帰国隊員報告 「りる」第16号より
ケニア M.Y.
平成6年3次隊
自動車整備
野生王国ケニアで自動車整備
平成六年度三次隊自動車整備隊員としてケニアに派遣された森と申します。皆さんケニアというとすぐ思い浮かぶのは広い草原を疾走(しっそう)する野生動物ではないでしょうか。私はそのアフリカ、ケニアの野生生物公社に配属されました。この公社はケニア全土にある国立公園を管理する、正式名は「ケニア・ワイルドライフ・サービス(KWS)」です。私はこの一拠点である西ツァボ国立公園の車両部門で活動していました。この公園は、隣の東ツァボ国立公園と合わせると、なんと四国よりも広い面積があります。
野生動物の王国でもこの公園を運営、管理していく上で、自動車はなくてはならないものです。この公園には約200人の職員がおり、そのうち20名程が車両部門のスタッフです。西ツァボ国立公園は首都ナイロビとケニア第2の都市モンバサのちょうど中間に位置し、どちらの都市からも250kmの距離にあります。
またこのケニア野生生物公社には現在5名の自動車整備隊員が派遣されており、それぞれの任地である国立公園内で活動しております。その中には香川県出身の伊藤隊員(7/3)も、ナクル湖国立公園にて活動しています。
意外な出会いであった協力隊
そもそも私にとって協力隊参加は意外な形でスタートしたものでした。と言うのは私と協力隊の出会いは、入社した会社に協力隊OBがいて、入社4年目の時に、協力隊の募集説明会をしているその会社の先輩に、「説明会を見に来い」と言われ、腕試しに受験したら合格してしまったというのが実際のところでした。しかし、応募の段階から派遣先だけは特に強いこだわりを持っていました。説明先でもらった派遣先の一覧の中で、この「ケニア野生生物公社・西ツァボ国立公園」が目に止まった時からここしかないと思い、その強い希望がかなってこの任地での活動となりました。
ケニアの印象
派遣される前に訓練所で知ったケニア、そして本を読んで知ったケニア、ある程度想像して予備知識を詰め込んでいったはずですが、最初は見るもの全てに驚かされました。豊かさと貧困、文明と大自然、極端に相反する要素が混沌(こんとん)と同居している不思議な国だというのが私の率直な印象でした。
そして「日本から見たケニア」は非常に遠い国である。しかし「ケニアから見た日本」はとても近い国であるということです。というのはケニアではテレビ、ビデオなどの家電製品や走っている車の80〜90%が日本製なのです。また首都ナイロビでは何でも揃(そろ)っており、日本食も食べられます。衣食住に関しては殆(ほとん)ど何の不自由もありませんでした。
私の活動
さて、私の活動ですが、主な仕事は公園内の密猟防止のパトロール用車両、道路整備用車両のメインテナンス、発電機やポンプの整備、その為の技術指導、そしてマネージメントの改革などでした。車は舗装されていない広大な公園内を何も考えずに高速で走るため、車両の損傷がけた違いに激しく、4WD車が4WD車らしく使われていると言えば言えますが、日本ではまず壊れないところが壊れていきます。全ての部品は、250km離れたナイロビかモンバサの都市まで行かなくては手に入りません。私はこの任地での9代目隊員でしたが、前の隊員の離任から私の赴任まで1年半の空白がありました。
その間に日本からの援助により日本車が数多く入っていた事もあり、現場では待ちに待った後任者でありました。
メカニック事情
ケニアのメカニックの第一印象は「経験と勘で直す」ということです。原因を究明して根本から直すということより「こういう場合、この辺をいじるととりあえず動くようになる」という具合です。そして驚くことに、10年以上経験のあるメカニックが、ドアロックの掛かっている車を、ロックされているのを気にも止めず、力任せに引っ張りドアノブを引きちぎったり、洗車の際に、車内のダッシュボードまでホースで水をかけて洗い、電装関係がショートして壊れてしまったりと、笑うに笑えない体験もしました。
技術指導においても、各隊員が一人一人任地で指導するのも大切だけれども、隊員同士横のつながりを持ち、もっと効率的な技術移転の方法はないだろうかということで、自動車整備隊員で話し合いKWSナイバシャ研修センターを利用しての本格的な研修施設を作る計画を立てました。その始めとして全国からKWS内、そして他の省庁からも選(え)りすぐりのメカニックを参加者として集めての集中研修会を、私の任期中に合計3回行いました。この計画は現在も進行中で、今後も継続していくスケジュールになっています。
庭に猫ならぬライオンが訪れた
最後に、この2年間の体験は思いがけないものでありましたが、一生忘れられないさまざまな思い出が残りました。現地の人との交流はもちろんの事ですが、ケニアの自然、特に大草原の向こうにそびえたつキリマンジャロのふもとに落ちる夕焼けの美しさと星のすごさは予想をはるかに越えるものでした。住居も公園内に十分なものが与えられ、生活には殆ど困りませんでした。治安は全く問題はありませんでしたが、ライオンや象が庭にまで遊びにくるなどといったエピソードもあり、とても日本では体験できない思い出を胸にケニアを後にしました。