異国の地にて日本を感じる      「りる」第3号より

     ブータン       S.T.

                     昭和57年度4次隊/平成2年1次隊

                     建築

 

 ヒマヤラ山中にありながら、ブータンは日本に似た国である。何かが似ているのではなく、人種も言語も性格も、何もかもが何となく全体的に似ているのである。最初、街を歩くと、パラレルワールドの中の日本に来たように思える。それは、偶然似たのではなく、歴史的、生活的、気候的など、文化を形成する基礎条件における共通性の結果である。

ブータンのゾンカ語で「寝る」は「ネニ」、「死ぬ」は「シニ」、 「着る」は「キニ」、数も「チィ・ニ・スム・シ・ガ・・・・・チュタム・チュチィ・チュニ・チュスム・・・・・」と数える。それは、ブータンの民族衣装を「ゴ」と呼び、日本の呉服の「呉」と同じく、織物で有名だった中国古代の国「呉」から来ている事、あるいは日本海側各地に残る。

秦時代に男女三千人、五穀の種と百工を連れて中国から渡ってきたという「徐福伝説」にも表れているように、古代中国、江南地方に発生した文化が、北部の漢民族の圧迫により、周辺の僻地へ移住した為古い中国の文化が保存された事による。(日本のルーツでよく取り上げられる雲南も中間にある。)

 イリオモテ山猫や雷鳥のように、古いタイプの種が離島や山間部に生き残る事は、よくある事だ。日本とブータンは、文科的には双子の兄弟なのだ。日本は世界のイリオモテ山猫として、ブータンは雷鳥として。しかし、日本は人口一億を抱え、世界に通ずる海に囲まれていたのに対し、ブータンは人口わずか六十万にして、十億と八億、世界第一位と二位の人口を抱える中国とインドに囲まれて、ヒマラヤ山中に孤立していた事がその後の近代化において、全く異なる道を歩ませる事となった。

とは言え、同じ稲作農耕文化に属し(日本では赤飯という模造品をお祝いに作るだけになった赤米を、ブータンではいまだに栽培している)、大乗仏教を信仰する彼らは、世界でただ一国と言ってよいほど日本の常識がそのまま通用する、付き合いやすい相手である。礼儀正しく、遠慮深く、集団主義的で抜きんでる者を嫌うところまで、良くも悪くもそっくりだ。 

 ブータンに来る前に、仕事でアフリカや南太平洋にも二年ずつ暮らしてみて、今や経済的には世界的な影響力を持つようになり、世界中に進出した日本人が、いかにカルチャーギャップに悩まされ、損をしたり誤解されたりしているかを如実に見る機会があった。こんな事なら、また鎖国したほうが良いんじゃないかと思うことさえ、少なからずあった。しかしブータンに来て、考えが変わった。

そもそも協力隊員としてブータンを志望した理由は、ある時知り合った外務省勤務の人から「世界で援助欲しさではなくて本当に日本を敬意を持ってくれているのは、モンゴルとブータンぐらいだ」という話を聞いたからである。そしてこちらに来てみると、自分でも面はゆいほどの日本人の評判の高さと、仕事上での信頼で、今まで住んだどの国よりも仕事がしやすく、有意義な活動ができたように思う。

 


 一国の君主である国王が、お付きの人から「この建設現場は日本人の設計・監理だ」と聞いて、わざわざ車を止めて散らかった工事現場に入って来られ、握手をして下さったばかりか色々仕事や生活上の事を気に掛けて下さり、 「寒そうだというので翌日にはお付きの人に持たせてジャンパーを届けて下さったりした。

またある時には、首都ティンプーからバスで三日もかかる辺地に転勤した私の街に国王が来られ、その地方にいる各国のボランティアを食事に招かれた折、事実上ブータンを軍事的に治めているインド軍のその地域の責任者が国王の隣の席を占めたその横の席に、何とその地域にいる我々協力隊員二人が、他の国連ボランティアやVSO(イギリス)、SNV(オランダ)などを押しのけて座らせていただいたのである。

 



 ブータンは、国が小さいからという理由で、援助の割り当てが小さく、かつJICAの人手不足もあり、手間のかかる建築プロジェクトは避けるよう内々に指導が出ているとも聞く。本当に日本の援助は、相手を見ずに先進国の方ばかり向いて、とにかく金額だけをこなしましたよ、という態度が見え見えだ。

とは言え、協力隊員も所詮は二十歳から三十九歳の若造に過ぎず、そのパフォーマンスには限界がある。私はせめて、日本に帰ってからも少しでも、このブータンの為に役に立ちたい次の時代に、ブータンといえどもヒマラヤ山中に孤立しては生きられず、日本もいつまでも精神的自閉症ではいられないのだから。

 

 


ブータン・カンルン 
子どもたちは標高600mを苦にせず通学する


ブータン・ルナナ
夏も氷河を戴くヒマラヤ主稜線


ブータン・ブムタン
街から少し登れば氷河地形が広がり花が咲き乱れる