現地隊員レポート             「りる」第62号より 

                                                    ヨルダン   浅野 葵
                                                             平成25年度1次隊
                                         青少年活動
    

 

『砂漠の国での生活』

「もう半年も経ってしまった」7月初めにヨルダンに派遣され、新しい年を迎えようとしている今、日本にいた時の倍の速さで時が進んでいるのかと思えるほど、あっという間に半年が過ぎてしまったと感じます。

 半年前は全く知らなかったヨルダンという国は、国土の8割近くが砂漠で、夏は外に出ると頭痛がするほど暑く強烈な日差し。雨が全く降らない夏の後には、一瞬の秋が通り過ぎ、冬がやってくると中東にいることを疑いたくなるほど雪が降り、四国では見たこともないくらい一面真っ白の世界になりました。

意外なことに、3月になり春が来ると今度はカラカラの土地にも草が生え、花が咲くと聞き、日本と同様お花見ができるのではないかと楽しみにしています。派遣前に心配していた食べ物はとても美味しいので痩せてしまうことへの心配は無用ですが、惜しみなく油と砂糖が使われているおかげで太らないように気をつけなければならない程です。

 ここヨルダンで生活していて、日本と大きく異なる点は宗教です。イスラム教が国教の国で、1日5回のお祈りの時間が来るとモスクから「アッラーアクバル(アッラーは偉大なり)」とアザーン(お祈りを呼び掛ける歌)が流れ、道端や店の隅でマットを敷いてお祈りをしていたり、ほとんどの女の人が布で髪や顔を隠していたりすることに、はじめは驚き、イスラム教徒と親しくなったりできるのだろうかと思いましたが、彼らは外国人でもためらわず話しかけてくれ、初対面であるのも関わらず、ご飯を食べて行きなさいと家に招待してくれたり、道が分からないというと「ついてきて。」と快く案内してくれたりと、親切で人懐っこいアラブ人との関わりは楽しく、日々助けられています。

日本のニュースではイスラム教といえば過激派のテロの報道ばかりで、正直に言うとイスラム教に対して良い印象を持っていなかったのですが、接したイスラム教徒は穏やかでゆったりしていて、ゆったりしすぎて腹の立つこともあるけれども、良い人たちばかりでした。また、家族をとても大切にするという文化の中で、多くの人が午後3時には仕事を終えて帰宅し、家族そろって食事をとり、一つの部屋でくつろぎ子どもたちを見て笑う、当たり前に過ごしているこのような家庭を見て、日本が見習うべき、この国の尊敬すべきポイントだと感じます。

 ただ、外国人として生活している以上、軽蔑の眼で見られたり、いやなことをされることもあります。道を歩くだけで卑狸な言葉を言われたり、眉間にしわを寄せてじろじろ見られたり、顔につばをかけられたり、若者や物乞いに付きまとわれたり言ってしまえばきりのだけれども、不快なことを忘れさせてくれるようなヨルダンの人の優しさのおかげで、嫌なこともあるけれどもいいこともたくさんある、と前向きに過ごすことができています。

 私はそんなヨルダンの首都、アンマンの北にある「バカアキャンプ」というパレスチナ難民キャンプで活動しています。キャンプとは言っても石作りの家が建ち並び、食料品の市場や服屋、電気屋、飲食店、病院、学校などあり、一つの町という印象です。近郊の町と違う点は、建物や人の密度で、グーグルマップで見るとギュッと密集しているのがはっきりとわかり、キャンプ内の市場やバス停は毎日たくさんの人であふれています。

配属先は、バカアキャンプ内にある、NGOが運営する障害児・者支援施設です。生徒数は40人で4クラスに分けられ読み書き計算のほか、生活指導を行い、1クラスは作業クラスとして機織りを行っていて、日本の特別支援学校と作業所を合わせたような施設です。

教員は情操教育のアイデアを学びたいという意欲が感じられるのですが、一方で、場所や材料の不足からほとんど行われていないというのが現状のこの施設で、子どもたちへの音楽、体育、図工の授業を一緒に行いながらアイデアを提供する、というのが要請内容です。

センターのスタッフは皆明るくて優しく、とても居心地のよい職場です。スタッフは私のつたないアラビア語も意味を汲み取って、子どもたちに分かるように説明してくれたり、縄跳びをやろうと持ちかけた時も、できるわよ、とスタッフが子どもより夢中になっていたりと、とてもお茶目な人たちに囲まれて、楽しく過ごしています。

雰囲気はとてもいいのですが、配属されてすぐの時に時間割に体育や音楽があるのを見つけて、今までどんなことをしてきたのか見せてほしいと頼むと「いいわよ」と快くやってくれた体育の授業は、教室内で生徒が一人ずつ両足飛びをする、図工はとりあえず塗り絵、という日本人の私には斬新な授業でした。

しばらくは様子を見ていましたが、授業をやってくれるよう頼んだ時以外は、他の個別指導の時間にあてられて、ほとんど行われていなかった体育や図工の授業を、時間を区切って教員と一緒にやり始めて2カ月。思いがうまく伝わらない、相手がどうしたいのか理解できない、そんなことを日々繰り返しているまっ最中です。

 今日もこんなことがありました。1つのクラスで体育の授業をやっていると、別のクラスの教員が「うちのクラスは今日は欠席が多くて人数が少ないから一緒にやってもいいかしら」と言って加わり、それを見た所長が「全員でやろう」と言い出し、40人近い生徒が狭い朝礼スペースに出てきて、いす取りゲームをすることになりました。

生徒たちは楽しそうにしていて、それ自体は悪くなかったのですが、一人ひとりが十分に体を動かしてほしいというこちらの意図が伝わらず、人数が多いせいで1時間座ってみているだけの子どももいました。しかし、そのことに対しては目を向けていない先生たちに、片言のアラビア語でどう伝えていけばいいのか分からず、何も言えませんでした。

たとえ言葉が通じても、教員としての経験年数もプライドある彼女たちに「こうしたほうがいい、それはよくないことだ」と伝えることができるか、と言われればためらいを感じます。

 そんなこんなで自己嫌悪になったり、とりあえず言ってみよう、と意気込んで話すと、「何を言ってるのか理解できない」と突き返されたり、時には「私もそう思う。今度一緒にやってみよう。」と意外なくらい簡単に提案が通ったりと、小さなことに一喜一憂の毎日です。活動期間の4分の1が終わっても成果は全くないのですが、まだ半年。残りの1年半の活動期間で、あせらず、一歩一歩前進していきたいと思います。