現地隊員レポート    「りる」第43号より

                                                    ニカラグア    A.F.
                                                             平成16年度3次隊
                                    
青少年活動                                                                


『日本文化紹介』

 中米、ニカラグアではいよいよ暑さ本番、かんかん照りにうだるような暑さの日々がやってきた。さて、そのような中で私の任期も気が付けば残り1ヶ月。月日の過ぎる速さをひしひしと身にしみて感じている。

 さて、今回は自分の任地であるグラナダで日本文化紹介を行った日のこと、それにまつわる奮闘ぶりを紹介したい。ニカラグアの人々は、日本からのたくさんの援助で橋が架けられたり学校が建てられたりしているので、日本という国の名前はよく知っている。

しかし実際に日本の情報というとアニメや音楽、アジア映画などで、中国や他アジア諸国ごちゃ混ぜになってしまっている。遠く日本から離れて住んでみて、日本や日本人を客観的にみることができるようになった。様々な問題点はあるだろうが、私はやっぱり日本人で、日本は素敵な国だと思うようになった。そのようなことから、ニカラグアの人々に少しでも生の日本文化に触れてもらえたら、と思いこの日本文化紹介を企画した。


 2007年1月13日、風の強く吹く爽やかな晴天の日、グラナダの隊員が主になって日本文化紹介を行った。実施の3ヶ月程前から準備にとりかかり、グラナダ市役所にも協力を求めた。グラナダ市役所は協力的で、広報、音響、司会者、警備、場所などの無料提供を引き受けてくれた。また、私の配属先SILAIS(保健局)からはテントを、他NGOからもパネルなどを無料提供してもらった。

 今回のコンセプトは、日本人だけで日本文化紹介を行うのではなく、ニカラグア人にも協力してもらう!である。主となって行うグラナダの隊員が全員青少年活動ということもあり、子どもや青少年と接する機会が多いため彼らの協力を求めやすい。また、1年半以上ニカラグアで過ごしたことで、多くの友人もできた。それら青少年や友人など多くのニカラグア人を巻き込み実施に至った。

 当日はグラナダ市の中心にある公園の向かいのCPC(中央文化センター)を1日借り、ヨーヨー、輪投げ、射的などの縁日コーナー、茶道コーナー、折り紙コーナーを設け、それぞれのブースで日本文化を紹介した。これらのコーナーを行うには、たくさんの人数が必要なため、多くの隊員、そして青少年、ニカラグア人の友人たちがほとんど休憩も取らずほぼフル回転で働いてくね、大活躍してくれた。

そのおかげでどのコーナーも大盛況であった。特に健闘してくれたのはニカラグアの青少年で、折り紙コーナーは彼らだけで担当し、多くの来場者に[花]と[ハート]の作り方を熱心に教えていた。


 また公園に舞台を作り、日本の歌、ニカラグアの歌、日本の踊り、ニカラグアの踊り、日本についてのクイズ、空手、剣道などを他の隊員やニカラグア人にも協力してもらい披露した。司会は市職員のフリオさんが行ってくれた。

 日本人を見ると必ず「空手はできるか?」と尋ねられるほど、空手はニカラグアではとても人気である。ここ、グラナダでも空手家の先生がおり教室を設け、多くの子どもや青年たちが学んでいる。そのような中で日本人による空手を見せることができて、よかったのではないかと思う。

それに反してニカラグアでは剣道はほとんど知られていない。防具をつけ、竹の棒で戦う勇ましさと気迫に会場はシーンと静まりかえっていた。また、舞台の最後に日本人隊員約20名と、UCA大学で日本語を勉強しているニカラグア人2人による南中ソーラン節を披露した。全員で揃って踊ることで迫力も満点。舞台の最後の出し物としてふさわしい華を飾ることができた。

 当日は舞台、CPCの各ブースともたくさんの人で賜わっていた。グラナダは観光都市であり、たくさんの外国人観光客が訪れる。そのため、今回の日本文化紹介にもいろいろな国の人がみてくれたのが今回のグラナダ日本文化紹介の大きな特徴であった。


 今回この文化紹介を企画、実施するに当たり、様々な問題点も浮上した。市担当職員と3ヶ月も前からこの文化紹介について話をつめていた。場所や広報、音響の提供も快く引き受けてくれ、多少の心配はあったものの信頼していた。しかし、文化紹介までの1週間、やるやると言っていた広報は一度も行われなかった。そのうえ、当日いくら待っても音響が到着しない。なんとか音響会社と連絡をとり、問題なくプログラムを終えることができたが、支払いは日本大使館からの経費で行った。

なぜ、このような問題が起こったのか。市の担当職員、一人と打ち合わせをしていたためだと思われる。まず始めに市長と話をするべきだったと感じている。市の担当職員はこの文化紹介を行うにあたり知り合った人物で、彼の人柄や仕事ぶりについては全く知らなかった。

そのため、彼の言葉を鵜呑みにし、他の人物との交渉は行わなかった。ニカラグアでは例え仕事であっても約束が果たされないことが多い。それは責任感の欠如、経費の問題などいろいろある。そのためにも、まず、上の人物を押さえておくことが必要であったと反省している。

 ニカラグアで何かをやろうとすると、日本では考えられないような問題が出てくる。それは腹立ちもするが、後で考えるとやっばりニカラグアだなあとそのいい加減さ、のんびりさにほっとさせられる。企画、交渉、広報などとても忙しい毎日であったが、充実感のある日々であり、何よりも私自身楽しんでこの企画を行うことができた。

様々な問題がありながらも、無事終えることができたのも隊員やニカラグア人など多くの人のおかげである。皆の力、パワーというものはすごいものである。