帰国隊員報告       「りる」第26号より

                                                    ガーナ    S.I.
                                                             平成10年度2次隊
                                     理数科教師

                                                                

 私は99年2月より今年5月までガーナで理数科教師として活動してきました。今日はガーナについてと、私の協力隊活動についてお話したいと思います。

 ガーナといえば、チョコレート・ココアの産地であることを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。ココアはガーナの主要産物で、ガーナ産のチョコレートもあります。味は少しざらざらしていてガーナの暑さにも耐えられるようにとけにくいといわれています。

 野口英世が黄熱病で亡くなった国としても有名です。首都アクラには熱帯病、エイズなどの研究が行われている野口記念医学研究所があり、日本人、ガーナ人スタッフが共同で研究を行っています。また、英世が研究していた病院には記念館と銅像が建てられています。

 国連のアナン・コフィ事務総長の出身国としても知られているのではないでしょうか。ガーナの主要民族では、子供が生まれた時に生まれた曜日によって、固有の名前を付ける習慣があります。月曜日生まれの男の子はコジョ、火曜日生まれの女の子はアベナというぐあいです。アナン・コフィのコフィは金曜日生まれの男性に付けられる名前です。アナン事務総長はきっと金曜日生まれにちがいありません。

 ガーナは亜熱帯気候とサバンナ気候の大地が広がっており、面積は本州くらいの大きさです。ここに約70名の協力隊員が活動しています。このうち約3分の1は理数科教師隊員で占められています。なぜこのように理数科隊員が多いのか。慢性的な教師不足が挙げられます。また、給料が少ないため近隣国に教師の職を求めて出かせぎにいくこともあるようです。そこで、協力隊をはじめ、アメリカ、イギリスなどからもボランティアが派遣され、学校を支援している状態です。私が赴任した学校にもイギリスから英語と理科の先生が派遣されていました。

 さて、私は首都から800kmほど北に行ったゴーリーという小さな村の高校で数学を教えていました。ガーナは日本とほぼ同じ教育システムで小学校6年、中学3年(ここまでが義務教育)高校3年です。

 最初、私が頭を悩ませたのは一部の生徒の計算力の低さでした。赴任前に聞かされていたほどではなかったものの、3×9が答えられなかったり、4−9は5であると自信満々に答えたり、分数の概念がなかったり・・・これらの原因の一つとして、初等教育で繰り返し繰り返し、計算する機会に恵まれなかったことが考えられました。そこで、基本を勉強した後は、何回も何回も自分で計算することを習慣づけました。「自分で」というのにはもうひとつの理由があります。ガーナでは試験中、授業中の計算機の使用が認められているのです。簡単な計算にもすぐに計算機に頼ってしまいます。12×10を計算機で計算しようとした生徒もいました。

 学校環境も日本とは異なるものでした。ノートやボールペンは慢性的に不足し、机やいすはガタガタ、黒板は穴だらけ、先生が遅刻する・・・年間2000円ほどの学費を払うのが困難で、親戚中をかけまわって集めなければならなかったり、ときには生徒自身が長期休暇中に都市に働きに行って、学費を稼がなければならないこともありました。日本と比べると厳しい環境です。

 しかし、少し見方を変えると、こうとも言えるかもしれません。ノートが不足しているなら、文字は小さめにすき間が少ないように書き込んで無駄がないようにします。ボールペンは最後まで使い切ります。大変な思いをして支払った学費なら、勉強意欲は高いものがあります。放課後や休み時間にノートや本を抱えて質問にくる生徒も多くいました。校舎に座ってあーでもない、こーでもないと議論することもありました。帰国して友人に授業風景の写真を見せると、皆その真剣なまなざしに驚いていました。

 まなざしといえば、「パソコン出張講義」を実施したときのことです。これはSEや電子機器などの隊員が各地の学校を周り、コンピュータについて講義するという企画です。ガーナにもITブームはあるようで都市やお金のある学校ではパソコンがあることが不思議ではありません。しかし、地方の田舎は、というと家庭に電気もないところが多いですから、「コンピュータ」という言葉は知っていてもどういうものでどんなことができるのか知っている生徒はほとんどいません。

 しかし、みんな興味津々で、大盛況でした。講義の後、自分の名前をタイピングしてみようというコーナーがありました。そのなかで、数学が得意でないある生徒がちょっと照れくさそうな、でも満面の笑みでパソコンに向かっていた姿がとても印象的でした。あの瞳は決して忘れることができません。

 私にとって、生徒は本当に可愛らしい存在でした。可愛さあまり数学ができなくても、サッカーで活躍していたり、絵を描くのがうまかったり、リーダーシップをとることができたり、太鼓をたたく姿がかっこよかったりすると、それで充分でないかと思う甘い先生でした。生徒たちは日本から見ると出来はよくないかもしれません。しかし、毎日制服を着て、学校にきて、勉強ができることに喜びと誇りを感じているようでした。

 何も知らなければ、「かわいそう」、「大変そう」で終わってしまうかもしれません。しかし、生徒たちはたくましく、ときにはしたたかに生きていました。私は、彼らから力強さを分けてもらったような気がします。「何が本当の豊かさ」で、「何をもって貧しさというのか」ということを考えさせられた2年間でした いろんな価値観の人たちにじっくりと出会いたくて、日本を飛び出しました。そして、何の巡りあわせかアフリカのガーナの、しかも地図にも載らないような小さな村に行ってきました。勉強をしたい生徒たちがいます。しかし、先生はいません。このような状況をみて、知らない顔をできるはずもなく、ひたすら目の前の生徒のためにできることを考えつづけました。

 このような小さなことの積み重ねが協力隊の原点だと思っています。
 最後になりましたが、活動を支えてくださった香川県青年海外協力隊を育てる会の皆様をはじめ、すべての方々に感謝したいと思います。ありがとうございました。