モルディブって竜宮城。    「りる」第22号より

     モルディブ            Y.S.

                     平成9年度2次隊

                     建築施工


・タイやモルディヴ人の舞い踊り。

 「ヤグーブさん!ジャパニーズ・ダンスを踊りましょう!」

 カウンターパートのイヤーズがオフィスで声をかけてきた。

 ヤグーブは、聖書に由来する私の名前をイスラム風に呼んだもので、まわりのモルディヴ人は皆、私の事をこう呼んでいる。

 何を言い出すのかとおもったら、今年度のボーナス支給のイベントで、我々のセクションは日本の踊りを踊る事に決まったらしい。「ヤグーブさんがジャパニーズ・ダンス・コーチねー!」

 と言われ、恥ずかしいので、いつもならそんな申し出は断るのだが、この時は何故か引き受けてしまった。

 「スモウ・ダンス!スモウ・ダンス!」と、はしゃがれても、さすがにそんな恥ずかしいまねは出来ない。ボーナス・イベントは8月だったので、

 「なあんだ、お盆のシーズンじゃないか。盆踊り!盆踊り!」

 と、何を踊るのかあっさり決まった。

 音源を探してあちこち隊員に聞いてみると、探せばあるものである。東広島市出身の隊員が、
 「市役所に表敬訪問した時に渡されて、何に使えばいいのやろ?と思いながらも仕方なしに持ってきたー。」

 という東広島音頭のテープを提供してくれた。しかも踊り方マニュアル付である。

 浴衣を着たいところだが、男4人女2人の6人分の浴衣はさすがにない。布地屋さんで適当な布を買ってきて、一枚腰巻風に巻いて、もう一枚後ろから肩に巻いて、前をそれらしくあわせて腰を別の布で結べば、遠目に見ればちゃんとした浴衣に見える。

   我らが盆踊りチーム

 練習は当日に3時間。どうせ毎日練習したところでモルディヴ人にうまいへたが分かるはずもない。

 さすがに私は日本人だから、マニュアルさえみれば、すぐにそれらしく盆踊りを踊れる。しかし、モルディヴ人にも簡単だろうと思って教えてみても、これがそう簡単じゃない。何しろ、踊りはじめの

 「ちょ・ちょん・が・ちょん!」

 の手拍子からして何回やっても上手く出来ない。「が」が抜けて

「ちょ・ちょん・ちょん!」

 になってしまう。

 声に出して言ってもらえば分かるが、それをされると思わず前のめりになってしまう。そもそも踊りのリズムが違うらしい。

 私が、
 「ちょ・ちょん・が・ちょん!」
 と言っても「ちょ・ちょん・ちょん!」と、うれしそうに手拍子をする。

 何回やり直しても日本人特有のリズムには慣れてもらえなかった。

 日本人なら誰でも出来る事がとたんにモルディヴ人になると出来ないのがおもしろい。

 いざ本番、私達の登場とともに会場は大笑い。踊りはバラバラで、まったくお話にならなかったが、観客には終始大受けだった。モルディヴ人と日本人がジャパニーズ・キモノを着て、ねじりハチマキ巻いて、ファン(うちわ)片手に舞い踊る姿は、よっぽどおかしかったらしい。

 会場は大笑いに包まれた。

・まんぼうの未来。

「この船は、ミスター・ヤグーブによって設計されました。」

 船の着工式で、私の事が紹介された。建築が専門の私としては、船の設計者として紹介されるのは少々照れくさいものがあったが、私がモルディヴにやってきて、一から十まで全て自分で設計したもので、初めて実現しそうなのがこの船である。港の図面はたくさん描いてきて実現しているが、単純な四角の港では設計したという実感は沸かなかった。

 「船」、とはいっても、バージ船と呼ばれる長さ33メートル、幅12メートル、高さ2.5メートルの、エンジンのついていない表面が平らな運搬船で、大型の重機を運ぶ時に使われ、牽引船に引かれて地方島の現場を巡回する鉄の船である。

    バージ船の製作現場にて打合せ中

 着工式ではコーランが朗唱され、子山羊の生けにえが捧げられた。

    着工式で子山羊の生けにえがさばかれる

 設計者特権で「まんぼう」と名付けていたが、社内でネーミングを募集し、この日、抽選で「クリマグ(未来)」と改めて名付けられた。平べったい形から「まんぼう」のほうがいいと思ったのだが・・・。

 もうすぐ帰る私には、この船の進水式に立ち会う事が出来ない。鉄のかたまりのこの船は、計算上では重機をいくら載せても浮くはずだが、なにせ船の設計はこれが初めてなので、沈まないという自信はない。

まんぼうの未来はいったい・・・。

・帰国をひかえた浦島太郎

 活動が終盤を迎え、帰国が目の前に迫ってきた。

 地方島に港を作るための測量が主な仕事で、毎月どこかの島に測量に行っていた。赤道の上に南北にまたがるこの国での測量は、なかなかハードなものがあった。炎天下、海に浸(つ)かりながらの測量では、日焼け止めクリーム、長袖、帽子は欠かせなかった。夜の地方島では、蚊取り線香はさらに必需品だった。

 業務出張は45回、測量した島は36島、上陸した島は106島にもなった。おそらく日本人でこれだけの島に上陸した人は初めてだろう。モルディヴ人でもこれだけの島を訪れている人も少ないのではないか。それでも1200あるといわれるこの国の島々のなかのたった106島ですが・・・。

 思えば、モルディヴの生活は夢のようだった。現代の竜宮城・モルディヴに、亀のかわりにモルディヴ人を手助けしようと飛行機に乗ってやってきて、まんぼうにそっくりな船を設計した。

立派な御殿と思ったら黄金のモスクだった。素敵な音楽と乙姫様の変わりにコーランを読むじいさんがいた。豪華なごちそうの数々はカツオのスープと魚カレーだった。舌がとろけそうな美酒は、イスラムとしては問題があるので、かわりにヤシの実ジュースをふるまってもらった。

タイやヒラメの舞い踊りのかわりにモルディヴ人と舞い踊った。配属先は玉手箱の代わりに、伝統的な装飾を施した「マラヴァリ」という木のサンダルをくれるらしい。あっ、というまの2年だったが、日本はそれ以上の変化をとげているだろうから、私もすっかり浦島太郎だ。

途方にくれたら、おみやげのサンダルでも履いてみようか。でも、赤道直下から真冬の日本に帰るのではサンダルは寒すぎて使えない。浦島太郎はじいさんになってしまったが、私はじいさんにならずに済むだろうか。

もうすぐ帰ります。