現地隊員レポート    「りる」第38号より

                                                    中国     M.H.
                                                             平成16年度2次隊
                                     日本語教師
                                                                


『チンライ県での生活』

 前回「りる」に投稿させていただいたときにはまだ一面銀世界だったチンライ県も緑の広がるとてもさわやかな季節になりました。4月ももう終わりに近い頃、道端に小さな草の芽を見つけたときの喜びといったら。厳しい冬を乗り越えての春というのも格別です。

 そんな春の足音が聞こえ始めた頃、中国で何が起こっていたか、みなさん覚えていらっしゃるでしょうか。今回は、中国国内においても日本国内においても避けがちな、あまり楽しい話題ではないことに敢えて触れてみたいと思います。

 そうです。4月頃中国のいくつかの都市で反日デモが起こりました。日本のニュースでも大きく報道されていたので、ご存知ない方はほとんどいらっしゃらないかと思います。いろいろと原因などが報道されていたようですが、私はあまりそういう方面に詳しくもないし、あの反日デモや反日運動について分析などするつもりは全くありません。いや、できないと言ったほうが正しいです。

でも、中国に住むひとりの日本人として、任地チンライ県で感じたこと、そのときの様子などをお伝えしようと思い投稿させていただくことにしました。

 とても幸せなことだとは思いますが、あの頃、たくさんの日本に住む友人たちから「今中国は大変そうだけど大丈夫?」「任地で嫌な目に合っていない?」というメールをもらいました。そうやって安否を気遣ってくれる人がいるというのは本当にありがたいことだと思います。でも、実際に私がチンライ県で暮らしていて、危険だと感じたことはまだありません。たまたま運がよかっただけかもしれません。

けれども、日本から届くそういった心配してくれる声と、実際の私の生活にはとても温度差があって、正直、私は戸惑いました。誤解してほしくないのですが、心配してくれる声はとても嬉しかったし、ありがたいことだと思っています。でも、私の普段の生活は大した変化もないのに、その反日デモという情報だけが勝手に大きくなり、みんなが私の生活を心配しているという状況に戸惑ったわけです。

 その頃、たまたま瀋陽に行く機会がありました。ご存知のように瀋陽には総領事館があり、デモも行われました。その時はさすがに少し緊迫した雰囲気になり、公共の場では大きな声で日本語を話したりしないようにしたり、デモが起こりそうな場所にはなるべく近寄らないようにしたりしていました。私はなんだか自分が悪いことをしたかのような気分になってしまい、人が多い場所に行くのが少し怖かったです。

 泊まったホテルでNHKのBSニュースを見ることができました。その時の気持ちを思い出すと今でも怖くなります。ニュースとして中国の反日デモを扱っているのだから、デモの様子の一番「派手」な部分が映し出されているわけです。言葉は悪いですが、とても「大袈裟」な感じがしました。それも仕方ないことだとは思います。

けれど、あの映像を見ると多くの日本の人たちは、中国の人たちのことを誤解するんじゃないかと思いました。そしてやはりというか、日本で中国人がたくさんいる日本語学校が被害にあったり、日本在住の中国人が嫌がらせを受けたりというニュースを耳にしました。私の友人が講師をしている日本語学校の留学生もいつ「仕返し」されるか日々おびえていたという話も聞きました。なんだかやりきれない、とても悲しいことだと思います。

 確かに日本に伝えられてるデモの姿は真実だし、ニュースとして当然報道されるべきことなのだろうとは思います。私は報道に関して意見できるほど知識も何も持ち合わせていません。中国に住む日本人の一人として、日本で流されているニュースを見たときに、これが「中国人」だと思われると悲しいなと思っただけです。日本人にもいろんな人がいるように、もちろん中国にもいろんな中国人がいます。そんな当たり前のことが、あの衝撃的な映像を前にすると忘れ去られてしまう。怖いことだと思いました。

 あの頃、少し遅れながらチンライ県でも反日運動の余波はありました。他の協力隊員がチンライ県に集まるイベントを企画していたのですが、安全上の問題から開催が許可されなかったということもありました。同僚日本語教師からも外出する時は気をつけるように言われたりもしました。でも、私の周りの人みんなに共通していたのは、常に私の身の安全を気遣っていてくれたということです。

チンライ県は小さな町ですが、やはりどんな人がいるかは分かりません。何が起こるかも分かりません。だから気をつけて、とみんなが言ってくれていました。たまたま嫌な目に合わなかったのは運が良かっただけかもしれません。もし、任地で私自身の身に何か起こっていたらこの「りる」に書く内容もだいぶ違っていたと思います。けれど、幸運なことに私はたくさんの人に守ってもらい、何も危険な目に合わずにすみました。

むしろ、反日運動のニュースを見て落ち込んでいるだろうと同僚教師や生徒たちまでもが心配してくれ、私を一生懸命励まし、暖かい言葉をかけてくれました。

 正直に言うと、日本にいたとき、中国人や韓国人はいつまでも戦争問題・靖国問題などに目くじらを立てていて、これからの将来に対して全然建設的じゃないと思っていました。そして、いつまでも昔のことにこだわり、日本人を恨み続ける怖い人たちだと思っていたこともあります。確かにそういう人もいると思います。

でも、任地で中国の人たちと接する中で、そうじゃない人もたくさんいるんだなという、考えてみれば当たり前のことに気付かされました。中国の人たちと話しているとやはり時々戦争の話になります。普通に買い物していて、お店のおばちゃんに日本では戦争は正しいと教えられているのか、それとも正しくないと教えられているのかと聞かれたこともあります。そうやって話していて感じるのは、これも当たり前のことですが、やはり誰もが平和な世の中を望んでいるということです。

いつだったか、とても親切にしてくれる屋台のおじさんが言いました。その人はよく戦争の話を私にするのですが、「日本に帰ったら”中国人はこんなに親切だった”って言えよ。日本人は中国人のことをあまり知らない。中国人も日本人のことをあまり知らない。だから仲良くなれないんだ。」そうなんだろうなと思います。彼は学校の先生でも何でもありません。

チンライ県という小さな街の屋台で毎日みんなにおいしいご飯を作っている「普通」の中国のおじさんです。中国の人たちが私に戦争の話をするのは、私に謝らせようとして、とか罪の意識を持たせようとして、では決してありません。お互いに過去を反省し、これからの将来の平和を願ってのことだと最近分かってきました。

 デモに参加している中国人が一部なら、私を守り、かばってくれる中国人も一部であることは確かです。その一部を強調するつもりはありませんが、かつては日本軍が満州国を建設し、支配した東北地方の片田舎にそういう人たちが何人もいるんだよ、ということを知っていただけたらと思います。

 私はあのデモが起こっていたとき、瀋陽では確かに少し怖い思いもしました。でも、チンライ県では怖いと思ったことはありません。もちろん身の安全を守るために、いつもよりは身構えていたかもしれませんが、ここにいるのが怖い、と思ったことは一度もありません。それは、もしチンライ県で何か起こったとしても、絶対に周りの人たちが助けてくれると信じることができたからです。

こんな私一人の個人的な体験、独りよがりの感想をこうして書くことに少し抵抗はありますが、ニュースでは報道されない、中国の人たちの一面を知ってもらうことができればいいなと思い書いてみることにしました。目を輝かせて「いつか日本に行ってみたい」と言う私の生徒たちのためにも、日中両国が真の意味で手を取り合っていく日が早く来ることを願っています。