ハンガリーでの3年間の協力隊活動   「りる」第28号より

                                                    ハンガリー  U.H
                                                             平成10年度2次隊
                                       野球
                                                                

        

 私は平成10年12月よりハンガリー共和国にて3年間野球隊員として活動しました。現在、帰国後3ヶ月がようやく経とうとしています。思い出深いハンガリーでの3年間を忘れないためにもここに3年間の活動を振り返って見たいと思います。

  

 まず簡単にハンガリーの概要を説明したいと思います。ハンガリーは中央ヨーロッパに位置し周りを7ヶ国(オーストリア、スロバキア、ウクライナ、ルーマニア、ユーゴスラビア、クロアチア、スロベニア)に囲まれています。気候は大陸性気候です。旧共産圏の国といえば寒いイメージですが、やはり冬場は冷え込み、寒い時にはマイナス20℃にまで気温が下がります。雪はそれほど多くはなく降っては溶け、降っては溶けの繰り返しです。

予想に反し夏場は40℃にまで上昇しますが日本と違って湿気が少ないので室内や日陰では過ごしやすいです。人口は約一千万人で首都はブダペスト(約200万人)で、市内をドナウ川が流れています。首都の王宮の丘とホーロッケーという村はユネスコの世界文化遺産にも登録されています。ハンガリー(マジャール)民族で公用語はハンガリー(マジャール)語です。ちなみに2年前のシドニーオリンピックでは日本の5個の金メダルを上回る8個を獲得しました。

ヨーロッパといえばサッカー一色ですがそのような中、体操、カヌー、水球、フェンシング、ハンドボールなどは世界トップレベルです。また教育水準も非常に高く、ビタミンCの発見者、水爆の開発者などはハンガリー人で12人のノーベル賞受賞者を輩出しています。生活レベルも2004年のEU加盟を目指して上昇中です。ただ貧富の差はありますが。建物もヨーロッパのゴシック調の立派なのが多く観光都市ブダペストとして毎年日本からもたくさんの観光客がやってきています。

 さてさてそれでは活動の方を振り返ってみたいと思います。配属先はハンガリー野球連盟で東部地区担当のコーチとして赴任しました。ハンガリーで野球が普及し始めたのはここ10年ぐらいです。ヨーロッパはイタリア、オランダなどの先進国が強く、ハンガリーのレベルはまだまだ低く現在約20チームほどありますが上位2チーム以外のレベルの差が激しく中学から高校低学年レベルぐらいです。対象は16歳以上の成人チーム、16歳未満の少年チームです。

 赴任先は初年度は首都ブダペストから南東へ約200キロのべーケッシュチャバ(人口6万人)の街に赴任しました。ハンガリーには日本のように学校のクラブ活動はなく街のクラブチームとして活動しています。

 ハンガリー野球は4月中旬に国内リーグ戦が開幕し6月一杯まで週末を利用してリーグ戦が行われ、その後夏休みを挟んで8月後半から10月前半まで順位決定戦が行われます。赴任当初は真冬なので体育館内での練習となります。語学訓練終了後、さあこれから頑張るぞと思い張り切って始めましたが、日本のように体育施設が充実していないので体育館といってもバレーボールコートが一面しかとれないぐらいなのでほとんど思ったような練習は出来ずにおまけに1時間半しか借りられず、室内でティーバッティングもスポンジボールがなく新聞紙をガムテープで巻いてそれを使っていました。

本当に春が待ちどうしかった2月からの2ヶ月でした。その代わり自宅で辞書を片手に独学でハンガリー語を勉強していましたが。長い冬場は語学訓練にもってこいの季節です。ちなみに語学は協力隊員ならみんな同じだと思いますが半年ぐらいの間は周りのハンガリー人達が何を話しているのかほとんど理解できませんでした。

 さてそんなこんなで4月がきてグラウンドで練習や試合が始まりましたが、練習人数が集まらず、試合はぶっつけ本番みたいな形で進んでいきました。ハンガリーではほとんどのチームで人数は12,3人でその中で練習に来ることができるのはのは5,6人です。街のクラブチームなのでみんなそれぞれに学校や仕事や家庭があり思うように練習に参加できません。ですから練習といっても基本の繰り返しです。

