マレイシア便り  私の任地  「りる」第14号より

     マレイシア         K.M.

                     平成7年2次隊

                     養殖

 

 私の任地、タンジュン・バタクは、犀岬という意味である。目の前には、真っ青の南シナ海が広がり、背後には東南アジア最高峰、4091mの雄大なキナバル山が望める景色の素晴らしい岬である。サバ州、州都コタ・キナバルから約60kmと、都市部からそれほど遠くはない。コタ・キナバルも、ここ最近のマレイシアの急速な発展に伴って都市化が進んでいる。街には、高層ビルが建ち、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドまであり発展途上のイメージからかけ離れている。

最近街での流行は、携帯電話を持つことである。都市部では、日本のライフスタイルとほとんどかわらない。しかし、一旦街からでると、道路を走っても緑の木々と赤茶色い土だけが目に付く。職場のある岬は、コタ・キナバルから、いくつかの街を通り抜け、水牛が歩く水田とマングローブ林に挟まれた道を10qほど行き、それから、雨で沼のようになった道を数キロ進んでやっとたどり着く。

 

 サバ州ダンシュン・バタクの子供たち



職場赴任の当日は、果たしてこの先に、人が居る場所があるのかと車の中で不安になった。突然道が開け、5・6軒の高床式の家が並び、野原を通り過ぎると職場の施設が見えて来る。私もその家の一軒を借りて住んでいる。そこには、電気は通り、プロパンガスもあるが、水道と電話線がない。水は、飲料水を含めて雨水だけが頼りで、雨が降らない日が3週間以上続くと、貯水タンクが空になるので、水は極力節約しないといけない。

 ここサバ州は、ボルネオ島の北部に位置し、半島マレイシアから飛行機で2時間余りと、離れており、同じマレイシアでありながら半島マレイシアとは、外国のようなイメージを受ける。もともとサバ州にはカダザン族を中心に、少数民族のドウスン族、バジャオ族、ムルート族などの先住民がおり、更に、海外からの移住者、中国人、フィリピン人、インドネシア人が混在している。それぞれの人種は、顔立ちが違い、信仰する宗教も違えば、生活習慣も違う。当然、食生活も違う。

イスラム教を信仰する民族は、豚は食べないし、酒も飲まない。対して、酒も飲むし、豚でも、犬でも、トカゲでも何でも食べる民族もいる。先日、職場の水槽の裏に隠れているビヤワ(オオトカゲ)をスタッフが発見して捕まえた。それから、皮を剥(は)いで煮つけにし、それをつまみに皆で酒を飲んだ。その肉は、鶏肉のようで匂いもなく、なかなかおいしい。

酒はこちらの主食の細長くぱさぱさしたインデカ米から、発酵させて作り、日本でいうどぶろくのような感じである。酒に酔ってくれば、日本と同じで歌が始まる。驚いたことに、スタッフ達が日本の演歌、北国の春が歌えるのである。どうも先代の協力隊員から教えてもらったらしい。このように、スタッフと集うのは、とても楽しい。語学の上達にもつながるし、人間関係を深めることで、仕事でもスムースな相互理解ができることを望んでいる。

 さて、私の職場、サバ州水産局海産種苗生産センターは、魚のふ化場で、親の魚から卵を採り、それをふ化させて稚魚を作るセンターである。この稚魚を、零細漁民に配布し、養殖業を活性化させることが目標となっている。このようなふ化場はマレイシア国内で、数ヵ所しかなく、水産業の発展を担う施設として大きな期待が寄せられている。

 

  プランクトン培養研究室



このセンターは、JICA専門家のプロジェクトで設立され、ある程度の生産が可能となった後、協力隊が後任として配属された。そして、私で3代目の協力隊員となる。したがって、このセンターと、日本人との付き合いは、6年以上と長い。赴任した当日、私は、スタッフにマレー語で最初にどう挨拶をしようかと、戸惑っていたところ、スタッフのほうから日本語で「おはよう、プランクトン生産場ございます。お元気ですか。」と、声をかけられ驚いてしまった。

こんな職場で、私に期待されているのが、ハタ類の種苗生産技術の開発であった。ところが、赴任当時は、海水を汲み上げるポンプが故障しており、修理に3ヵ月以上も掛った。
その後、餌となるプランクトンの生産から始めることになったのだが、最初の段階の植物性プランクトンの培養が、安定せず、魚の生産に間に合わせるため、随分、四苦八苦してしまった。

 

  プランクトン生産場



その時点で、植物性プランクトン培養の種に問題があると判断し、その解決に半年以上、従事した。依然、現在でも少々問題があるが、ハタの研究も進めなければいけないので、予定を立てていたところである。

 任期も半分があっという間に終わってしまった。これまで自分の活動を振り返ると何かこのセンターに残せたのかと反省してしまうが、人間関係だけは、しっかり作ってきたつもりだ。目標を立てても、次から次へと問題が起こりなかなか進まないが、残りの任期で、是非ハタの研究をやってみたい。最近のマレイシアの著しい経済発展を目にすると、協力隊の存在意義を疑問に感じることもあるが、私はこの職場の人間とここで働くのが好きだ。