ケニア共和国だより   「りる」第24号より

                                                    ケニア  K.S.
                                                             平成9年度3次隊
                                     自動車整備
                                                                

 ケニア共和国は、1963年12月12日独立、ダニエル・アラップ・モイ大統領、首都はナイロビ、アフリカ大陸東部に位置し面積は、日本の1.6倍で気候は、平均気温17〜18度で海岸部以外はほとんどが高地で、日差しは非常に強いが、一年を通して気候の変化がほとんどない。1年のうちに2回ずつ雨季と乾季があり、雨季は夕方の一時間ほど雨が降るので便利で、草木の育つのも非常に早いと思う。サバナ気候以外のところは穀物、果物がとても豊富でとても恵まれていると思う。

 現地の子どもたちと

 全国に50の部族が存在し、キクユ族、カンバ族、ルオ族、カレンジン族、ソマリ族などが100万を超える人口を有する部族。部族同士の結びつきが非常に強く、職場でも一部族が上司に就任すると、その周りの人がたくさん入れ替わったりする。

 宗教では、キリスト教66%、伝統宗教26%、イスラム教6%。私の任地ではほとんどがキリスト教で、毎週末教会に行く様で、非常に信仰が深い。その為宗教の話になると大変で、日本人から見れば異常に思える。

 黄熱病、B型肝炎、狂犬病、破傷風等があり、特にマラリアと食物及び水に由来する病気が多い。私はマラリアに一度、ランブル鞭毛虫に一度なった。マラリアは急に高熱が出るときいていたが、今まで経験したことのない様な熱が急に出て、また任地で一人だったため非常に怖い思いをした。

 首都ナイロビは、非常に大きな町で、依然はそうでもなかったらしいが、渋滞がいつも起こるほど車が多い。ここでは必要な物は何でも揃うし、観光客も多く、それにつられて泥棒や、いんちき臭い勧誘などはとても多い。実際、帽子を取られそうになったこともあるし、襲われたと言う話も時々ある。

 私の住んでいる町は、首都より150キロ。ケニアの中でも3番目に大きな町で、生活に必要なものはたいてい買うことができる。また、電気もあり、停電することもあまりないが、大きな町なのに市役所の汚職がひどいらしく、水が蛇口からでることはあまりない。その為、水は井戸を持った人の家から買って生活している。わかってはいたが、日本の生活様式がどれほど豊かで、快適かが、初めて日本を離れて生活することによって分かった。

 最も苦悩したのは言葉。何をするにも、自分の意思が相手に伝わらないとどうにもならない。この国では、ほとんどの人が英語を喋れるが、私は英語が全然だめ。訓練所で、三ヶ月間英語を習ったが、いまだにあまり喋れない。しかし、身振り手振りだけでも生活はできている。また、現地の人が話すスワヒリ語を仕事しながら覚えて行くうちに、少しは話せるようになったが、相変わらず英語は喋れない。これからの一番の課題もやはり言葉だと思う。

 ケニアの主食は、ウガリ(トウモロコシをすりつぶしたもの)で、これを炊いて、手で握って食べる。最初は美味しく感じなかったが、とにかくこのウガリを食べる機会が多く少しずつ食べるうちに味にも慣れて、今では、自分で作るほどにまでになった。副菜として、匂いのきついほうれん草のような青菜がとても一般的。その他、日本で考えるほど変わった料理はないが、基本的に味付けは塩だけを使い、全体的に味は単調である。

 ここでの仕事は、ケニア野生生物国立公園(自然のサファリパークのようなもの)というところで、公園で管理している自動車の修理を指導するのが私の仕事。日本で私は、自動車販売店で自動車の修理をしていたので、大型のトラックや重機、トラクターなどは、修理した事がなかった。

 授業風景

 配属前には、日本からの援助で日本車が多いと聞いていたが、私のパーには、ほとんど援助されていなかったみたいだ。現在所有している車両は50台。そのうち使える状態の車両は14台。乗用車は7台で、イギリス製の車が多く、日本にいたときには一度もみたことがなかった。車歴は20年近く経った車が多く、国内に信号があまりなく走行距離がすぐ嵩むため、20万キロ以上走った車ばかり。50万キロを過ぎた車両も有る。ケニアで使われている車は日本車がとても多いが、非常に古い車が多く、実際内部を見てみると、エンジン、ギアボックスに違う車の部品がついていて、他の車の部品を流用することはざらであり、原形をとどめていない車もとても多い。そんな状態なので、今までわたしが教わることが多く、本来私が求められていたはずの指導は、あまりできていないように思える。一般的に新しい技術はあまり使われていないが、車を道具も部品も無い状態から工夫して簡易的に直すということは、すばらしいものがある。ここでの技術は、とても低いと聞いていたが、私が思っていたよりも高いと思う。しかし、理論的な整備、電気的な修理などは不得意で、故障が他の故障を作ることも多い。

 やはり根本的な考えの違いなども多いが、それらの考え方に、良いとこも悪いとこも含め、私も考えさせられることがよくある。

 日本の社会では、まじめに働き収入を得ることが、生活のほとんどになっていることも多いと思う。この国ではまじめでないと思えるところも多いが、人間が大らかで、セコセコしていなく自分の人生を大いに楽しんでいると思う。特に田舎のほうに行くとそんな感じが強く、電気も水もないが、すべて自給自足の生活で、毎日の時間の流れが遅く感じるほどである。

 任期も残り一年をきり、ケニアでの生活にも慣れたが、反対に現地の考え方に馴らされた観があり、今まで多くのことを疑問に思ってきたことも疑問に思えなくなってきた。もう一度初心に戻り、考え方を改めなければならないと最近思い出した。