悩み、意思疎通、喜び     「りる」第9号より

     グァテマラ         A.I.

                     平成4年2次隊

                     農産物加工

 

 私は平成四年二次隊で中米のグァテマラヘ派遣され、農産物加工隊員として活動してきました。約二年余り活動してきた私の配属先は、国立農業科学技術庁といい、その機関のチマルテナンゴ第五農業試験所内、農産物加工課に私は席を置いていました。

 農産物加工という職種は、協力隊事業の中では、他の食品加工、乳製品加工といった加工分野の職種と同様、現在募集数の少ない職種であると言えます。その少ない募集数でも要請内容は様々で、大学で加工技術を教えたり、加工品販売にかかわり製造元の村の人々の援助をしたりと、その活動内容は様々です。

私の場合、チマルテナンゴ第五農業試験所を基点とし、農村の農夫や婦人らを対象とした簡単な農産物加工技術を普及させることが、活動目的でした。

 グァテマラはメキシコの南に位置し、約一千万人の人口を持つ、北海道と四国を合わせたよりやや広い面積を持つ国で、山岳地帯も多いし、様々な気候が重なりあう農産物豊かな国と言えます。果物で例を挙げると熱帯果物のバナナ、パパイヤ、マンゴー、高山果物のりんご、なし、すもも、桃等、他にもメロンや西瓜なども日本のそれとは種類が違うにしても、豊かな産物がグァテマラにはあります。

 そんな農産物の豊富な国に、農産物加工隊員なんて何故必要なのだろうと、グァテマラヘの派遣が決まった時、思いました。実際、現地に行くと、欧米の輸入品や質は劣るものの国内産のジャム、ケチャップ、ピクルス等のびん詰、缶詰が町にあふれていました。しかし、それを買えない人々がたくさんいることを知ったのです。

 私の隊員としての活動は、そういった加工製品を買えない人々、農村の人々らが売れなかったものや、質の悪いものを有効活用できるよう、いろいろな農産物の加工方法を習得させ、現金収入、生活の向上、活性化を計ろうとするものでした。しかし、その立案された計画は表向きで、実際は配属先の職員に加工技術を移転することから始めなければなりませんでした。

職員は農業に携わっている人ばかり、農産物加工課の主任となる人でさえ加工に経験の少ない人でした。彼らはグァテマラの中では中級程度の生活をしており、活動の対象となる人々よりは良い生活をしています。この国では私の職場でもそうでしたが生活階級がはっきりしているのです。

私は二年間ずっと活動の中で自分の位置づけにずっと苦しんできました。生活レベルの違ういろんな人と接していたので、常に現地の人と同レベルの生活、考え方でいようと思うものの何を基準としてレベルをあわせたらいいのかずっと悩んでいました。その答は遂に最後まで出すことが出きませんでしたが。

 活動は、配属先の農産物加工課に教材となるような資料がないことから普及を始めるためのレシピ(資料)作りから始めました。もちろん現地の材料を使い低コストで。なんだかんだとそれで一年が過ぎました。一年が過ぎ、ようやく自分の言いたい事も喋れるようになり、職場での試作実験やリサイクル瓶を使っての加工品の保存状態を観察する実験も並行して行い、その結果が良い方向に出たことから、私は徐々に普及活動に取り組み出しました。

 

 

近くの村ヘジャムの講習会に行った時、出来あがったばかりのジャムの前で



任期の半分も経ってからようやく本来の目的を達成しようとしたのです。今となっては基盤となる加工技術をもっと確立したものとしたかったのですが、その時は残る任期の少なさにあせり、がむしゃらに何でも手をつけようとしていたと思います。その頃から、配属先の資金難のため、試験的にジャムの販売を始めたりしました。

そうこうしているうちに任期はあっという間に終わりとなってしまいました。幸いに私の後任となる方が私の任期終了直前に来られ、引き継ぎを済ませた後、後ろ髪をひかれながらの帰国となってしまいました。

 二年という時間は何かをやり始め、その結果を見るには短すぎる時間です。つまずきながら考え進んできただけで二年間が過ぎてしまったようです。しかし、私のこの二年間の時間は忘れられないかけがえのないものです。

 私なりの協力の仕方では逆に相手に協力されたような部分もあるかもしれませんが、二国間協議で協力隊事業が成り立っているように両者お互いの意志の疎通なしでは協力もムダになってしまう。手さぐりの活動はいつもうまく行くとは限らないものです。失敗しながら自分の協力のあり方、位置づけなどに迷い進んできた協力隊でしたが、そこで得た結果よりも自分が活動した事実の中で得られた人々の温かさ、友情を今つくづくありがたく思っています。

まったくの一人きりで援助や協力は成り立ちません。今後の日本の援助や協力隊事業の更なる発展を望みますが、よりお互いの意見を交換しあい、互いに発展することの大切さを忘れてはいけないと思います。

 

  職場の人と最後の記念に