帰国隊員報告          「りる」第12号より

     ガーナ         K.Y.

                     平成5年1次隊

                     理数科教師

 

 私は協力隊に志願して自分が今までに知らない土地や世界で、いろいろな体験をしたい、それによって自分を少しでも高めることが出来たらと考えて青年海外協力隊に参加した。その結果、見知らぬ土地で日本にいては経験することのない途上国の人達との交流や珍しい体験を積むことが出来た。また、人間的にも多少は成長出来たかなと思っている。

 それではここで私の協力隊活動を報告いたしたい。

 平成五年七月から七年七月まで私はアフリカ西海岸にあるガーナ共和国のタヴイエフェのセカンダリースクールで、二年間にわたって「理科」を教えてきた。

 私は現地に赴任するや、「生徒達に理科を教えてやるんだ。」という気持ちで取り組んだ、、然(しか)し、中々私の思うようにはいかなかった。生徒達の授業態度や勉強の意欲について満足出来るような状態にはならず、常に悩みは尽きなかった。

 ある時、授業中に生徒達が騒いで授業をうまく進められないことがあった。元々、授業中は生徒の私語、雑音が多く、落ち着きがないことが多いが、この日は特にこれがひどかった。

 ここで私は我慢し切れなくなった。「このような態度では授業は続けられない。」と宣言して自分で教室を出て職員室へ帰ってしまった。

 間もなくして生徒の代表がやってきて、「何とか授業を続けてください。」と申し出た。でも私は、「皆、あんなに騒いで授業を受ける気があると思えない。お断りだ。」と返答した。生徒は「騒いでいる人もいたけど、私達は先生の授業をしっかり聞いていました。」と答えた。いろいろのやりとりを重ねたが、生徒達との話し合いを通じて私は次のことに気がついた。

ここはガーナなのだ、自分はガーナヘ理科を教えにきた。生徒達に教えるためにやってきた。自分は今まで、自己の物差しですべてのものを見、判断していないだろうか。ここは途上国なのだ。生徒の態度も目に余るものもあるだろう。でもその中で例え一部の生徒でも理科を真剣に勉強しようというのであれば、当然、教えて上げるのが私の勤めではなかろうか。

それにこの学校では理科の先生は「私、一人しかいない。私が理科を教えなければ外に生徒達は教えてもらう人がいない。」こう考えてくると自分の今日の態度は反省しなければならないのではなかろうか。

 このようなことがあって以来、自分は「ガーナの、あるがままの姿を受け入れて自然体で授業する。今までのような『高いハードルを求めたい。』というようなことは一切考えない。」という方針で授業に臨んだ。

 それ以来、自分の気持ちも楽になり、生徒達にも優しく接することが出来るようになった。

 昨晩テレビを見ていたら、日本とガーナがサッカーの五輪壮行試合をしていた。私は当然にガーナを応援した。二年間の協力隊活動で自分も少しは国際化したかなと思った。