帰国隊員報告               「りる」第24号より

                                                    ガーナ       M.H.
                                                             平成9年度1次隊
                                     家畜飼育

                                                                

ただいまご紹介に預かりました、Hです。

Ofane bie fee. Ofane me a choh me Mayumi. Me n ya Ghana ke in ba bie. Ofane me nu et bo waa. Si me ke Ghana bibioo,Ofane.

(こんにちは、私はMayumiといいます。ガーナに行って来ました。皆様お疲れのご様子ですが、ガーナのことをほんの少しお話します。)

 さて、今話した言葉は、ガ語といって、私の住んでいた首都のある地方に住む人々の言葉です。ガーナには大きく分けて、5・6種類の部族がいて、さらにそれを細分化すると、300にも400にもなるといわれています。

 その各部族の人々がそれぞれに違う言葉や風習をもっています。
 一つの国でたくさんの言葉が話されているため、公用語として、英語が使われています。独立前はイギリス領土であったからです。

 ただ、その英語は私たちがふつう考えているような、ヨーロッパやアメリカで話されているようなものではなく、発音も、文法も、語彙も、ガーナ人が使いやすいように押さえられた、いわばガーニアンイングリッシュといえるものです。
 ですから私も、英語を勉強するよりも、よりガーナ人を理解しようとすることで言葉の問題を解決していったように思います。

 人々は各部族でそれぞれ違いはありますが、みんな素直で明るい性質だと思います。町にはいつも音楽があふれています。いつでもどこでも、ご機嫌になると歌ったり踊ったりします。

 また楽しい気持ちでいることを大切にします。
 くらい顔をしている人がいたら声をかけていっしょに楽しくなろうとします。
 人を侮辱したり恥をかかせたりすることは最も避けるべきことされています。
 ガーナで初めに感じたのは人々のお互いを思いやる気持ちです。

 知り合い同士ではもちろんのこと、初対面であってもそれは同じです。道を尋ねたとします。もしその人が忙しくなかったら、その行き先までつれていってくれますし、もし忙しかったら、案内できる人をみつけてくれます。その頼まれた人も快く引き受けてくれます。

 もし、どこかへでかけて、帰りのバス代がなくなってしまったら、道行く人に声をかけてお願いします。声をかけられた人は自分ができる範囲で助けます。こういうことはごく自然なことで、「困ったときはお互い様だよ」と思っているだけです。

 また、ガーナには多く持つ者が、少ししか持たない者とわけあうのが当然だという考えがあります。ですから例えば今日の分の食べ物しかなくって明日はどうか分からない人の隣に、明日どころか、今日の食べ物もない人がいたとします。そんなとき多くのガーナ人は迷わず分け合うでしょう。

それが自然な事なのです。うーん。でも、ひょっとしたら、それが、「まあ、どうにかなるか」と後先考えない悪い傾向を生み出しているのかも知れませんが。と、いうわけで、私のガーナでの生活は好印象でスタートしました。

 私の活動について少しお話ししますと、配属先は国営乳牛農場。家畜人工受精の普及のために派遣されました。
 まず、私がぶつかった問題は、職場になにも統一とかシステムというものがなかったことです。
 計画を基に購入された機材や配置された職員はまったくいかされておらず、方針も目標もうやむやになっています。

 というのも、省庁レベルでの計画が現場に届いていないのはあたりまえ。せっかく何年間かにわたる計画がたてられても、異動があると新しい人が継続して行わないどころか方針までかえてしまう。そしてその変更はもちろん現場には届いてないのです。

 これはなにも私の職場に限ったことではなく、ガーナ全体に言えることでした。そんなわけで、私はいきなり途方に暮れてしまいました。
 とりあえず、私が始めたのは、倉庫の物品や書類を確認したり、職員みんなから話を聞いて、必要なこと、みんなが求めていることを見つけて方針や計画を立てていこう、と、いうものでした。

 しかし、始めてみると、みんなが求めていることは今必要ではないことや実現不可能なことであったり、私が主張することは理解されないことであったりしました。
 そこで、私は、ああ、自分はちっともこの国のことをわかってないんだな、と感じ、あせって率先して何かを始めるよりも、みんなといっしょに仕事をして、その中で何かよりよくなることができればいいな、と考えるようにしました。

 そうして2年間と1ヶ月。さあ、私は役に立ったのかどうか。ひょっとしたら、もっと押して職場を変えていった方がよかったのかもしれません。
 もう隊員のいない配属先では今も同じ毎日がつづいているのだろうなと思います。

 技術移転という面では私がガーナに貢献できたことはほとんどなかったと思います。逆に私がガーナから得たものというのは、帰国して1年になろうとする今でも、まだうまく説明できるようになってはいないのですが、大変多くのことだと思っています。

 ガーナに住んで、いやなところも素晴らしいところも含めて、ガーナを好きになって帰国できてとても好かったと思います。
 少しえらそうに言うと、どんな国の社会のことも理解できるようになった気がします。

 今、国内協力員として国際理解の授業や、協力隊員になりたい人の前で話す機会をたびたび頂いています。自分の貴重な経験をこういった場でいかしたいと思います。

 最後になりましたが、私が貴重な経験をえることができた協力隊を支えて下さる育てる会会員皆様に御礼申し上げます。

 これで私の帰国報告を終わらせていただきます。ありがとうございました。