現地隊員レポート 「りる」第67号より
ミクロネシア 大西 結加
平成26年度1次隊
小学校教育
『人生の宝物』
執筆している現在、帰国まで、残り三週間となりました。いろいろな思いが胸中で渦巻いています。小学校六年生の時から夢だった、青年海外協力隊。その夢の舞台は、想像以上に困難で、想像以上に幸せでした。まず、活動では、日本のあるべき教師像と、配属先の教師たちの現状のギャップに、落胆し、いら立つことも多々ありました。私が子どもたちに教えるのは簡単です。手をかければかけるほど、子どもが育つのは、世界共通で、子どもたちが何かを新しく発見したり、できるようになったりするのは、とてもうれしかったです。しかし、先生方の指導力を向上させる、いわゆる「技術移転」は、とても難しいと感じました。
最後の授業は「長さ」の学習
二年目のカウンターパート(技術移転の対象)の先生は、算数指導への意欲や向上心に欠け、私は彼女に腹を立てていました。でもある時、自分が彼女より上の立場になったように感じたり、振る舞ったりしていることに気付きました。
彼女の立場になって考えてみると、算数指導に関する知識や経験が少ないため、意欲を失ってしまうのも当然なのです。そこで、一方的に「教え」ようとする態度を改め、「協働する」ようになりました。自分が指導をしている時に手伝ってもらえばお礼を言い、彼女が指導した時には良かった点を伝えるように心がけました。
それでもなかなか変化の見られなかったカウンターパートですが、つい先日、活動の集大成として行った公開授業で、彼女は自信をもって指導をしていました。授業前には、「ユウカにとって最後だから、私がんばる。」
授業後には、「次のボランティアも、私のところに来てほしい。」と言ってくれたのです。教師として日々努力してほしいと願う、私の気持ちと、初めて通じ合ったような気がしました。
次に、算数教育以外のプラスアルファの活動では、苦労もしたけれど、その分、大きな喜びを得られました。特に、昨年十月の「ジャパンフェスティバル」で、「南中ソーラン」と鍵盤ハーモニカの指導をやり遂げたことが、自信になりました。
限られた環境の中で生きる子どもたちに、少しでも多くの経験をしてほしい、また、努力することで得られる、達成感や充実感を味わってほしい、と願ってのことでした。集中力の持続しにくい子どもたちに、拙い言葉で教えるのは大変でしたが、助けてくれるのも子どもたちでした。本番では、緊張しつつも、みんなが一丸となって、最高の演技、演奏をすることができました。
他にも、子どもたちがかいた「ポンペイの絵」を、日本の小学校へ送ったり、JICA四国の協力隊五十周年記念事業で、世界各国から集められた、Tシャツアートを展示したりしました。
鍵盤ハーモニカの練習、修了式
プラスァルファの活動は、求められたわけでも、必要でもありません。自己満足で終わってしまったかもしれません。それでも、目を輝かせながら取り組んでいる子どもたちを見ていると、やってよかった、と心から思うのです。
躍動する子どもたち
それから、生活面では、休日をとことん楽しみました。毎週土曜の朝は、在住日本人で作ったチーム「PJSC(ポンペイ・ジャパン・ソフトボール・クラブ)」で、キャッチボールやフリーバッティングをして、汗を流しました。
世界とHIRAHIRA
ある時参加してくれた敬言察官の方にスカウトされ、「官庁チーム」の一員として、地元のソフトボール大会に出たこともありました。他にもテニス・バドミントン・マラソン・卓球など、スポーツに明け暮れました。
また、自然に恵まれたポンペイで、ダイビングのライセンスを取ったり、最高峰のナーナラウト山に、泊まりがけで登ったりもしました。
海底は絵にもかけない美しさ
日曜の朝は、ホストファミリーと一緒に、教会へ行くこともありました。私はクリスチャンではないけれど、牧師さんのお説教をする声を聞いたり、讃美歌を歌ったりすると、心が安らぐのを感じました。
活動で疲れても、休日が充実すると、またエネルギーが湧いてくるのでした。
思い出は尽きませんが、最後に、私がこの「人生の宝物」のような日々を送れたのは、大好きな人々のおかげです。いつも私のことを気にかけたり、おいしいご飯をつくってくれたりした、ホストファミリー。
気さくで明るく、冗談を言って笑わせてくれた同僚たち。つらいこともうれしいことも共有してくれた、JICAミクロネシア支所の職員やボランティア仲間。
ここに来なければ出会うことのなかった、国籍も様々の友だち。そして、日本で見守ってくださった皆様に、「カラーンガン(ありがとう)」の気持ちでいっぱいです。
第二の家族(2015年2月撮影)