グラウンドでは2,3人しか人数が集まらずにキャッチボール、個人ノック、トスバッティングの繰り返しだけでした。練習は火曜から金曜の夕方4時からでしたが誰もこない日が2,3回ありました。こっちは日本でやっているみたいに意気込んでやってきましたが、学校も仕事もあり生活の糧を奪うことができないので途中から気持ちを切り替えて一人でも本当に野球の好きな選手が来てくれればそれでいいし、それでも充分な協力隊活動だと思いなおし活動を進めていきました。

そのような中でも試合の方は私も選手として出場し、選手達も奮闘し2部リーグ前半戦トップで折り返しました。後半戦も順調に勝利を重ね最終試合も見事に逆転勝し2部優勝を飾り1部昇格を決めました。私自身も捻挫をしながらの出場、選手達も7対0からの逆転と粘りを見せてくれ本当に感激しました。その夜は選手達と共に美酒に酔い大いに盛り上がり、私はおかげで風邪をひいて1週間寝込んでしまいました。

 1年が過ぎ2年目ですがやはりもっとたくさんの選手達に教えたいという気持ちが強かったのでハンガリー第二の都市のデブレツェン(人口20万人)の都市に任地変更しました。ここでは喜ばしいことに練習には5,6人が参加し、といってもやはり基本練習中心ですが。このチームも一部に昇格したばかりでやはり試合は私を含めて人数がぎりぎりでした。中進国、後進国になると時間の流れがゆっくりとしてみんな練習時間を守れず、練習中もだらだらやっているので何度も怒鳴りながらの指導でした。

しかしハンガリーでは先輩、後輩の上下関係がないので、コーチである私にも平気で言い返してきます。でも練習後はそんなことおかまいなしにみんなでビールやワインを飲みに行きました。2年目、3年目も選手達は高い向上心を持ち1部リーグではそれぞれ5位、4位と3年前は国内10位であったチームが最高成績を残すことができました。最終試合は私の采配ミスで逆転負けを喫し惜しくも3位を逃してしまいました。選手達は3位を目標にして練習してきたので非常に残念であり私白身も責任を感じていますが選手達がだんだんと粘り強くなってきたことが嬉しく想えました。

今年は残念ながら後任の隊員が確保できなかったのでデブレツェンのチームにコーチはいませんが自分たちだけでぜひ奮闘してもらいたいものです。

 3年間を振りかえってみてやはり継続することの大切さを再認識することができました。例えば昨年野球を始めた18歳の少年は毎日練習に参加し向上心を持って取り組んでいたので1年で見違えるほど成長し経験者を追い抜くようにまでなってきました。このことを私自身の帰国後のこれからの人生にも活かしていこうと思います。いつでも夢を持って一生懸命頑張ればきっと夢がかなうでしょう。もし叶わなくてもきっといい思い出になると思うので。

 決して順風満帆な活動ではありませんでしたが、幸いにも3年間チーム最高成績を残すことができたことは満足しています。ただまだまだハンガリー野球には課題が一杯あります。まず道具ですが、やはり彼らにはまだまだ高価で、また国内では手に入れることができません。毎年連盟の役員がオランダに年に2回ほど買出しに出かけています。グラウンドはサッカー場を改装しているところが多く野球場らしいのは2,3ヶ所しかなくおまけにデコボコで非常に危険な状態です。手入れも予算が少ないので思うように出来ません。

また、少年層への普及がまだまだ遅れており、きちんと指導できるハンガリー選手が少ないのが現状です。まあこれらのことはこれからハンガリーにやってくる野球隊員に期待したいと思います。私にとってハンガリーでの3年間の生活ははじめての海外経験で自分の好きなことが出来夢のような3年間でした。選手達と試合の移動でハンガリー国内を横断し、練習後はみんなで大いに飲みまくり、選手達にとって良き思い出となってくれればいいのですが。これで私の協力隊活動は終わりましたが、いつかまた再ぴハンガリーを訪れ選手達と共に汗をかくことが出来る日が来るのを期待しながらこれからの人生突き進んでいこうと思います。