ボランティア元年 みんなができること 「りる」第8号より
リベリア Y.O.
昭和63年1次隊
稲作
私は青年海外協力隊の稲作隊員として西アフリカのリベリア国にて二年間、また協力隊調整員としてミクロネシア連邦に二年間赴任しておりましたが、隊員として参加した当時と比べ、ボランティアというものに対して、その注目度はどんどん大きくなっているように思います。特に今年の一月に起こった阪神大震災で、ボランティアが大変注目を浴びました。
たくさんの人達が地震の災害復旧や被災者の手助けをするために現地に赴き、現在もなお貴重な活動を続けています。これほどボランティアがテレビ等マスコミに紹介され、全面に出たことはあまりなかったことで、全国民的にボランティアが認識されたという意味においては、今年はボランティア元年と呼んでもいいのではないかと思います。
現地の稲刈り風景 稲は「穂」の部分だけ刈り取る。
話は変わりますが、だぶん多くの人達が、国際協力をするためには、現地に行かなければならないとか、特別な能力を持っていなければいけないとか思っていることでしょう。確かに現場に行くことは大切ですし、現場で何かをするためには専門性や外国語が必要ですが、現場に行って活動するだけが国際協力なのでしょうか。
震災の例をとっても、現場で活動している人の後ろで、支援している人がどれだけいらっしゃったことか。また、みんなの関心が世論となって、被災者の方々や現地で活動している人を後押ししているというような事例も多々ありました。ですから普通の日本人として通常の生活を送っていても、国際協力としてできることはたくさんあるのではと思うのです。
その一つ、それもみんなができる最初の一歩として、今回の震災と同じようにたくさんの人々が南北問題や国際協力等に関心を持つということが挙げられ、そういった関心を持つためには、身近なところから私たちの生活をもう一度見直すことが、いいきっかけになるのではないでしようか。
私たちの周りでは無駄なものをたくさん作ったり、捨てたりしていることが多々あります。必要以上の贅沢もしています。私たちの身の回りにあるものは日本製ですか、外国製ですか。日本製だとしても原材料はどこから来たものですか。食べ物についてはどうなっていますか。エネルギーは?
こういった日頃あまり深く気にしていない事に注意を払うことに、出発点があるような気がします。直接現場に赴いて何かをやるということも重要なことですが、それと同じくらいみんなが自分達の生活を通して世界との関わりを考えていくことが大変重要だと思うのです。特に今日の日本においては。
今の生活があたりまえと思っている私達が気付かなければいけないことは、どのようにして今日の物質的に豊かな生活が成り立っているかということです。そんなことが多くの人々の関心にならなければ、現在の南北問題等の本質に近づくことは難しいでしよう。
国際協力の現状を例えるなら、現場の活動でやっていることは傷口にガーゼをあてるくらいで、なぜその傷ができたのか、どのようにして治していくのか、どうすれば怪我をしないようになるのかと言った深い部分を突き詰めていくことが、基本的な課題でその解決策をみんなで考え、これを実行に移して行くことが肝心なことなのではないでしょうか。ここでも問題の本質を考え、これに対応していくためにはやはり多くの人達が意識を持って考えなければ、いくら少数の人が対処的にがんばってもその効果は非常に薄いのです。
周りの人達に関心を持ってもらうためには、現場の状況を伝えられる人が必要ですが、そういったことこそ私たち協力隊経験者ができることなのでしょう。阪神大震災という日本国民にとって身近で深刻な問題から出発したボランティア元年。今後遠くに離れた非日常的な問題にどこまで日本が関わっていけるかは、ベールの向こうで見えにくい世界を実際に見て、肌で感じ取ってきた人達が、どのように周りの人達に関わっていくかに寄るところが大きいでしょう。協力隊員の本当の仕事は帰ってきてからなのかもしれません。
O隊員とリベリアの子供たち