現地隊員レポート 「りる」第45号より
インドネシア A.H.
平成19年度1次隊
助産師
『インドネシア便り』
助産師として母子保健分野で活動するためにインドネシアに来て3ヶ月。活動をするというどころではなく、言葉や文化の違う環境で生活することに精一杯の毎日である。
私が派遣された東ランプン県はスマトラ島の南端に位置し、首都のジャカルタから300Kmしか離れていない。しかし、海を越え、島がかわると言葉も町の様子もまったく違う。ここ東ランプン県は、360度見渡す限りの田んぼや畑、やしの木といった、緑に囲まれた村で、時間がのんびりと流れる。
「今日の散歩はどこの田んぼに行く?」といった感じで、散歩の目的地は田んぼしかない田舎である。ホームステイ先のイブ(お母さん)によく「サンタイサジャ、ヤ。(のんびりよ)」と言われる。
はじめは、のんびりと生活すること、時間にルーズなことに慣れず、イライラしていたが、体はすぐに慣れ、いまでは時間に追われない生活を満喫することができるようになった。とはいえ、休日などは何もすることがなく、おしゃべりと散歩だけの時間つぶしにも、そろそろ飽きてきた。
生活環境も、日本とは違う、というよりも同じところがないと言っていい。トイレにはトイレットペーパーはなく、代わりに自分の左手を使う。食事は、もちろん箸などはない。スプーンとフォークがあれば良い方で、普通は右手を使って食事をする。だから、右手と左手を間違えると大変なことになる。左手は不浄とされているために、左手で握手をすることも、ものを持って相手に渡すことも禁じられている。
また、食事には、見たこともないような品が並ぶ。鶏の頭と足、ひな鳥の丸焼きなど、そのままの姿で出てくる。すべての食事に唐辛子をすり潰したサンバルというものがついてくるが、これが全身の毛穴が開くくらい辛い。おかげで、全身の血行はよくなったような・・・。しかし、この辛さにも慣れ、いまでは多少の刺激がないと物足りなさを感じるようになった。
食事のことでいうと、9月から10月はイスラム教のプアサ(断食)である。朝4時に食事をとり、その後夕方6時までは、食事も水分もとってはいけない。自分のつばさえ飲み込んではいけない。この暑いインドネシアで、昼間に水分が取れないことはかなり厳しい。この状態が一ヶ月も続く。小学校2年生くらいから、このプアサに参加する。私も形上はこのプアサに参加しているが、のどの渇きだけは我慢できず、部屋に戻り、こっそりと水を飲んでいる。罪悪感を感じずにはいられない瞬間である。
また、お風呂にゆっくりつかるという習慣もなく、シャワーもない。井戸からくみ上げ、溜めておいた水でマンディー(水浴び)をする。しかし、今は乾期のため、水不足で井戸にも水がなく、井戸の底に溜まっている濁った水しかない。
仕方がなく、その水で水浴びをするが、果たしてきれいになっているかは疑問である。茶色い色の川で水浴び、洗濯をしている姿もよく見かける。しかし、その川には「ウムンWC(公共のトイレ)」と書かれている。上流で誰かがトイレをし、下流で洗濯と水浴びをしている。日本とは何もかもが違い、戸惑うことばかりであるが、1週間もこの環境で生活していると、特に困ることもなくなってくるから不思議である。
ホームステイ先では助産所をしている。助産所という名前ではあるが、風邪をひいた子供から、料理をしていて指を切った男の人まで診察に来て、処置をうける。ちょっとした病院である。インドネシアの助産師は、どんな病気や怪我も診察し、処置ができる。本当にすごい!の一言である。
いままでお産を何例か見学させてもらった。インドネシアに来るまで日本の病院で働いていた私は一つ一つのことに目を丸くし、驚くことばかりである。「この環境で大丈夫なの?これは、不潔じゃない?」なんて考えてしまう。しかし、私がいろいろ考え、驚いている間に、赤ちゃんは元気に産声をあげ、お母さんはうれしそうに生まれたばかりのわが子を抱いている。
分娩の介助方法にはいろいろな見解があるが、赤ちゃんが生まれる瞬間に立ち会える喜びは、どの国でも同じであり、自然と笑顔があふれる。自然な環境のもと、医療行為を必要とせず、自然の流れとして出産を受け入れ、無事にわが子と出会える。母親の強さ、赤ちゃんの持っている力を感じずにはいられない。そんなすばらしい笑顔とかわいい赤ちゃんを見ていると、母子保健で活動できることを誇りに思い、すこしでも笑顔を増やしていけるように頑張ろうと心に誓う。