南の島から 「りる」第17号より
モルディブ Y.S.
平成9年度2次隊
建築施工
着陸態勢に入った飛行機は透明なブルーに朝日の反射を浴びた海面にあたかもそのまま着陸するかのように海上を滑るように進入し、モルディヴの国際空港そして、ただ空港としての機能しか備えていない滑走路の大きさの島、フルレ島へ到着しました。
ここモルディヴ共和国はスリランカの南西600キロに位置し、約1200の島々そしてその内200の島に住む人口約27万人からなる小さな国です。モルディブの子供たち
突き抜ける空、青い珊瑚礁、白い砂浜、ここはまさに南国の楽園にふさわしい素晴しい自然からなっています。首都マーレは空港からドー二と呼ばれる木製のモーターボートで10分の位置にあり、たった2キロ四方の島に7万人の人間が住んでいます。モルディブの子供たち
ここに私は建築施工の隊員としてやってきました。約一ヶ月間の語学研修を終えた私はMTCC、モルディヴ輸送契約公社に赴任しました。
MTCCは半民半官の公社で、建設以外に船舶輸送、マーレ市内のごみ処理、漁船エンジン販売等を行っています。
私はここで建設技術者として2年間働くことになります。
しかし私は出勤直後5日間全く仕事がありませんでした。専用の机を与えられながらこの5日間にしたことは、船舶部門の人間が持って来た日本語の仕様書を、辞書片手に訳してあげる事だけでした。
思えば協力隊を目指してから実際に自分自身が協力隊としていざ任国に赴任するまで幾度となく赴任しても仕事はない、それどころか机もイスもなく、オフィスの人間からも必要ないと言われる事があるといった話まで聞いていたのに、いざ自分の身に起こると、全く予測してなかっただけに唖然(あぜん)とするしかなかった。
とりあえず赴任してまっ先に覚えたディベヒ語はアハレン、キヒネハダーニー(私は何をしたらいいの?)でした。
6日目にやっと与えられた仕事は、新たに新築される自社ビル、何故か名前は東京ビラの建設予定地の測量でした。訓練前に職場を退職して5ヶ月ぶりの現場復帰に、炎天下、屋根を昇ったりしなければならない測量にも関わらず喜々としてひさしぶりの仕事をこなしていました。しかし、その日を境に私は次から次へと出される仕事に忙殺されるようになったのです。
出勤3週間目に与えられた仕事は、地方島に港を作る為の港の位置決めと測量の仕事で、9日間で4つの島を測量するというものでした。
イスラム教のこの国の休日である金曜日の朝6時半に私達は出発しました。船はサファリドーニと呼ばれる宿泊施設のついた木製のボートでスピードは原付並の実にのんびりしたものでした。休日のしかも早朝に出発という事で私は半ばふて腐れながら早々にベットで朝寝ときめこみました。間に昼食を挟みながらいいかげん寝るのにも飽きてデッキに出ても何もする事がなくボーッとして過ごしていると、モルディヴに着いた当初感動したきれいな海も青い空も時折通り過ぎる緑をたたえた小さな島々も、ただただ退屈に延々と流れていくだけでした。結局、最初の目的地イングラードゥーに到着したのは10時間半後の夕方の午後5時でした。
港を作る工事は、船の入る進入路と港を船の底が擦(す)らないようにエクスケベーター(シャベル)で掘って、そのまわりを珊瑚石で固めるという単純なもので、2台のエクスケペーター、1台のローダー(ブルドーザー)他にダンプやトラクター等が12人ほどの作業員と共に1チームとなり作業を進めていきます。
巨大な重機が港を作りに島にやってくる。島民にとっては初めて見るものばかり。世紀のビッグイベントだ。
島に港が出来る以前は船を沖に停泊し、上陸する時にはボッコラと呼ばれる小さなボートで砂浜に乗り上げてヒザまでズボンをめくり上げ上陸するという不便なもので、港を作る工事は島の住民にとっては非常に心待ちなそして退屈な島におけるとても大きなイベントです。
