギニア虫という、丁度素麺のような格好をした寄生虫の撲滅です。ギニア虫は、人が汚染された溜め池の水を飲むことによって体内に入り、1メートル程に育ち、約一年間後に、手や足の先から皮膚を食い破ってにょろりと出ます。その時、激しい痛みや発熱を起こします。死なないとはいえ、苦しい病気です。特効薬もなく、水をフィルターで漉すなどして、予防しなければいけません。

 啓発用スライド作成

  私は視聴覚教育隊員として、ザンデール地方の文字の読めない村の人達にスライド写真や絵で病気の予防法を伝えるという仕事をしてきました竈病気の撲滅というはっきりとした目的があったのでやり易く、現地の人たちや他の国のボランティアの人達と協力し合って、前の年の80パーセントも患者数が減るという良い結果を得ることができました。
 今日は、村の人と触れ合う機会の多い活動をしながら、彼らから学んだことについて、御報告したいと思います。私がニジェールに行って良かったと思っているのは、厳しい環境に生きるニジェールの人達の知恵を、少しでも学べたということにあるからです。

 私の住んでいたザンデール地方は、岩盤が厚くて、井戸を掘るのがとても難しく、川もありません。村の人達は、雨季に凹地に溜まった雨水、つまり溜め地か、わずかな井戸から水を得るしかありません。

 どんなに暑くても、激しい風が吹いても、村の女の人たちは、素焼きの大きな壷を頭に載せて、しばしば子供まで背負って、時には数キロという道のりを歩いて、水を探さなければならないのです。たとえ、得られるのが泥水のような溜め池の水でも、です。 こんな状態では衛生的な生活など、とても無理です。手を洗う水、体を洗う水に事欠くからです。不衛生からくる下痢などで抵抗力の弱っている子供達は、すぐに他の病気にやられて、あっけなく死んでしまいます。マラリア、トラコーマ、小児麻痒、赤痢、寄生虫病など、実に様々な病気が村には見られます。

 ところが、村の人達の表情には、さほど悲惨さが見えません。むしろこの笑顔の明るさは一体どうしてだろうと、私はちょっとショックでした。

 手足が小児麻疹で萎えているのに、なんでそんなに明るく微笑むことができるのか?明日は何も食べるものがないって、どうしてそんなことがにこにこ語れるのか?

 彼らは本当に不幸なんでしょうか?或いはこの人達には、不幸の概念そのものがないんでしょうか?

 私はここで、彼らがたとえお金や物に不足していても、たとえ病気でも、幸せに生きられる秘訣について、自分が体験してきたことを交えながら、お話ししたいと思います。

 一言でいえば、それは、助け合いの精神が根付いているからです。もしも、私達がザンデールの村のような、耐えられない程暑くて、水を得るのも難しくて、砂が広がる、耕し甲斐のない大地に住むことになったら、きっと数日で根をあげてしまうでしょう。

 自分の利益は自分や家族だけのものという狭い考えでは、自分の畑が干上がったら、餓死するしかないでしょう。この厳しい環境では、互いに助け合うことが、 一番生きやすいはずです。明日は食べれないかも知れない。保険のない環境では、互いに利益を分かち合わないと、生きられないのです。

 そして、ニジェールの村では、与える者が傲慢になるでもなく、受け取る者が卑屈になるでもなく、利益を分かち合うという行為は実に気持ちよく自然に行われます。一緒に生きているのだから、皆家族のようなものだということで、互いに変な気兼ねや遠慮がないのです。実際自分と赤の他人の距離が近くて、血が繋がっていなくても、兄弟なんて呼び合うことも、珍しくありません。

 ギニア虫撲滅予防啓発用ポスターの前で

 たくさんの、心を動かされることがありました。
 ある日、砂道をバイクで走っていた時、牛が飛び出してきて、それを避けた拍子にバランスを崩して倒れました。幸い怪我はありませんでしたが、バイクのエンジンがかかりません。なんとか舗装路に出ようとバイクを押しますが、なかなか進みません。暑さと、砂の抵抗にすっかり参ってしまいました。

 その時、私を救ってくれたのは、 一人のご老人でした。彼は、遠くから慌ててやって来て、バイクを押すのを手伝ってくれました。おまけにバイクに跨がれ、自分が押すからエンジンをかけろとまでいうのです。結局、本当に長い砂道を、ご老人は愚痴一ついうでもなく、私と一緒にバイクを押してくれました。

 やがて彼は、力尽きてへとへとになって、座り込みました。息がすっかりあがっています。すると、今度は2人組の青年が慌ててやってきて、ご老人の体を気遣い、それから自分達の自転車をその場に置き去りにしたまま、私のバイクを押して運んでくれました。やっぱりにこにこしながら。

 ちょっと情けない話ですね。ご老人と私が逆の立場だと格好良かったのですが。

 とにかく、こんなに当然のように親切にされると、暑いとか、重いとか、疲れたとか、苦しさが不思議と感じられなくなります。皆も一緒に苦しさを分かち合ってくれるということで、心が軽くなります。一緒に生きているんだから助け合うのは当たり前という感覚を持つことで、世の中や他の人への無関心が消えて、自分の住んでいる世界がぐっと広がったようです。そして、今度は自分にだって、気負うことなく、当たり前のように困った人を助けられるんじゃないかと思えます。

 ニジェールでは思うようにならないことが沢山あります。短気な私に、ニジェールの人はこう言います。なぜ、君は怒るのか?怒っても周りの者が嫌な思いをするだけだよ。怒ったら駄目だ。皆我慢してるんだから我慢しなきゃ。我慢することはいいことなんだよ。だいたい暑いから、貧乏だから、病気だからって悪態をついてたら、ここじゃとても生きられないよ。もっと利口になりなよ。なるほど、利口という意味の現地の言葉、ハンカリには辛抱強く逆境を耐えれるの意味があるようです。

 今、私は日本に居ます。日本の物の多さ、情報の多さに圧倒されている自分に、ああ、ニジェールにいたのは、夢ではなかったんだな、と思います。

 日本がニジェールとは社会の構造が違うからといって、 ニジェール人の教え、我慢するということ、自分の持つものを分かち合って、助け合うということを、忘れてはならないと思います。そして、こうも思います。皆がニジェール人の知恵を少しずつ持って自然に助け合えれば、助け合うことが当たり前になれば、弱い者がもっと生きやすい社会になるのではないでしようか?

 ニジェールのように、旅行ではまず行けないような国に行けて、活動を通じて様々な人々と触れ合うことができて、多くのことを学び、自分の無知も知り、自分の心の狭さも知り、この二年間は本当に有意義であったと思います。応援してくださったJICA関係者の方々、育てる会の皆さんに、是非お礼を申し上げたいと思います。どうも有難うございました。

 特に、サボンガリ村に小学校を建設した件については、香川県青年海外協力隊を育てる会のご支援をいただき、有難うございました。

 現在も、子供達は、元気に学校に通っているそうです。きちんとした学校の校舎ができて、運営されるようになったことで、教育というものに村の多くの人達が関心を持つようになったそうです。

 学校で教育をうけた子供達が将来、村を発展させるんじゃないかという期待が、大人達の希望となっているようです。残念ながらこの場に村人はいませんが、村人になりかわって皆さんのご援助に感謝申し上げます。有難うございました。