中国の”食”         「りる」第4号より

     中国          Y.T.

                     平成4年1次隊

                     日本語教師

 

 中国、北京に赴任して早や一年が過ぎました。これまで、いろいろな体験をしてきましたが、特に今回「食」をテーマに書きたいと思います。 私は、ここ北京で日本語教師をしています。

毎日先生方、生徒たちに接しているので当然家庭に招待されたりして、一緒に食事をする機会も多いです。たいへん嬉しい事なのですが、この時心の片隅に少々不安がよぎるのも事実です。なぜならば、食事の量に原因があるのです。昨年の春節(旧暦の正月)を例にお話ししましょう。

 

 ごちそうを前に



 春節の一週間前、日頃親しくしている学生から「先生、春節の時ぜひ私の家へ来て下さい。」と招待がかかりました。私にとって中国での初めての春節です。内心ワクワクしていました。私は言われた通り、春節の前夜六時に彼の家に行きました。家族の人は私を大歓迎してくれたのは言うまでもありません。夜七時から大みそかの夕食が始まりました。

彼、彼の兄、兄の友人、彼の交母そして仏ととてもにぎやかです。まず白酒(パイジュー)(中国の有名な酒)で乾杯です。みんな一気に飲み干します。さて料理がでて来ました。まずは魚料理です。中国では春節に魚を食べるとその年は豊かに暮らせるといわれているのです。また料理が出てきました。

今度は鳥料理です。彼の父はずっと台所で料理を一心に作っています。男性が料理を作るというのも中国の習慣です。料理はどれも最高の味付けです。辛いもの、塩からいもの、甘いもの。どんどん食が進みます。話しながら食事するのってなんて楽しいのでしょう。料理はひっきりなしに出てきます。

突然彼が立ち上がり「田中さんの健康のために」と乾杯をしてくれました。みんなまたまた一気に飲み干しました。私も負けじと、立ち上がり「みなさんの幸福を祝って」と乾杯しました。延延と乾杯は続きました。料理も延延と止むことなく運ばれて来ます。私はもうギブアップです。

頭ももうろうとしはじめ、お腹もパンパンです。しかし、驚いたことに彼らは平気でおしゃべりし、食べています。さらに彼らは、私が料理に箸をつけないのを見て、「食べろ、食べろ、食べるのが少ない。」といって来ます。私は「もう食べられない。」と言うのですが、その言葉よりも先に、私の小皿にどっさり料理を取ってくれます。思わず脳裡で「マイッタ!」と叫んでしまいました。

 やっと夕食が終わったのが、夜の十時。ひと通りあとかたづけをした後、再びにぎやかなおしゃべりの開始です。「よく食べ、よく話す」これがこの時の中国人の印象です。あと少しで年越しという時、新たな食との対決が始まりました。そうです。大きな皿に盛られた餃子の登場です。

彼らは「やあ!おいしそう!」と言って、またまた一心に食べます。聞くところによると平均一人三〜四斤(四斤=1Kg)食べるそうです。数にして四十〜六十個。私のもともと丸い目玉がさらに丸くなって、彼らをしげしげと見つめるばかり。私はこのあと、ひそかに持参した胃腸薬を飲みました。

 さて、これで終わりではありません。春節食の合戦は第二日目も続きます。次の日は学校の主任の先生の家庭に招待されました。午前十一時に先生宅へ行くと、すっかり準備完了。ビールでの乾杯ではじまりシュア羊肉(シュアヤンロー)(羊の肉のシャブシャブ)が開始されました。

これは私の大好物の一つです。不思議なもので昨日あれだけ食べたのに、好きな物だとまた食べられます。しかし、さすがの私も中国人のようにはいきませんでした。 一キログラムほどでギブアップ。 「田中さん、どうしたの少ないわよ。もっと食べて下さい。」食卓の上には山ほど積まれた肉の山。

 中国料理は確かにおいしい。私自身世界一の料理だと思っています。中国人のパワーの秘密はここにあるのではないでしょうか。確かに毎日、このような豪勢な食事はできません。しかし、日本人から見れば食べる量ははるかに多いです。それでいて中国人はみんな細い。栄養のバランスがとれているのでしょう。

 私は今まで中国の人々と接してきて、中国人がいかに食事という時間を大切にしているかがわかりました。食事の時間は彼らにとって食べる時間と同時に一種の団欒の時間なのです。日本人はこの面においては、いかに貧しい時間を過ごしていることでしょう。日本人も見習わなければいけませんね。

 

 

 


小学生のパレード 


万里の長城にて


奇岩の町「桂林」の街並み