ベトナム日記 「りる」第8号より
中国 Y.T.
平成4年1次隊
日本語教師
協力隊の二年の任期も、またたく間に終わり、再び以前の勤務校である坂出高校に戻ったのが、昨年七月のことでした。二学期から授業をもち、だんだんと日本の生活にも慣れてきました。
しかし、同時に『もう一度日本を離れてみたい』という強い想いが”ふっ”と湧いてくるのを感ぜずにはおられませんでした。そこで、近年中国と共に急速な近代化を押し推めている『ベトナム』へ行こうと決心しました。
ベトナムは北緯二三度から八度に位置する細長い国で南北一五〇〇Kmにも及びます。北は中国、西はラオス、カンボジアに接し、東部、南部は南シナ海に面しています。人口は七千万人弱ですがそのほとんどは首都ハノイとベトナム最大の都市ホーチミン市に集中しています。
さて皆さん!『ベトナム』と聞いでどのようなイメージを抱かれるでしょうか。
”ベトナム戦争””枯れ葉剤””ベトちゃん・ドクちゃん”・・・といった暗いイメージではないでしょうか。私もその一人でした。しかし、『百聞は一見に如かず』のごとく、今回の旅はまさに私のイメージを全く一変するものでした。それでは、断片的ではありますが、旅行中に書いた日記の一部を転載したいと思います。
一九九四/十二/二五
開港したばかりの関西新空港を午前十一時に飛び立ち、約五時間でホーチミンの空港に着いた。時差は一時間あるため、まだ外は明るい。空港には軍事用と思われる小型飛行機や戦車が置かれているが、物々しいと言うより、むしろ大昔の竈跡のように、太古からそこに置かれているようで、何とものんびりした光景である。
空港職員も手もちぷさたにぷらぷらしている。タラップを降りると一瞬”ムッ!!”とした熱気が体中を担ったが、まだ我慢できないほどの熱さではない。
私は、すぐに首都ハノイ行きの手続きを済ませ、次の飛行機を待った。約五〇分のフライトでハノイに到着。ここは、やはり緯度が高いだけあって、ホーチミン市ほどの暑さはない。むしろ日本の初夏を思わせる快適な気候である。
空港から町までタクシーを走らせること三十分、首都とは言え、町自体はそれほど大きくない。道行く人々は、商人がほとんどで天秤棒を担ぎ、足早に家路に急ぐ。ダウンタウンの中心には大きな池があり、市民の憩いの場となっている。夕暮れ時、ペンチには若いカップルがあふれていた。
初めて見たベトナム、ハノイは日本の古き良き時代を彷彿(ほうふつ)させる何かがあった。
ベトナム ハノイの市場 天秤棒とつげ笠はベトナムの象徴
一九九四/十二/二八
ハノイの町の造りにも慣れてきた。ベトナムに来て驚いた事は、日本製バイク(ホンダ)が道を我が者顔で走っていることだ。まだ市民にとって高嶺の花であるバイクがこれほどまで普及しているとは想像もしなかった。
聞いたところによると、ベトナムのインフレは激しく、お金をもっていてもすぐに価値が下がってしまう。そこで、バイク購入ということになるのだそうだ。いわば一種の投資である。
バイクの人気は根強く、中古たりとも値は下がらない。むしろ年季の入ったバイクは値も上がるそうである。中国を”自転車洪水”と名付けるなら、ベトナムは”バイク洪水”と言えるのではないだろうか。さらに、バイクの著しい普及を造り出した要因に、”免許不要”という政策がある。
このため、交通規則を知らない人たちがバイクで走り回るので、交通事故は後を絶たないということである。これもベトナムの一つの特徴であろう。
一九九四/十二/三一
ベトナム中部の町、ダナンに着いた。ここはベトナム戦争時、米軍の本部が設けられた所であるが、今はその面影はなく、のんびりとした漁港の町となっている。今日は大晦日、旧暦を用いるこの国の最大のお祭りは春節である。新暦の正月も、春節ほどではないが、祝う人々も一部にはいる。
この日の夕方、私の乗る列車がダナン駅に着くや否や、大きな耳を劈(つんざ)かんばかりの激音に迎えられた。一瞬、戦争が起こったのかと思うほどであった。実は、大晦日を祝う爆竹の音であったのだがこれほどまでに凄まじいと”祝い”というより"恐怖。になってしまう。列車を降りてからも、道端で急に轟(とどろ)く爆竹音に怯(おび)えながら、足早にホテルヘ急いだ。
一九九五/一/三
最大の町、ホーチミン市に着いた。ハノイとはまた違った趣のあるこの町。気候のせいか、人々の解放度も相当なものだ。西側のビデオを所狭しと並べてあるビデオショップ、ダンスホール、カラオケ、夜の蝶(?)らしき女性たち。”社会主義国ベトナム”のイメージには似つかわしくないものがあちこちに見られる。
これも改革解放の落とし子なのだうか。すべてが近代化の波にのまれ、西洋化していく様子を目の当たりにして、何とも言われぬ、寂しさのようなものが込み上げてきた。
ほんの短い日数でしたが、私自身充分ベトナムを満喫できたと思っています。ひと昔前”NIES諸国の急成長”が話題になり、さらに”ASEAN諸国の台頭”が著しく進む中、第三、第四の目として、中国、ベトナム、インド、ミャンマーの勢力を無視することはできません。
今後、どのように東南アジア諸国が新しい道を見い出していくのか、私はじっくり観察していきたいと患っています。
中国の支配時代に造られた遺跡の前にて