カウンターパートのシャーミンと共に2つ島を測量し4日目に到着したのはマクヌドゥというモルディヴでは比較的大きな島でした。午前9時頃到着し、さっそく港の位置決めを始めました。港の位置はセオドライトという測量機械とスチールテープで港の位置の四方に鉄杭を打ち込む作業なのですが、海につかりその作業をしている最中に、続々と砂浜に集まる島の住民が大きな声で議論しているので、何だ?と聞くと、港の位置でもめているというのです。
腰まで海につかりカウンターパートのイヤーズと共に港の位置決めを行う
この島は2つの村があって、その双方の住民が自分達の住み処の近くに港を作る事を主張しているという。だいたいどこの島でも港の位置を決める時に多少の変更が出てくるが、まさか目の前で島民会議をさせられるとは思ってもいなかった。
60人は集まっただろうか、島民の議論は時間がたつにつれ白熱して言葉がわからなくても、どんどん収拾がつかない状態になっていくのが目に見えてわかってきます。それを私達はただ浩然と見守るしかなく、おいおい早く決めてくれよと、ただただ日本語でつぶやくだけでした。
しかもその日の午後には現場チームが島に到着し、つまり私達は港の位置もはっきりしていないこの島に、測量チームと現場チームが同じ日に到着したのでした。そんな順番も何も無視したやり方にはもうあららとつぶやくしかありませんでした。
結局港の位置が決まらないまま海岸線の測量を行い、現場作業は進入路から始まる事になりました。そして港の位置は1ヶ月後に決まると言っていました。幸か不幸か進入路はとても長くて、それだけでーヶ月以上はかかるので支障はないけれども一緒に行ったカウンターパートも呆れていました。
夜になるとドー二で沖の方へ行ってナイトフィッシングをしました。月の出ない真っ暗闇の海を進んで行くと視界をさえぎるものは一切なくなって360度合て星に埋めつくされます。海はドー二がたてる波に刺激を受けて夜行虫がキラキラ輝き、まるで足元まで星に埋めつくされるようで一瞬自分自身が宇宙の中にポッカリと浮かんでいるような気さえします。
魚はもう全くの入れ食い状態で40センチぐらいある魚が苦もなくバンバンとつれていきます。ふと冷静に考えると、この星の埋めつくす海の上で同僚のモルディヴ人と共に釣りをしている。自分白身が普通の生活をしていたのでは全く出来ない体験をしている。
しかもそれはモルディヴに私が産まれ育って同じような仕事をしていれば全くの日常のひとつの風景でしかないものが自分にしてみれば全くの得難い経験を私に与えてくれる。
それはもうたった3ヶ月前訓練所にいたころには全く想像していなかった日常が展開していって、そしてそれは協力隊の中でも今のこの経験は私ひとりだけが経験している特別なものであると思うととても不思議な気持ちになるのでした。
結局この9日間の出張で私は1一の島に上陸し、4つの島の測量をし、44時間をドー二の上で過ごすモルデイヴらしく海につつまれた活動をしたのでした。
カウンターパートのイヤーズと測量してきたものを図面におこす
首都マーレは世界でも最も小さな首都で、かつ世界一の過密都市である。熱帯海洋性気候で平均気温28℃ぐらいと高く、12〜4月が乾季、5〜11月が雨季となる。水事情は良くない。飲料も脱塩した海水か雨水である。治安の良い国だが、近年こそ泥等の被害は増加傾向にある。
外食先はピンからキリまであるものの、通常のモルディブ人の食生活はパラパラした芯のあるインド米に、香辛料がたっぷりの汁(一応カレーとされている)、キャベツだけのサラダに、薬臭いような鳥肉であるため、時間の許す隊員は自炊を心がけている。
ただし、食材のほとんどを輸入に頼っているため、入手しやすいのはジャガイモ、タマネギ、キャベツ、人参、ナスくらい。カウンターパートには、高校卒業後に配属先MTCCに入社した建設技術者(経験2年)が2名。同国の技術レベルは決して高くはないが、前任隊員の協力成果もあって仕事に対する前向きな姿勢がうかがえる。
配属先は、建設事業省モルディブ輸送契約公社で、建設計画のある島々への出張測量、浚渫(しゅんせつ)工事、設計、積算、施工等々、幅広い業務に携わることになるが、得意分野や優先順位、前任隊員からの引継等によって、内容は、ある程度特定されると思われる。