現地隊員レポート 「りる」第48号より
ホンジュラス M.M.
平成20年度1次隊
小学校教諭
『ホンジュラス便り』
1.任国の印象
ホンジュラスに来て5カ月が過ぎました。首都テグシガルパに着いて1週間は、昼間でも街を歩くことを禁止され、移動は必ずタクシーを利用しなければいけなかったり、お金は小分けにして捨て金を持ち歩かないといけなかったり、街中では銃を持つ人をたくさん見かけたりするなど、「えらいところに来てしまった・・・。」と正直、恐怖との戦いでした。
けれど、語学研修のため、サンタルシアという小さな町に移動し、そこで3週間過ごし、町の穏やかな雰囲気やホームスティ先の家族の優しさに癒され、少しずつ緊張の糸がほどけていったように思います。食事は、味付けの濃いもの、油や砂糖を使ったものが多いようです。毎日、「ティピコ」と呼ばれる、フリホーレス(豆)、チーズ(塩味が強く水分が少ない)、卵、トルティーヤ(トウモロコシの粉で作ったパンのようなもの)といった組み合わせを食べます。
どこのお店に行っても「ティピコ」のメニューがあり、日本のように毎日、食事のメニューを変えるという意識がないことに驚きました。また、間食の多さ、朝ごはんにコーヒーとクッキー、バナナが皮ごとスープに入っている等、食文化の違いを感じています。
ホンジュラスの食事「ティピコ」2.任地にて
8月4日、任地「グラシアス」という街に着きました。首都テグシガルパには立派な建物やショッピングモールもあり、「ここは発展途上国?」と目を疑うほどでした。その都会から、始めは舗装された道を進んでいたものの、山道に入り、「やっぱり、この道か・・・。」とだんだん舗装されていない険しい山道を通って無事到着しました。
地図で見ると首都からあまり離れているようには見えないけれど、なぜかバスだと乗り継ぎを入れ約10時間かかります。 私の住んでいる所は町の中心のため、学校やお店がたくさんあり、いつも人がたくさんいてにぎやかな場所です。
自動車やトラック、モートタクシー(三輪バイク)もひっきりなしに通っています。ホテルも多く、銀行やインターネットカフェもあり、大抵のものはそろい不自由なく生活できています。けれど、街を外れるとまだ舗装されていない道、貧困層の家屋もあります。街を歩いていると、「オラ」「ブエナス」(いずれも「こんにちは」)「アディオス(さようなら)」と声をかけられ、子どもたちを通して名前を知られることも多く、まるで有名人になった気分になるほどです。中国人と日本人の区別がないようで「チナ(中国人)」と呼ばれることも多いですが、私もホンジュラスを知らなかったように、彼らが知らないのは仕方ないと考え「ハポネッサ(日本人)だよ」と言い直しているものの、なかなか伝わらないようです。
気候は想像していたよりも過ごしやすく、日中は27度〜29度くらいで夜になると肌寒く感じられるほどです。驚いたのは雨の多さで、雨季の時期はほぼ毎日、午後に雨が降り、雷も多く、昼食のために一度家に帰り、午後から学校に戻ろうとすると雷雨で家から出られなかったことが何度かありました。また、雨の次の日は要注意で、水が出なかったり、停電になったりすることもよくあります。
任地の風景
3.活動について
私は地区教育事務所に小学校教諭として配属され、主な活動校は児童数約800名、ギアテクニカと呼ばれる地域のモデル校です。午前中は低学年、午後は高学年と半日授業ずつで子どもたちが入れ替わり、教員も入れ替わります。現在は、算数の授業をしている時間に教室に入り、授業観察をしたり、個別に授業補佐をしたりすることが中心となっています。
想像していたよりも教員たちの意識や意欲が高いことに驚き、また、子どもたちを愛し、子どもたちのために一生懸命に働く教員の姿を見て、教育に対する思いはホンジュラスも日本も同様なのだと、安心しました。けれど、教員もきちんとした教育を受けていないのが現状で、知識と指導力は低く、さらに文化や習慣の問題も加わり、算数の授業を進めていく上で課題が多くあることも感じました。
そのような学校現場で何が求められているのか、どのようなアプローチをしたらいいのか、現地の教員と関わりながら模索していきたいと思っています。
授業風景任地「グラシアス」は、スペイン語で「ありがとう」を意味します。これは、日本の学校現場で働いていた時、子どもたちと共に大切にしてきた言葉であり、この任地に活動できるということは私にとって感慨深いものです。これからどんな出会いがあり、どんな出来事があるのかとても楽しみです。