コスタリカでの活動 「りる」第3号より
コスタリカ R.I.
平成3年1次隊
文化人類学
私の任国であるコスタリカは中米に位置し、国土は四国と九州とをあわせた程でそこに約三百万の人々が暮らしている。ここは政情不安な国が多いラテンアメリカにあって例外的に治安はよいし、軍隊も存在しない。
この国において先住民の人口は非常に少なく全人口の約2%といわれている。私の印象では他のコスタリカ人との関わりは少なく、また都市のコスタリカ人に意識されることも少ないように思われる。つまり政府も含めてコスタリカ人の先住民に対する関心は低いとも言える。
彼らの大半は21の先住民保護区に住んでいるが言語的にみて8グループに分けられる。私はこの中でグアィミという民族とともに働いている。グアィミはパナマとの国境に近い4つの保護区に住んでいるが私の任地はこの内の首都サンホセから約3百キロ南に離れたところにあるコトブルースという先住民保護区だ。(グアイミはパナマ側にも数多く住んでいる)
彼らはコスタリカの先住民のなかでは未だに伝統的な生活を営んでいるほうである。独自の言語を話し、(スペイン語も話すが若い世代を除いてあまり堪能ではない。)女性の大半は民族衣装を身につけている。彼らは主に米、フリホーレス(小豆に似た豆)、トウモロコシ、を焼畑耕作しカカオ、コーヒー、プラタノ(料理用バナナ)、キャッサバなども栽培している。
これらの収穫の大部分は自分たちの消費に割り当てられるが一部は現金を得る糧ともなる。また、牛を飼って搾乳している家族や狩猟をやることもあるが彼らの経済をささえる主流は上記の農作物である。ここでの私の活動の目的は学術的な資料をえるための文化人類学的な調査をすることではなくその全体的な視野を利用して共同体のニーズを探り、必要とあれば小規模な開発プロジェクトを考えることであった。
しかしこれは非常に難しかった。多くの理由があるが一つにはある程度の見通しのない調査を彼らは好まないこととともに私自身外側からの刺激による開発が本当に必要なのか常に疑問に思ってきたことが挙げられる。
前者の点については常に彼らは一つの質問についてもそれが何のためなのかということに注意を払う。また、研究のための調査には根強い不信感をもっている。つまり研究結果が自分たちに直接還元されずに研究者の成果のみにつながると言うものだ。
また多くの村には外からの援助が入っているが、そういう交流の強いところほどかなり援助慣れしている。そういうところでは外国人が入ることをすなわち援助がくることと期待する。もっともな面もあるが私には援助が彼らの自立性を害なう行為に見えることも多い。
生産手段や組織をある一側面からかえようとするには慎重であらねばならない。なぜなら彼らは曲がりなりにも自分の生活を維持する手段はもっているからだ。また彼ら自身の価値体系も持っている。それ故当初は何らかの開発を行なうのであれば最低限度の生活基盤の整備が適当であると考えた。(この場合どの線をもって最低基本的なものとするのかは非常に難しい問題だが)
私のいる村では乾期(12月〜4月)には極端に水が不足する。そのため今は一キロ以上離れた源流から水を村の小学校に引こうと試み村人と働いている。
これは別に人類学とは何の関係もないのだが。今、自分は職種にこだわってはいない。この場合でも確かに飲料水の確保は基本的な生活基盤といえるだろう。しかしながら雨期(5月〜11月)には豊富な水が得られるし乾期にも彼らはより水が得られる場所に家を移動する手間をあまり厭わない。
つまり我々が感じるほどの不便さは彼らは感じていないのかもしれない。なぜなら自分たちからは動こうとしないからだ。常日頃、外からの開発は本当に必要なのかと自問している私の活動だ。