バングラデッシュでの生活 「りる」創刊号より
バングラデシュ Y.N.
平成2年度3次隊
体育
1991年4月、バングラデッシュに来てから、貴重な経験をしている。愛してやまないこの国を少し紹介しよう。
(1) バングラデッシュの様子
みわたす限り平野で、緑にあふれている。道には力車があるので歩かなくてもよい。いたるところに、ひまそうな人がいる。人といっしょに牛、やぎ、鶏もいる。
イスラム教の国のため、一日五回モスクからアラビア語のコーランが流れる。首都ダッカを除けば、すべて田舎でのんびりしている。
(2) 人々の生活
彼らはベンガル語を話し、方言もある。教養がある人は、ベンガル語で話しながら、突然英語をしゃべったりする。
彼らは早起きである。八時くらいに起きると、他の人達は二た仕事くらい終えている。お祈りをするのと、日中は暑くて仕事ができないからである。
私がいる学校は六時からクラスが始まる。朝食を食べ、昼食は二時ごろ。そのあと昼寝。これは必要である。六時くらいに軽食をとり、夕食は寝る前である。いわゆる「食って寝る」の生活。
彼らは感情の起伏がはげしい。意見を大声で言いあうが、次の日はけろっとしている。あとに残らないので暮しやすい。
(3) 私の仕事
バングラデッシュに二つある体育大学のうち、地方の大学で仕事をしている。設備は日本の小学校より悪く、 一年間でありとあらゆるスポーツを教える。
私は女子部の担当。イスラム教国のため、女子スポーツ界は活発ではない。まだまだ女が外で体を動かすということはハレンチなこと。
最初、驚いたことは、体育大学の教師がサリーとサンダルばきで教えてることだった。 私の任務は、女子教師のレベルアップだが、彼女たちの技術レベルも教え方もひどいものだった。男子教師のように、トレーニングコースを受けることもできず、外で練習もできないためだ。このシステムを変えようと、上層部とかけあったが、根強い男尊女卑が感じられ、忍耐力がついた時期であった。
やっとトレーニングを開始しても、教師たちから不平不満が出るわ出るわで、「言って損はない」というこの国の習慣につぶされそうであった。私としては、相手と議論して、自分の主張を理解してもらう工夫をする練習ができた。しかし、苦労は報われるもので、一回のトレーニングでも教師の態度や教え方が変わる。
また、自分達のために頑張ってくれているということがわかってくれて、信用ができ、仕事がやりやすくなってきた。