アフリカの厳しさ・優しさ 「りる」第3号より
ケニア T.N.
昭和53年1次隊
園芸作物
アフリカには、大小の国が五十近くもあり、赤道を中心に南北に広がっている。従って気候、人種、文化等は変化に富んでいる。私はその中のひとつの国ケニアで一九七八年から三年間野菜栽培の隊員として刑務所の農場で働いてきた。囚人たちは至って陽気で刑務所の暗いイメージは全くなかった。この農場はあらゆる果樹や野菜が栽培され地方の農業試験場的な役割も果たしていた。
以前に私は香川の農協の営農指導員だったこともあって、かなリ自信をもっていたがどうもうまくいかなかった。水の少ない所で、しかも焼きつけるような太陽の下で如何に根を張るかがポイントで、私はこの厳しい環境を甘くみていたようだ。半年以上も雨がなく照りつけられると土はレンガになり歩けばほこリが舞いあがる。幼稚な現地のやり方にも多くの知恵があることに気づきこれを改良していくことにした。
ケニアの田舎では食糧は自給自足で五haぐらいの畑で主食のトウモロコシを栽培している。他に家畜として牛、山羊、鶏が農家の庭で飼われている。村の生活はたいへん質素で静かである。過剰な情報に心を乱されることもなく何ごとにもゆったりと時間をかけてそれを楽しんでいる。庭にテーブルを出し通りがかりの隣人を呼び止めて、お茶にする様子は如何にも大様なアフリカらしい。
ある日私は遠くの友人を訪れるためバスに乗って山中を走っていると、夕暮れになってバスは終点止まりとなった。乗客は「私」ひとりだけになっており途方にくれている時、運転手の家に案内され夕食をごちそうになり、彼等の寝室を貸してくれた。身も知らぬ外国人に親切にしてくれて私は感動した。それからこれはある女性教師隊員の話であるが彼女が街で少年にお金を無心された時、彼女は自分の村に帰るためのバス賃さえないので困っていると云って断った 。
ところが少年は自分のポケットから小銭を出して渡そうとしたので、彼女は恥ずかしくなり、真実云って謝ったそうだ。いい話である。人々の心には、伝統的な助け合いの精神が残っている。国が発展しても、このような良き伝統は残していって欲しいと願っている。
香川県にサヌキ時間があるように、アフリカにもアフリカ時間というものがある。これにはたいへん悩まされたが、慣れてしまうと、こんなにおおらかなものはないと思う。私は帰国してからずっと農業を営んでいるが農業は自分で時間のやりくりができるのが良い。そこで自分の家は自分で建ててみようと思いついた。昨年の夏、米国よりログハウスの材料を輸入し、米国の大工らと共に屋根まで建て上げた
。完成させるには、まだ時間と手間がかかるが、少しずつやっている。物をつくリ上げるプロセスには心をわくわくさせるものがある。これぞ大人の工作である。
帰国して、私は農業を選び、ミカンと力ーネーション栽培を十年程とりくんでいる。専業農家であるがゆえに今苦しい時である。それでも私は農業を続けていきたい。ケニアでの経験は私の価値感を大きく変えた。農業を仕事ではなくて生活の一部とみなし無理せず健康的で生きがいのあるものにしたい。私には自分の家は自分の手でつくるという夢があった。
昨年の夏アメリカよりログハウスの材木一式を輸入し、大工らもアメリカより呼び納屋での合宿生活一ヵ月でほぼ屋根までできた。現在、農作業の合間に少しずつやっているがこの秋に完成させる予定である。
協力隊活動の二年間は後の十年あるいは二十年に匹敵する程重みがあると信じている若い農業後継者にぜひ挑戦してもらいたい。JA(農協)組織も合併化によリ大組織になりつつあるが、将来のJAを考えるとローカルなことばかりにとらわれない魅力あるスタッフ、農家養成のために彼らを協力隊に参加させ、再び地方の活性化に活用すべきだと思う。