タイ北部少数民族を訪ねて 「りる」第5号より
中国 Y.T.
平成4年1次隊
日本語教師
中国北京での仕事も何とか一年半が過ぎ、北京での二回目の春節を間もなく迎えようとしています。協力隊には任期の半分が過ぎると国外研修に行けるという制度があります。今回私は、この制度を利用してタイ北部の少数民族を訪ねてきました。以下、興味深かった話を報告したいと思います。
首長族の少女
皆さん、ご存じでしょうか?タイとミャンマー国境付近には様々な少数民族が昔ながらの生活を営んでいます。その中に『首長族』と呼ばれている人たちがいます。文字通り、首が三十Cm以上あります。私自身、話には聞いていましたが、彼女たち(首の長いのは女性のみ)に会うまで信じられませんでした。
同時に何かとんでもないバケ物のように思っていました。しかし、今回初めて彼女たちと過ごす時間がもてて、あらためて自分自身の偏見を正さざるを得ませんでした。彼女たちと話すことによって、さらに彼女たち少数民族の悲しい歴史を知ることができました。
彼女たちの中のある年長の一人が私に話してくれました。「我々はもともとビルマに住んでいた。しかし、ちょうど七年前カレン族が我々をこの村に連れてきた。ここは今二十家族、約百人が住んでいる。近くにもう一つ我々の村がある。そこは少なくて二十人前後だ。我々は首にリングを巻いているが、これは五歳から巻きはじめ徐々に継ぎ足していく。
最終は二十二巻である。リングをつけるか否かはその本人あるいは家族の自由である。しかし、この村の女性は九十%はリングを巻いている。家族の一員がリングを巻く時、霊媒師に来てもらい彼にお金か宝石を支払う。もしなければ動物をつかまえて、それを彼に渡してもよい。霊媒師は最初にリングを
首長族の母親と子供
火であぶりやわらかくなったら少女の首に巻きつけていく・・・。」彼女はたんたんと話してくれた。しかし、なぜリングを巻いて首を長くするのかがいまひとつ理解できない。私はさらに尋ねた。彼女は「それは太陽を信じているからだ。
昔、太陽がビルマの私たちの村にやって来た。太陽は帰る時『首にリングをつけなさい。そうすれば次に来た時に、あなたたちのことがわかるから・・・。』と言いのこしていった。」次に別の女性が話しつづけた。「しかし、太陽は二度と来ませんでした。我々一同、疑うことなく太陽が来るのを待ち首にリングをつけました。
第二次大戦前、西洋の宗教家が来て我々の宗教を改めさせようとしましたが、我々は固く反発しました。当時二十万人いた我々部族も現在十万人弱に減ってしまいました。多くが戦争とマラリヤのせいです。」彼女たちの話はここで終わりました。
首長族の女性と私
後で私につきそってくれたMr.DAMというガイドは補足してくれました。「彼ら一族は今とっても幸せなんだ。ビルマにいた頃はいつもビルマ兵に搾取され、それを拒めば皆殺された。
彼らにとって今唯一の収入は、ここを訪れて来る観光客の入村料(村に入る時お金が必要・・・二百五十バーツ「千五百円前後」)なんだ。しかし、この二百五十バーツのうち彼らのふところに入るのはほんの十%、残り四十%はタイ メーボソン市に、五十%はビルマカレン族の軍事費となるんだ。」
私はこの話を聞いて、何とも言えない気持ちになりました。見たところ、本当に自由に自然の中で生きている少数民族にも政治の影響が及んでいるのですね。皆さんはどう感じられますか?
Q.なぜビルマ(ミャンマー)は内戦がつづいているの?
A.イギリス植民地から独立した時、イギリスはすべての民族に自由を与えた。しかし、ミャンマー族は自分たちの手に政権をにぎろうと他民族に自由権を与えなかった。特にカレン族とミャンマー族の対立ははげしい。