現地隊員レポート             「りる」第63号より 

                                                    マレーシア     篠原 舞
                                                             平成25年度1次隊
                                         作業療法士
    

 

 ヤシの木、ゴムの木、ドリアンの木がそこら中に生え、市場には裸になった鶏、採れたての魚、マンゴー、パパイヤ、マンゴスチンのような色とりどりの南国フルーツが並ぶ、このような場所に来て一年が経ちました。なぜかわたしはヤシの木があるだけで日本とは違うなあと感じるのですが、赴任直後は初めて見るものづくしで、「日本とは違うなあ」をよく感じていたかもしれません。

しかし赴任して二ヶ月目、久しぶりに見た海はなぜかとても懐かしく、思わず「わ〜!海や!!」と叫んでしまいました。景観も向こう側に岡山県が見えるわけもないし、小島が浮かんでいるわけでもないのだけれど、なぜか故郷の香川県を思わせるものがありました。

 常夏の国マレーシアは多民族国家です。人口の約6割をマレー系が占め、次いで中華系が多く、インド系、バングラディシュやミャンマーなどの周辺国からの出稼ぎ労働者の移民、そのほかの外国人と少数民族の原住民によって構成されています。そのため公用語はマレー語ですが、首都では英語の方が通じるときがあります。

また、街中ではよく様々な言語が飛び交っています。わたしが住んでいるクランタン州は東海岸に位置し、タイと国境を接する州です。人口はマレー系が95%以上を占めるため、イスラム色が濃厚でマレー文化が残っている場所といわれています。例えば、首都の公休が土日なのに対して、クランタン州といくつかの州は金土が公休です。これはイスラムの休息日である金曜日を公休にしているためです。また、マレー文化の影絵や凧、踊り、太鼓、駒などを見ることができます。

 多民族国象なので挨拶も様々です。イスラム教徒であるマレー系同士は「アッサラームアライコム」とアラビア語で挨拶をするのですが、これをイスラム教徒ではない人が使うとひんしゅくを買ってしまうのでわたしは使えません。

マレー語でおはようなどもありますが、時間帯を気にせずこれさえ言えば大丈夫という万能な挨拶は見当たりません。(あるにはあるのですがとても堅い挨拶になってしまいます)気軽に挨拶して話しかけたいなあと思ったとき、使える言葉が「スダマカン?」です。ハ〜イ!と軽く挨拶をして「スダマカン?」と聞けば完壁です。

これはごはんを「もう食べた?」という意味で、わたしは同僚をはじめとするマレー系の知り合いに会えば必ず聞かれます。これに対する返答は「スダマカン(もう食べた)」とか「スダ(すでに)」とか返せばオッケーです。食べていない場合は正直に「ティダッ(いいえ)」と答えて大丈夫です。たいてい「なんで?」と聞かれてごはんの話になります。

マレーシア人は食べることが大好きで、いつもごはんの話をしていて、食べものによってどこの店が美味しいか教えてくれます。また、突然会議に呼ばれたとして、そのときわたしがコーヒーを飲んでいたとすると、会議の開始時刻だったとしても「先に飲んじゃいなさい」と言われます。

ユニークだなあと思ったのは、会議で必ず食べものが出ることです。一日がかりの会議の場合、会議前に軽食とコーヒーまたは紅茶、休憩時間にも軽食と飲み物、昼は昼食が出て、会議が終わったら軽食と飲み物が出ます。国際セミナーでも同様でした。

マレーシアの会議では必ず食べものが用意され、食べものの用意を忘れることは恥ずかしい失敗なのだと教えてくれました。確かに同僚がどこの会議に行ったときのごはんがおいしかったという話をしていたので、マレーシアは会議で食べものを出すことが、日本でいうところのおもてなしになるのかもしれないと思いました。

 こんな楽しい同僚たちのいるわたしの配属先はクランタン州社会福祉局で、州内にある39ヶ所の、地域に根ざしたリハビリテーション(以下、CBR:Community Based Rehabilitation)センターを巡回しています。このCBRセンターの運営はその地域の人たちで行われ、センターで働いているスタッフも地域のボランティアという位置づけです。

リハビリと名がついているのですが、デイサービスや託児所をイメージするとわかりやすいかもしれません。現状このセンターに通ってくるのは、学校に通う前の障がい児と、学校に行けない障がい児・者、学校を卒業しても行く当てのない障がい者などの知的障がいが中心ですが、受け入れに障がい者の年齢や疾患等に制限はありません。

 わたしは作業療法士という職種で赴任し、障がい者の就労支援に携わっています。雇用という方法でCBRセンターから地域に出て、地域の中で生きて行けるようにという障がい者の社会進出促進を目指しています。そして現在、各CBRセンターでジョブコーチ研修を受けたスタッフと社会福祉局とわたしで協力して、州独自での就労支援プログラムを開始しています。

 このプログラムの中で、ある障がい者がパン屋で働き始めました。いわゆる読み書きは苦手ですが、数を数えたり、指示を理解したりすることはできる人です。当初、雇用主であるパン屋の奥さんは障がい者だから掃除のような簡単な仕事しか与えられないという理由で、日当を三分の二にカットするという条件を出していました。

しかし、実際にジョブコーチのスタッフと共に迎えた仕事訓練の初日、わたしが到着したらその障がい者はすでにパン作りを手伝っていました。パン屋の奥さんは、教えたり指示を与えたりすればこの人はパン作りの仕事ができることを理解してくれ、最終的に日当のカットもなくなりました。

お金のこともそうですが、障がい者に接したことのない人が障がい者と関わり、障がい者に対する先入観ではなく、その本人の姿を見て判断してくれたことが一番嬉しかったです。障がい児・者が社会に出るということは、障がい児・者を関わる機会のなかった人たちにも関わるチャンスが生まれ、障がい児・者という括りではなく、本人の姿を見てもらうことができます。

十人十色、本当に色んな人たちがいます。あとは、この人たちが仕事を継続して行えるように、経過を見ながらジョブコーチのスタッフと共にサポートして行きたいと考えています。