現地隊員レポート 「りる」第54号より
チリ E.U.
平成21年度1次隊
作業療法士
『残り任期半年を迎えて』
チリ共和国は、南米大陸の太平洋側に面しており、南北の長さは4329kmに対し、東西の幅は平均175kmの細長い国です。人口約1600万人、面積は日本の約2倍にあたり、北部は赤道に近く砂漠地帯となっており、南部は南極に近くフィヨルドを形成し、内陸部はアンデス山脈が横たわっています。太平洋を西に3700km離れた所にはイースター島もあります。昨年は、チリ大地震、鉱山落盤事故での奇跡的救出で世界中の注目を浴び、そして、スペインからの独立200周年という記念すべき年でもありました。私の任地は、首都サンティアゴから南へ1200km離れたチロエ島という島です。島といっても日本の四国と、ほぼ同じくらいの大きさで、チロエ島の中央部にあるカストロ市、人口約4万人の街で活動しています。漁業が盛んで、ここで捕れたサーモンは日本にも輸出されています。のどかな牧場も広がっており、おとぎ話にでてきそうなかわいらしい島でもあります。建物にはウロコ状の板壁が施されており、その独特な板壁をもった木造の教会群は世界遺産にも登録されています。
カストロ市私の配属先は、カストロ市の公立診療所で、無料で医療を提供しています。診療科は内科と歯科のみですが、医師・看護師・ソーシャルワーカー・心理士達がグループとなり訪問診療もおこなっています。チリは南米の中でも経済的に豊かで、首都サンティアゴには高層ビルが立ち並び、地下鉄が整備されており、高度な医療設備が整った病院もたくさんあります。しかしながら、私の活動している島には、まだまだ医療設備やスタッフが不足している状態です。そして作業療法士の数だけでなく認知度も、首都に比べるとかなり低いといえます。
職場の写真(正面より)私の主な活動場所は、平成20年9月に在チリ日本国大使館の「草の根・人間の安全保障資金協力」によって建てられた、診療所内のリハビリテーション室です。常勤の理学療法士と体育教師と一緒に活動しています。患者さんは主に、膝や肩の関節症、脳血管疾患、パーキンソン病などで、外来と訪問リハビリテーションを行っています。配属先に到着して活動を始めると、”青年海外協力隊とは発展途上国で活動すること”と今まで考えていた私の想像は見事に崩れました。
保険制度はある程度整い、杖や車椅子、床ずれ予防マットなどは年齢制限こそありますが、国に申請すれば無料で手に入るのです。公共の交通手段がなく、診療所に通えない僻地には、ポスタと呼ばれる建物があり、普段は看護助手の方が住み込みで駐在しており、定期的に診療所から医師、看護師、臨床心理士、ソーシャルワーカー、薬剤師がグループでポスタへ訪問し、簡易診療所となります。ポスタへも通えない方へは、直接自宅へも訪問します。リハビリテーション室にもリハビリに必要な用具はある程度揃っています。このような環境の下、私の活動は始まりました。
私の活動は、作業療法に必要な道具集めから始まりました。理学療法士は歩いたり立てったりする練習を主としますが、作業療法士は手の細かな動作練習から日常生活に必要な動作(食事や服の着替え動作など)の練習を主とします。理学療法に必要な道具は揃っていましたが、作業療法に必要な道具はほとんどありませんでした。道具を作製し、いざ患者さんとリハビリテーションを開始しようとすると、ある問題が発生しました。同僚にとっては理学療法士も作業療法士も療法士とひとくくりで、自分の担当はこの患者さん、あなたの担当はこの患者さんといった感じなのです。
1人の患者さんに対して、理学療法士と作業療法士の2人でリハビリテーションを行うという感覚がなかったのです、作業療法に必要な道具を作製したとしても、これでは私のひとりよがりのリハビリテーションになってしまいます。何度も同僚と話し合い、患者さんとのリハビリテーション中には、積極的に同僚に意見を求めるようにしました。こういったやりとりを繰り返すうちに、同僚からも作業療法に関する意見を逆に求められるようになり、徐々に2人でリハビリテーションを行うという概念が芽生えてきました。
片麻痺の患者さんとの手のリハビリ活動を始めて1年ほどたった頃、その次にとりかかったのは頑張るリハビリテーションから楽しむリ八ビリテーションへの変換でした。手芸教室や料理教室を開き、片手でも編み物ができるし、料理もできるということや、折り紙を使って手の運動・頭の運動と、生活を楽しむこともリハビリテーションの1つであるということを伝えたかったのです。歩く練習や筋力トレーニングだけがリハビリテーションではなく、障害をもった体でも楽に生活できること、楽しく生活できることこそリハビリテーションの本来の目的なのです。
手芸教室風景任期も残り半年となりましたが、私は同僚や活動環境に、本当に恵まれていたと思います。意見の食い違いや言葉の壁、生活習慣の違いこそありましたが、同僚とはお互いを必要とし、必要とされながら活動してきました。患者さんも、地域の方々も、日本人である私に対して暖かく迎え入れてくれました。
ボランティア活動を行うという立場で、この地で生活し、活動していますが、日本という国や日本での自分の職場、また、自分という人間はどういうものなのかを考えるいい機会でもありました。今までは、生活環境に慣れること、活動を軌道にのせること、仲間との信頼関係を得ることに全力を尽くしてきましたが、今後はできるだけたくさんの作業療法資料を作り、任期終了後も現地のスタッフが継続したリハビリを行うことができるようにするとともに、患者さんと共に様々な作業活動に挑戦したいと思っています。